第3話「名を呼ばない声」

第3話「名を呼ばない声」


 深夜一時を回った頃、ジンは意外なほど冷静だった。

 サキが亡くなったとされている、あの時間。

 時計の針がそこへ近づくにつれて、感情はむしろ薄れていく。

 どうやって、自分を終わらせればいいのか。

 そればかりを、考えていた。

 あの時のサキと同じ痛みを味わえばいいのか。

 違う。

 それでは、サキとは一緒になれない。

 別に、俺がどう死ぬかなんて関係ない。

 同じ痛みでも、同じ恐怖でもない。

――ただ、同じ場所にいられればいい。

 そう思って、ここにいる。

 夜の旧道は静まり返っていた。

 風も止み、遠くの生活音すら届かない。

 心臓の鼓動だけが、やけに大きく耳に残る。

「……サキ」

 名前を呼ぶつもりはなかった。

 けれど、確かに口が動いた。

 そのときだった。

「そんな顔で、ここに立つと思ってた」

 背後から、声がした。

 振り返ると、少し離れた場所に女性が立っていた。

 街灯の届かない位置で、輪郭だけが夜に浮かんでいる。

 驚きはあった。

 だが、恐怖はなかった。

――来ると思っていた。

 そんな感覚が、先にあった。

 女性は、ゆっくりと近づいてくる。

 光に照らされて、顔が見えた。

 似ている。

 確かに、似ている。

 だが、同じだとは言い切れない。

 目元、口元、表情の作り方。

 ほんのわずかな違いが、逆に強く意識させた。

「……お前は、サキか?」

 声は、かすれていた。

 女性はすぐには答えず、視線をガードレールへ向けた。

 歪んだ金属の向こうに、何かを見ているようだった。

「前、見てたよね」

 淡々とした口調。

 確認するようでも、責めるようでもない。

 心臓が、強く跳ねた。

「ブレーキ、踏んでたと思う」

 続く言葉に、喉がひくりと鳴る。

「ハンドルも、離してなかったよ」

 どれも、事実だった。

 警察にも、医師にも説明した内容。

 けれど、こうして改めて聞かされると、胸の奥がざわつく。

「……なんで、それを知ってる」

 問いかけると、女性は肩をすくめるように首を傾げた。

「全部、見えてたから」

 否定も、肯定もない言い方。

 責めるでも、慰めるでもない。

 ただ、落ちている事実を拾い上げているだけ。

「……でも、俺がサキを殺した」

 吐き出すように言った。

 何度も胸の中で繰り返してきた言葉だ。

 女性は、静かにこちらを見る。

「あなたは、生きてるじゃない?」

 その一言で、胸が締め付けられた。

「俺はもう、生きてなんていない」

「たまたま、体が残っただけだ」

 何度も、自分に言い聞かせてきた言葉。

 それでも、口にするたびに形を変えてしまう。

「……俺が、代わりに」

 言葉は、途中で崩れた。

 謝りたかった。

 許してほしかった。

 それとも、罰を与えてほしかったのか。

 女性は、ただジンを見つめている。

 答えは、与えない。

「あなたは悪くない」

 その言葉に、違和感が走った。

「悪いのは、その日、ろくに休憩もしないで運転してた対向車線のワゴンの男」

 冷静すぎる口調。

 まるで、判決文を読み上げるみたいに。

 その瞬間、はっきりと分かった。

――違う。

 サキは、こんな言い方をしない。

 こんなふうに、誰かを切り分けるような言葉は使わない。

 胸の奥に、冷たいものが落ちる。

「……お前は、サキじゃない」

 声が低くなる。

「じゃあ、誰だ」

 女性は、少しだけ困ったように目を伏せた。

 夜は静かで、時間だけが進んでいく。

 問いだけが、その場に残っていた。

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