第2話 知らないはずの声


 「説明して!!」

 叫んだ俺に、おばあちゃんは涼しい顔で言った。


「拾ってきたの」

「ひ、拾ってきたぁ!?」

 

「川の近くで倒れててね。怪我をしてたから、つい」

「つい、で人間一人拾ってこないでよ!」


 青年はその間、ずっと俺だけを見つめていた。

 息を呑むほど整った顔で、懐かしむような、どこか恋しいような視線を向けてくる。

 いやいや――恋しいって何目線だよ。……てか、まじで誰なんだ?


 逃げ出したいのに、足がすくんで動けない。

 視線を逸らすことすら許されない圧に、背筋が寒くなった。


 そこへ、おばあちゃんはさらなる追撃をかける。


「今日からここで暮らすってことで、いいわね?」

「はぁ!? 良くない! 全然良くないから!」

 

 すると、青年がこくん、と小さく頷いた。

 ちょっと、お前がなんで頷くの!?

 

「なおや」


 青年が俺の名前を呼ぶ。耳の奥がカッと熱くなる。

 知らない声なのに、なんか求めてしまいそうな気分になった。


「ここがいい」


 ……なにその、ピュアすぎる返答。

 

 **


 俺の人生、終わったかもしれない。

 ――が、始まった。


「ちょ、ちょっと待って。えっと……まず名前! 君、なんで名前?」

 俺はパニック状態のまま、青年を指差す。

 

 青年は一瞬ぽかんとしたあと、ふにゃりと笑った。

「よい」


「よい?」

よい。よるの前」

 

 あ、漢字説明付きでご丁寧にどうも。

 でも回答としては情報不足すぎるよ。


「いや、そういう詩的みたいなとこじゃなくてさ、名字とか、身元とか、年齢とか!」


 青年――宵はきょとんと首を傾げた。

「なおやと、おなじくらい……かな?」

「なんで疑問形!? ちゃんと質問に答えてよ!」


 おばあちゃんがちゃぶ台にお茶を置きながら、のんきに口を挟む。

「あら、まだ自己紹介してなかったのね」


 なんでそんなに普通なの?

 おばあちゃんはお茶菓子つまみながら、さらっと言った。


「この子、狐原宵こはらよいくんよ。きつねに原っぱの原でこはら」

「狐原……!?」


「かわいい名前よねぇ」

「いや、かわいいの問題じゃなくて!」


 キツネっぽい苗字なのが、逆に不安を煽るんだけど!?

 

 宵は嬉しそうに微笑んだ。

「なおやの、宵だよ」


「なになに? どういうこと? ほんっとわかんないんだけど!」


 俺はとにかく冷静を取り戻そうと、深呼吸を繰り返した。

 おばあちゃんは隣に座り、宵は俺の正面にちょこんと座り直す。

 顔が良い男にじっと見つめられるだけで、普通になかなかの威力だ。


「で……なんでこの人がうちに居座ることになってるわけ?」


 おばあちゃんは当然のように答える。

「だから、倒れてたからよ」

「それは聞いたけど……でも、普通病院とか警察とか——」

「連れていったわよ。でもすぐ帰りたがっちゃって」

「で、うちに連れ帰ったの!?」


 おばあちゃんはにっこりと無敵の笑顔を浮かべた。

「だって追い出すのはかわいそうじゃない」


 その『かわいそう理論』で知らない男と同居成立させるのは危ないよ?


 宵は相変わらず俺をじっと見つめている。

 睨むようでもなく、訝しんでるようでもなく、ただひたすらに。

 

「なおや」

 また、あいつが俺の名前を呼ぶ。


「……なんで名前知ってんの?」


 宵は瞬きをした。

「しってるから」

「説明になってないってば」


 宵は少し考えるように目を伏せ、それから顔を上げて、また花が咲くように笑った。


「なおや、なおや、なおや」


 連呼すんなよ、怖いわ。というか、調子が狂う。

 

 おばあちゃんがお茶すすりながら、トドメを刺した。

「尚弥、もう決めたの。今日から宵くんと一緒に暮らすのよ」


 俺は湯飲みを落としそうになった。

「絶対無理でしょ!」


 宵が不安そうに眉を寄せる。

「……いや?」

「いやじゃないけど嫌! いや、自分でも何言ってるのかわかんないけど嫌!」


 すると宵の目がうるりと潤んだ。今にも泣き出しそうになるその顔に、俺は一瞬で凄まじい罪悪感に襲われた。


 えぇ? もう、そんな顔すんの?


「……なんで泣くの」

「なおや、いなくなるの……?」


「い、いる! いるから! 今はどこにも行かないから!」

「仲良くできそうねぇ」


 おばあちゃんの満足げな声が響く。俺はもう、天を仰ぐしかなかった。

 

 **

 

「……その格好、さすがに外は歩けないだろ」


 俺はクローゼットから適当なパーカーとTシャツ、それからジャージを引っ張り出した。

 宵が着ていた白い羽織は、あまりにも浮世離れしていたからだ。


「これ、サイズ合うかわかんないけど着てみて」


 宵はそれを受け取ると、鼻先を寄せてクンクンと匂いを嗅いだ。


「……なおやの、におい」

「感想そこ!? いいからさっさと着ろって」


 宵は俺より十センチほど背が高かったが、俺がオーバーサイズを好むおかげで、なんとかなった。俺の服を着た宵は、さっきまでの神秘的な雰囲気が少しだけ消えて、年相応の青年に見える。

 

 風呂に向かおうと、居間を離れるとき、宵が袖をぎゅっと掴んだ。

 振り返ると、まっすぐな瞳で見つめられる。


「……なおや」


 蚊の鳴くような、細くて不安そうな声。


「ここにいて」


 意味もなく、胸が締め付けられた。

 この声、なんだかすごく懐かしい気がする。

 懐かしい? いや、知らないはずなのに。


 俺は掴まれた袖をそっと外した。

「……寝る時までは、いるよ」


 宵は、ぱあっと明るく笑った。その笑顔に、俺はなぜか言いようのない胸騒ぎを覚えた。

 

 **


 部屋に戻って、扉を閉める。


「なんなんだよ、アイツ」


 どういうわけか、俺の心は少しだけ安心していた。

 理由がわかんなくて、そのことがまた怖い。


 考えまいとして布団に潜り込むと、驚くほどすぐに眠気がやってきて、目を閉じた。


 ◇◇


 湖の波と銀色の耳が揺れている。

 

 冷たい水の匂いが鼻をかすめた。

 

 綾空あやそらという名の断片。

 

 それと、愛おしい誰かの声。


『――灯弥とうや


 ◇◇

 

 俺は弾かれたように飛び起きた。

 部屋は暗くて、時計の針は深夜一時を回ったところだ。

 

 アヤソラ? トウヤ?

 宵も確かに、俺を『とうや』って呼んでいた。

 夢の声は、宵の声と似てたような気もする。

 いや、夢、夢だ。ただの夢に決まってる。


 自分にそう言い聞かせて、もう一度瞼を閉じた。

 明日から、とんでもない生活が始まりそうだ。


 ――今はまだ知らないふりをしよう。


 **


 翌朝、まだ太陽が昇りきる前の薄暗い時間に目が覚めた。

 いや、正確に言うと、目を覚まさざるを得なかった。


 顔のあたりが温かい。

 いや、温かいというか、柔らかいな。

 なんか、もふ……?


「……んん?」


 ゆっくりと目を開けると、視界いっぱいに銀色だった。

 え、猫……? いや、違うぞ。


 人間だわ。


 宵が、俺の枕を半分奪うようにして寝ていた。メチャクチャ至近距離で。


「…………いやいやいや!!」

 ドゴォッ!!

 

 反射的に跳ね起きようとして、布団に足を取られて、床に派手に転んだ。

 痛ってええ……!!

 布団の山の向こうで、宵がうっすらと目を覚ます。


「……なおや?」


 寝起きの声、色気ありすぎる……やめてよ。


「なおや、落ちたの?」

「落ちたんじゃねーよ、落とされたんだよ!」


 居間に見知らぬ人が座ってた昨日の衝撃より、目が覚めたら知らない男と添い寝してる状況の方が、はるかにヤバい。


 なんでこの布団にいるの?

 いや、昨夜、ちゃんと部屋の鍵閉めたはず――

 ……あ。俺の部屋の鍵、壊れてるんだったぁ。


「どうしたの?」

 

 宵が布団から上半身を起こして俺を見下ろす。

 Tシャツの襟ぐりが大きく開いて、白い肩が覗いている。

 ……あっざとい! 無自覚なんだろうけど、確実にあざとい。


「なんで、俺の部屋にいるの……?」


 宵は当然のように言い放った。


「ここがいいから」

「ちがう、理由きいてんの!」

「なおやが、いるから」


 いや、それが理由にならないって言ってるのに……。

 もうやだ、しかも俺、なんでこんなに顔が熱いんだ。

 

 逃げるように居間に出ると、おばあちゃんが台所で朝食を作っていた。味噌汁のいい匂いが漂う。……落ち着くな。

 

「おはよう、尚弥」

「おはよう……って言ってる場合じゃないんだけど!」

「あら? 何が?」

「宵が俺の部屋に勝手に入ってきて……!」


 おばあちゃんはお椀を並べながら、さらりと言った。


「良かったじゃない。寂しくなくて」

「寂しいとかじゃなくてさ!」


 おばあちゃんは楽しそうに笑っただけ。結局、この家の空気に飲み込まれていくのは、俺だけらしい。


 はぁ、もう……。

 おばあちゃんのこういうマイペースなところ、嫌いじゃないけどさ。


 少しして、宵が眠そうに居間に現れた。

 寝癖だらけのぼさぼさ頭で、目が半分閉じている。

「おはよ……」


 おばあちゃんは満面の笑みで声かける。

「あら宵くん、よく眠れたかしら?」

「なおや、あったかかった」


「その言い方なに? 語弊がありすぎるでしょ」


「仲良しねえ」


 仲良しじゃない!

(俺は断じて違う!)


 宵は俺をじっと見つめてくる。

 なんかまた胸が、ちりりと痛んだ。


 なぜかはわからない。

 けれど、この嵐のような違和感の中にある「懐かしさ」の正体を、俺はまだ知らない。

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