第4話「夢で逢いましょう」

第4話「夢で逢いましょう」


「……あのね」

 女性は、ほんの少し息を吸った。

 言葉を選ぶための、わずかな間。

「もう一度言うわ。あなたは悪くない」

 その声音は、さっきまでよりも柔らかい。

 けれど、次の言葉で、空気が確かに変わった。

「でもね。これだけは言わせて。その日、死んだのはサキさんだけじゃない」

 一瞬、意味が理解できなかった。

「私の夫も、死んだの」

 胸の奥で、何かが裏返る。

「……」

 喉が詰まり、声が出ない。

 頭の中で、あの夜の光景が、一気に蘇った。

 ブレーキ音。

 衝撃。

 割れるガラス。

「……もしかして、お前」

 指先が、ひどく冷たくなる。

「あの時、ぶつかってきた車の……」

 女性は、小さく頷いた。

「そう。あの事故の時、私も乗ってたの。あの車に」

 確認でも、言い訳でもない。

 ただ、事実をそこに置いただけの言い方だった。

「……やっぱり、な」

 納得してしまった自分に、腹が立つ。

 あれほど整いすぎた言葉。

 あれほど、状況を知りすぎていた理由。

「びっくりしたわ」

 女性は、少しだけ視線を逸らす。

「写真で見たけど……サキさん。私と、そっくりだったんだから」

 その言葉に、胃の奥がひくりと縮んだ。

 嫌悪感。

 拒絶。

 そして、理由の分からない怒り。

「お前がサキを語るな……」

 そう言いたかったか、なぜか言葉が出ない。すると女性はすぐに続けた。

「そうね。本当に、申し訳ないと思ってる」

 深く頭を下げることもなく、

 声だけが、静かに落ちてくる。

「……あの事故は全部、私の夫が悪いの」

 その断定に、思わず声が荒れた。

「だから何が言いたい」

 女性は、少し困ったように笑う。

「説明、いる?」

「いるに決まってるだろ」

 苛立ちが、そのまま言葉になる。

「その日、私の母が倒れたの」

 淡々とした口調だった。

「夕方に連絡が来て、急いで病院に向かってた。だから夫は、休憩も取らないで運転して……」

 そこで、言葉を切る。

「……あの事故が起きた」

「そうか。だから、なんだ」

 俺は、思わず強く言い返していた。

「やむを得ない事態だった。だからそれで、全部チャラになるとでも思ってるのか」

 女性は、首を横に振る。

「思ってない」

 即答だった。

「理由にならないことをしたってことくらい、分かってる」

 沈黙が落ちる。

 風が、ガードレールを低く撫でた。

「それでもね」

 女性は、ゆっくりと言う。

「自分の大切な人を失って、それぞれの大切な人のところへ行きたいって気持ちがあることだけは、分かってほしいの」

 意味を理解するより先に、拒絶が口を突いた。

「何が言いたい……サキと、お前の旦那の死を一緒にするな」

 声が、低く震える。

「サキは――」

 名前を言いかけて、止めた。

 女性は、ジンをまっすぐに見つめていた。

「分かってる」

「同じじゃない」

「でもね」

 一歩、距離を詰める。

「あなたがここにいる理由と、私がここにいる理由は、たぶん同じ」

 夜の闇の中で、その言葉だけが浮かぶ。

「あなたは、サキさんに会いたい。」

「私は、夫のところへ行きたい。それに……母のところにも」

「それだけ」

 女性はそう言い切った。

「でも……」

 女性は、少しだけ声を落とす。

「あなたは、本当にサキさんのところに行きたい?」

 答えは、出なかった。

 つい数分前までは、迷いなんてなかったはずなのに。

「あなたが今、ここで終わったら……それって、本当にサキさんのためになるのかな」

 女性の唇が、かすかに震える。

「私はね……」

 声が、少しだけ掠れた。

「もう一度、夫に会うのが夢なの」

 夜の冷気の中で、その言葉だけが滲む。

「名前が必要なほど、遠くない場所で」

 静かな声だった。

「あぁ……」

 喉の奥から、ようやく言葉が落ちる。

「俺もだ。場所なんてどこでもいい。もう一度でも、会えるなら……」

 自分でも驚くほど、素直な声だった。

 女性は、ほんの少しだけ微笑む。

「じゃあ」

「今、終わらせてもいいのね?」

 長い沈黙。

 夜は、まだ終わらない。

「……あぁ、そうだな」

 穏やかな声が、自分の口から出ていた。

「そうね」

 女性は、軽く頷く。

「行きましょう」

 それが何を意味するのか。

生きるのか、死ぬのか。

 そのどちらとも、まだ言い切れないまま。

 そのとき。

――ゴン。

 ガードレールが、鈍い音を立てて凹んだ。

 風に押された何かが、ぶつかったらしい。

 足元を見る。

 ガードレールの側に置いたネリネの花が、ゆっくりと揺れていた。

 視線を上げる。

 そこに、女性はいなかった。

 足音も、気配も、何も残っていない。

 ただ、花束だけが、来た時とは少し違う向きで置かれている。

「……」

 思わず、周囲を見回す。

 たしかに、そこにいたはずなのに。

 夜明け前の空が、わずかに色を変え始めていた。

 ジンは、その場に立ち尽くす。

 何も決めない。

 答えも、まだ出さない。

――おかしいな。

 さっきは、決断できたはずなのに。

 ただ。

 夢の中でもいい。

 会えるなら。

 今夜は、もう一度だけ眠ってみよう。

 今日だったらサキが、こっちに来てくれるかもしれない。

 答え合わせはその後でもいい。

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「夢で逢いましょう」 なかごころひつき @nakagokoro

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