第3話 四角いご飯が食べたい

 沖浦は港で一人ぽつんと立っていた。黒いスーツケースを横に置いて、大きなボストンバッグを体の前で抱えるように持ちながら、どこを見ているかも分からない呆けた顔で突っ立っている。迷子かよ。

 しばらく見物してから声をかけた。


「沖浦、久しぶり」

「うぉぐっ」


ヤツは変な声を出して飛び上がった。島に生息するカエルの声に似ていた。


「えっと、シオリン? どっから現れたのさ」

「普通に横から」

「ええぇ」


自転車を押してきた私の全身を眺めて、すっかり大人の顔になったヤツがへらっと笑う。軽薄な笑い方は相変わらずだった。


「うん、久しぶり。今日からお世話になります、魔薬師まやくし様」

「よかろう。居候として働いてもらうからね」

「うっす」

「というかね、もっと早く連絡しなさいよ! こっちにも準備があるんだから」


ボストンバッグを自転車の後ろのカゴに乗せてやり、昼時の道を並んで歩き出す。バッグの外側にでかでかと書かれた「沖浦」は見えない向きに収めた。


「それマジックで書いたの?」

「名前書いとけば一発かと思って。もう顔じゃ分からないだろうからさ」

「ご親切に」


横目でヤツの顔を盗み見る。ふうん、思ったよりはイケメンになったみたいだ。締まりのない表情が台無しにしてるけど。

 一方の沖浦は堂々と私の顔をガン見してきた。あんた、デリカシーって知ってる?


「シオリン綺麗になったなぁ」

「そう。ありがとう」

「あっはは。そこで照れないのが安定感あるわぁ」


こいつの扱い方は知っている。放っておけば良いのだ。

 ちなみにシオリンはクラス中が呼んでいたあだ名である。男女問わず担任まで呼んでいたので、いまだに本名よりもシオリンの方がしっくりくる感覚が残ったままだ。沖浦は苗字そのまま、もしくは端的にホラ吹きと呼ばれていた。


「担当医から診断書はもらってるけど、体調は特に悪くないんだよね?」

「問題なし。むしろ最近寝てばっかで、元気有り余ってるかも」


わざとらしく腕を回して見せてつけてくる。勢い余って手を前かごに強打し、余計なダメージを負っていた。


「ふむ、頭の方に問題ありと。可哀想に」

「辛辣! 一応は病魔に、いや魔病に? 侵された患者なんだよ。治療受けに来たんだからさぁ!」

「はいはい。うちに着いたら詳しく診察してあげるから」


 こいつは正式名称・突発性体質変異症候群――俗に「魔病まびょう」などと呼ばれる特殊な病気の診断が下っていて、治療のために総本山といえる朧島にやってきた。その症状は人によって様々だ。私が知っているのは眼球に時計の文字盤が現れた人や、金属製の髪が伸び続ける人や、体温が氷点下になった人や、その他もろもろ多種多様。人体ではあり得ない不思議な症状が出るため、魔病などという強烈な俗称が広まってしまったのである。

 その余波で治療を生業とする私たち――正式名称・薬農師やくのうしが「魔薬師まやくし」などと呼ばれるようになった。勝手に錬金術師とか魔女とか呼びたがる人もいる。全てネット発の呼称らしいから困ったものだ。


「でも診察の前にお昼ご飯かな、お腹空いたし。沖浦は食べたいものある?」

「うんとー、四角いご飯が食べたい。あっ」


紫色の瞳がぼわっと光る。さっそく出た、沖浦の症状。

 個人ごとの症状は様々だが、共通事項として瞳が深い紫色になり、時折発光するという特徴がある。だから普通の医者でも診断だけは出来ることになったのだ。


「何となく分かった。予習復習済みだから」

「マジで? 助かる」


沖浦は発する言葉が「英語のイディオムっぽい言い回し」になってしまう症状が発現中である。うん、何を言っているか分からないだろう。私だって謎過ぎると思う。


「四角いご飯、square meal……『ちゃんとしたご飯』だったっけ」

「ざっつらいと! 話が早くて助かるわぁ」


本当は上手な発音ができるはずなのに、隙あらばふざけようとするのが沖浦だ。魔病の原因はそこにあると見当をつけている。


「ちゃんとしたご飯って何よ。具体的には?」

「主食、主菜、副菜そろったやつ」

「最初からそう言えばイディオム回避できたんじゃないの?」

「一言ずつ頭を使うのに疲れたんだよ」


まあ、だからこそ沖浦は誘いに応じて島に来たのだろう。魔病とはそういうものだ。本州にいたら生きづらくて仕方ないから、理解ある場所で治療に専念するのは良い判断だと思う。

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