第2話 スポンジ男がやって来る

 朧島おぼろしまは少し前まで日本地図にも載っていなかった、独自の文化と気候と生態系を受け継ぐ不思議な島である。一応は東京都の所属。ものすごく長きに渡る日本政府との話し合いの末、その存在が公表されて地図に載ったのが平成の初め頃だった。それも大まかな場所に島の形が配置されただけ。緯度経度といった詳細な場所や行き方は、今現在でも関係者以外には伏せられている。

 「魔女の島」。「錬金術師の島」。夢のある名前で好き勝手に呼ばれていても、アニメや漫画に出てくるような魔法使いや錬金術師は存在しない。いるのは医師と薬剤師と農家を一緒に煮詰めたような人々だ。島の固有種を原材料とし、秘伝の製法で特別な薬を育て、患者の症状を見ながら調合と処方をする仕事。私もその一人である。


「今日は……ネギの様子見て、ニンジンに肥料やって、貝の水換えて、大鍋洗って、昼過ぎに船の出迎え……その前に魚のエサやり……」


ぶつぶつと今日のタスクを呟きながら自転車を庭に止め、どの順番で片付けようかと考える。本州の人々が聞いたら農家なのか漁師なのかと首を傾げて聞かれそうだ。

 ふと、庭の水道に置きっぱなしのスポンジが目に入った。


「大鍋洗うのはヤツに任せようかな。spongerいそうろうなんだし」


どうしよう。年々独り言が増えている気がする。これを今から来るヤツに聞かれたら気まずいなぁと思ったけれど、むしろ聞かれているなら良いのかと思うことにした。話し相手がいれば独り言じゃなくなるから。


「ほーれ。ご飯だよ」


庭にある池に魚のエサを撒いたら、物凄い勢いでパクパク動く口が水面を波立たせた。何回見ても凄まじい光景だ。大きな公園にいる池の鯉を想像してもらえば分かると思うが、食欲とか食い意地を通り越した命がけの闘いが垣間見られる一瞬である。でも魚の姿は見えない。ここにいるのはガラスのように透明な種類の魚で、目だけが個体ごとに別の色彩を誇っているのだ。それも左右で違う色だったりする。私に目視できるのは鮮やかな魚眼と、鬼気迫る口の動きによって暴れる水面だけ。

 それから家の裏にある畑を見に行く。立派なネギ坊主が整然と並んでいた。


「今日採るか、明日にするか」


ちょっと迷って今はやめた。こういうのはタイミングが重要だから気が抜けないのだ。今日のうちにもう一回状態を見て、良さそうだったらヤツに手伝わせて収穫しよう。居候はこき使ってやろうと決めている。

 ついでに隣の区画でニンジンを一本引き抜こうとしたら、ポケットの中でスマホが鳴った。まさに考えていた相手からのメッセージだ。


『そういや言うの忘れてたけど、なんか色々あって一本早い便に乗ることになった。到着早くなるからよろ笑』

「……笑ってんじゃないわよ!」


私は慌てて家の中に駆け込んで、スケジュールの調整を試みる羽目になった。会う前から迷惑なヤツ!







 ひとつ、昔話を聞いて欲しい。学生時代の話だ。

 私が高校生だった頃、隣の席にホラ吹きが座っていた。そいつは本名を沖浦おきうらという男子生徒で、体育や実技系の科目も含めて成績優秀なのに、やたらと言動が適当なヤツだった。遅刻の理由を聞かれれば「犬と猫の喧嘩に巻き込まれた」と言ったり、美術部員でもないのに放課後の美術室に入り浸っては「家にゾウがいるから帰りたくない」と言ったり、流行りの歌の感想を聞かれて「にゃー」とだけ言ったり。まったくもって謎である。何かの打ち上げでカラオケに誘う役目が私に回ってきたときも、「んー。豚が飛んだ後に行くよ」という返事だった。

 当然ながら、街の空に豚が飛ぶ機会なんて無いわけで。


「つまり行かないってこと?」

「ごめんね」


そして逃げるように帰ってしまった。何だったんだろう。

 いつも彼はそんな調子だった。へらっとした笑みを浮かべてふわふわした発言をするので、不思議ちゃん枠でくくられていたと思う。無害なので嫌われてはいなかった。そんなヤツが文化祭の呼び込みで本当に法螺貝なんか吹き鳴らしたものだから、彼の称号は不思議ちゃんからホラ吹きに昇格した。まあ、そんな同級生がいたってだけの話だ。



――なぜ昔話なんか始めたかって? もう予想は付いていることだろう。そのホラ吹きが、今から島に上陸するのである!


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