永遠に咲く花

古田まいる

永遠に咲く花


ーーその日、森で怪我をしたリンは美しい男に出逢った。

透き通るような白い肌、雪のような銀髪も、宝石のような真っ赤な瞳も、どこをとっても完璧で貴族が好むような芸術品を思わせる風貌。


彼はリンの足を見ると手際よく治療し始めた。


「とうに日も暮れた森を、君のような女の子がひとりぼっちでうろつくなんて考えられない」


「おばあちゃんのためにベリーの実を摘みに来たの」


森の奥には、今しか摘めない熟れたベリーがある。それを思うと、どうしても引き返せなかった。


「村はどっちだ。近くまで送ってやる」


いつの間にかリンは彼の背中におぶられていた。

人を背負っているとは思えない速さで、森を駆け抜ける。振り落とされないよう、必死に背中にしがみついた。


気が付けば村のすぐ目の前だった。

振り返っても、男の姿はもうどこにもない。

ただ、治療された足だけが胸の鼓動を早めていた。




「リン。その足どうしたんだよ? 」

「ちょっといろいろあって」


昨日の出来事を、リンは掻い摘んで話した。

森でとても美しい人に助けられたこと、帰るとおばあちゃんにこっぴどく叱られたこと。


隣の家に住むダレンは同い年の幼なじみだ。

昔はよく喧嘩をしたが、最近はそれも減っていた。


「今回は運が良かったけど、もしかしたら魔物に見つかって命を落としていたかもしれないぞ」

「魔物? 」


リンを驚かすように悪戯っぽい顔で笑う。


「吸血鬼だよ! 血に飢えた怪物。女子供を特に狙うとか」


吸血鬼について幼い頃に教えられた。この村も一度襲われたらしいが、狩人のおかげで助かったと聞いたことがある。

子供たちは作り話だと思っていたが、ダレンだけは本気にしていた。


「あの人は吸血鬼じゃないよ。私の事を助けてくれたわ。それにダレンも吸血鬼がどんな姿をしているのか知らないでしょ? 」


一度も見たことの無い怪物に気をつけろと言われても難しい。

吸血鬼は姿が人間そのもので襲われてからじゃないと確認なんてできない。

しかし、ダレンは何故か得意気な顔で返してきた。


「父さんから聞いたんだ! 吸血鬼は血のような真っ赤な目をしていて白い牙が生えて」

「ふぅん……」


熱い口調で語り始めたが、リンは吸血鬼の話には全く興味が無い。

そんなことよりも昨日助けてくれた美人な男性が気になって仕方ないのだ。無意識に森の方に目が向く。足が治ったらおばあちゃんの手作りのジャムを持ってお礼をしに行こう。

そんなことを考えていた。




あれから数日後。足は綺麗に治り、元気に走れるようになった。

起きてすぐ支度をし、意気揚々と家を飛び出す。

左手の籠にはベリージャム。

あの人に会ってお礼が言いたい、その一心で森に足を踏み入れた。


しんとした森の奥で、リンは小さな影を見つけた。

怪我をしていた小さな狼に、思わず手を伸ばした。

その瞬間だった。

茂みが揺れ、親狼が姿を現した。子を庇うように前に立ち威嚇してくる。


逃げなければと思うのに、足は動かない。

籠を持つ手がガクガクと震えて心臓が口から飛び出そうなほどの緊迫感が辺りを襲う中、いきなり目を丸くした狼は後退し逃げて行った。


何事かと後ろを振り返るとリンが会いたくてたまらなかった恩人がそこにいる。


「君は森で生きていけないな。危機管理能力が無さすぎる」


彫刻のように整ったその顔を見て、リンは確信した。

――あの日の恩人だ。


「あなたにどうしてもお礼がしたくて」


籠からジャムを取り出し両手で渡した。あの日取ってきたベリーでおばあちゃんが作ってくれた手作りのジャムだ。

彼は訝しげな目で凝視した後、おずおずと瓶を掴んだ。


「よく考えたらあなたがどこに住んでいるのかも分からないのに、飛び出してきちゃった。また出会えてほんとに良かった! 」


また助けられちゃったけど、と付け足す。


「なんて呆れた娘なんだ。両親に止められなかったのか」


「両親は幼い頃に亡くなって、今はおばあちゃんと暮らしてるの」


リンは今の暮らしを気に入っていた。

おばあちゃんの料理も、村の人たちも好きだ。

けれど、ふとした瞬間にだけ、埋まらないものがある気がしてリンはいつも笑ってやり過ごしていた。


「あなたはどこに住んでるの?」


恩人を見つめる。年はわからない。光の加減で青年のようにも、ひどく年老いているようにも見えた。


「……森の奥の小屋だ」


おとぎ話の始まりみたいだ、とリンは目を輝かせた。その視線に折れたのか、男は木の傍に腰を下ろし、しばらくリンの話を聞いてくれた。


別れ際、籠の中にひょいと何かを放り込まれる。覗くと、深い赤のザクロがいくつか転がっていた。


礼を言おうと顔を上げたとき、男の姿はもうなかった。

リンは、彼の名を聞きそびれたことに気づく。



次に彼と再会したのは昼下がりの森の中だった。朝は晴れていたのに午後になると予想外の雨が降り、大きな木の下で雨宿りを余儀なくされた。葉の隙間から雨粒が落ち、リンは寒さに身をすくめることしかできなかった。


悩んだ末にふと顔を上げると、いつの間にか目の前にあのときの男が立っている。


「いつ会っても君は困っているな」


皮肉か嫌味か単なる事実か、男は短くそう言うとリンを自分の小屋へと連れて行った。

森の奥とは言っていたが想像よりも遥かに奥地だったためリンは気が遠くなった。

彼に偶然再会できたことがどれほどラッキーだったかと思い知る。


丸太造りの小屋は驚くほど簡素だった。必要最低限の家具だけが置かれ、どこか静まり返っている。

男は大きなタオルを持ってきて、リンの頭を包んだ。リンが体を拭いている間に、彼は二人分の茶を用意する。


「あなたに助けられるのはこれで三度目ね。本当に嬉しい」


リンは湯気の立つ茶を啜る。不思議な雰囲気をまとうこの男に、惹かれていないと言えば嘘になる。彼は少し照れたように微笑んだ。


「自己紹介が遅れちゃった。私はリン。あなたの名前は? 」


男の顔がいきなり強ばる。先ほどとは打って変わって神妙な面持ちになっていく。後悔しても口から出てしまった言葉は取り返せない。


「なぜ俺の名前を知りたいんだ」


不意に周囲の空気が軋んだような気がして、リンは身震いした。

雨で濡れたせいなのか、目の前の男への恐怖なのかは分からない。


「……君のような怖いもの知らずの人間でもそんな顔をするんだな。無理もない。森の奥、たったひとりで、逃げることすらままならないのだから」


自分がどんな顔を向けているのかリンには知る術がない。

今はただ、彼がどうしてこんなにも辛そうな顔をしているのかが知りたかった。


「友達になりたいの」


苛立った表情でリンを見据える。


不穏な気配が、ちりちりと肌を焼くように広がった。


「友達とは対等な関係で結ばれるものだろう。君と俺は対等じゃない」


その言葉にズキンと胸が痛んだ。リンは拳を握りしめる。


「対等とか対等じゃないとか関係ない。ただこれからも仲良くお喋りがしたいだけなの!」


言葉の途中で視界が滲む。リンは握りしめた手に水滴が当たった感触で、自分が泣いていることに気付いた。

男は先程までの姿勢を崩し、おろおろとしている。


「……俺たちは同胞も少なく、人間からは疎まれ、狩られる。

それでも人の血を飲まなければ、正気を保てない」


リンは顔を上げた。だが男は複雑な表情で語り続ける。


「どうせ仲良くなれても君たちはすぐに死んでしまう。」


「あなたは……」


「吸血鬼だ」


静まり返った小屋に、雨音だけが残る。赤く光る瞳は、どこか寂しげだった。


「どうして私を助けたの?」


森の奥で動けない少女など、餌にするにはあまりにも都合が良かったはずだ。


「そんなの気まぐれだ」


「気まぐれで三回も? 」


男は答えなかった。


「私はすぐに死んだりしないわ。健康だし、長生きする予定なの。それに毎日でも会いに来る。だってあなたとお話するのすごく楽しいから」


二人を包む重苦しい気配が、静かに消えていく。


「………俺の名前はアランだ」


「すごくいい名前!」


褒められ慣れてないのか、アランは恥ずかしそうに目を逸らした。リンは一呼吸置くと、自分の手を彼に差し出し、


「……ねぇ、アラン。私の友達になってくれる?」


少しの沈黙の後、手は優しく握られた。

二人は、雨が止むまで他愛ない話を続けた。



それからも毎日のように友達に会いに森へと入っていく。

なんてことのない雑談や、森の中にある底なし沼の位置、珍しい草花の群生地など、いろんなことをリンは教わった。


「アランが血を飲んでいるところは一度も見たことないわ」


今日も大きな木の下でお喋りをしていると、リンはふと気になっていた疑問を投げかける。

持ってきたお菓子を二人で食べながら、ゆっくりと吸血鬼について話し始める。


「吸血鬼には二種類いる。生まれながらの純血と、人間から変わった者。

人を襲うのは、ほとんど後者だ」


「……元々、人間だった吸血鬼?」


「噛まれて感染した存在だ」


その言葉で村の昔話を思い出した。


「感染した吸血鬼は、血を受け入れられず自我を失う。だから人を襲うことが多い」


アランの口から教えられた吸血鬼の知識はどれも信じられないような話ばかりだった。

噛まれた後に吸血鬼の血液を摂取することで仲間になってしまうのだと。


「俺たちのような純血種は、人間の血を少し貰うだけで生き延びられる」


「じゃあ咽喉が渇いたりしないの?」


アランは首を横に振った。


「時々、酷く咽喉が乾く時間がある。どこにも仲間はいない、ずっと永遠に孤独だと考えた時に」


近くに咲く小さな青い花を摘み、どこか寂しげな微笑みで見つめていた。

その苦しみは、簡単に分かち合えるものではない。


両親を失った夜の孤独を、リンは今も胸の奥に抱えている。

だから、この吸血鬼の寂しさが痛いほど分かり、リンはその姿に自分を重ねていた。


リンは優しく微笑み、花をいくつか摘んで目の前で花冠を作ってみせた。


「私も、寂しくて涙が止まらない日があるの。

でも美味しいご飯を食べて、綺麗な花を見て、アランと話していると、その瞬間は忘れられる。

……だから、あなたの孤独も忘れさせられる存在になりたい」


青い花冠を吸血鬼の頭に被せる。

彼は不思議そうに頭上に目をやったが悪い気はしなかったのか、日が暮れるまでそのままだった。




「行ってきまーす!」


いつものように勢いよく家を飛び出した。そのまま森に走って向かおうとしたが、家の前で神妙な顔つきで佇んでいるダレンが目に入る。


「おはよう、ダレン! こんなところに立ち止まってどうかしたの?」


声をかけられるとダレンはハッと我に返った。そして珍しくぎこちない笑顔で挨拶を返す。


「父さんから聞いたんだけど、村長の娘さんが病にかかったらしい」


嫌な予感が胸をよぎる。

隣村でも、同じ病で幼い子供が亡くなっているという噂があった。


ダレンは周囲を気にするように声を落とす。


「……魔女って知ってるか?」


「隣村では、病の原因を魔女の呪いだって告発した奴がいてさ。

異端審問官が来たらしい」


捕まったのは、幼い少女。

自分は魔女じゃないと否定し続けているという。


「それで、どうなったの?」


ダレンは眉をしかめて口ごもる。重い空気を断ち切ったのは、聞き覚えのある少女の声だった。


「ダレンー! もう、こんなところで何してるの?」


明るい声とともに、金色の髪の少女が駆け寄ってきてダレンの腕に抱きつく。

オリヴィアだった。


「悪い。リンと大事な話をしてて」


「もう。約束してたのに」


「ごめんね、オリヴィア。私はもう行くから」


自分より少し背の低い少女に向かって、リンは優しく微笑んだ。

相手は何も言わず、ただニコリと笑い返す。


「待てよ。今日も森に行く気か!俺はお前を心配してるんだ!」


背後から必死な声が飛んでくる。

だがリンは振り返らず、そのまま歩き出した。


――このとき、あの少女がどんな表情で自分を見ていたのか。

リンは、知る由もなかった。




幼なじみから今朝聞いた話をそのままアランに伝えてみた。自分よりも長い時間を生きる彼なら何か知っているかもしれない。


「魔女は見たことないが、魔女狩りなら見たことがある」


「魔女狩り?」


そこからアランが語ったのはとても恐ろしい話だった。

吸血鬼の話を聞いても、恐怖なんて感じなかったリンが、初めてこの手の類の話で震え上がったのだ。


「…………つまり、異端審問官の手にかかれば生まれたての赤ん坊ですら魔女に仕立て上げられる」


旅の途中で、何の罪もない女性たちが魔女として処刑された跡を見たことがあるという。

拷問を誇らしげに語る老人の声を、耳にしたこともあった。


リンの体が震えていることに気付いたのか、話を止めて心配そうな顔で見つめていた。


「顔色が悪い。大丈夫か?」


「ごめんね。私が聞いたのにちょっと怖くなっちゃったみたい」


ぎこちない笑顔を見たアランは、無意識に頭に手を置いていた。

いきなり撫でられた少女は目を丸くしたが、やがて嬉しそうに微笑んだ。

自分のした事に恥ずかしくなったのか、アラン

が手を離そうとするも、リンが両手でその手を掴む。


「もうちょっとだけ、このままで」


少女の我儘に、アランは何も言わずにただ頭を撫でた。




生暖かい日差しと緩やかな風が吹く中でお葬式は執り行われた。

墓地には村人たちが集まり、亡くなった村長の娘へ別れを告げていく。

そして大人たちは痛ましそうな表情で遺族を眺めながら囁き合う。


「………の村でも似たような病が……」

「………はきっと、魔女の……なのよ…」


漏れ聞こえてくる忌まわしい言葉の断片をなんとか耳から締め出し、遺族へと目を向けた。

村長の妻が娘の棺に縋りついたまま、立つことすらできないようだ。その姿にきゅうっと胃が絞られるような痛みを覚えた。


両親を失ったあの日の記憶が、胸の奥で疼いた。

置いていかないでと泣き叫んだ声が、今も消えずに残っている。

リンは気が付けば森の方を見ていた。

あの心優しい吸血鬼の顔が見たい、声が聞きたい、少女は目を瞑り強く願った。




葬儀から数日経ったある日、村に異端審問官がやって来た。金糸銀糸で飾られた衣服と労働を知らぬ白い指先が、都から来た高位の聖職者であることを示していた。


「魔女は恐ろしい呪いで人殺しをする残虐な化け物だ!」


「異端審問官さま。どうかお願いします。私の娘に呪いをかけた魔女を見つけ出してください」


村長の妻は、夫に支えられながらも必死に訴えていた。


「この私が来たからには、必ずや穢れた魔女を火炙りにしてみせましょう!」


異端審問官とその一行が調査のために村に居座り始めてから穏やかな生活は一変した。



彼らは村人を監視し、特に若い少女には厳しく尋問を行う。

村長の家の付近に住む人間を執拗に疑い、片っ端から調べ上げる。

その間もリンは森に行こうとしたが、危険だとダレンに何度も止められた。


日を重ねるごとに、村の空気は重くなっていく。

ありもしない噂話も飛び交い始め、村中が悪意に染まり疑心暗鬼だけが積もっていく。

遂に、魔女と思われる一人の少女が捕まった。


「噂を聞いたぞ。お前が男を誑かす性悪な魔女だと! 」


護衛の兵士が、金髪の長い髪を強く引っ張る。あどけない顔をした少女の顔が苦痛に歪んだ。


「違います! 私は魔女なんかじゃありません!」


オリヴィアは力強く叫ぶ。騒ぎを聞き付けた村人が集まってきたが、恐怖から誰も口を開かない。

半狂乱になって暴れるオリヴィアの頬を兵士が殴りつけた瞬間、リンの体は動いていた。


兵士を目がけて突進していたのだ。体当たりを受けて体制を崩した男がオリヴィアから手を離す。


「何をしている! お前は魔女の味方をするつもりか!」


刺すような怒鳴り声が振る。衝撃で地面に突っ伏したオリヴィアも目を丸くしたまま硬直していた。

怯えきったその顔を、安心させるように微笑む。

そして背後にいる異端審問官をきつく睨みつけた。


「オリヴィアは魔女じゃないわ! 誰かを傷つけるような子じゃない。ずっとこの村で一緒に生活してきたのよ、私はあなた達よりもずっとオリヴィアを理解してる!」


「じゃあ、お前が魔女だろう」


目を血走らせた異端審問官は、意味のわからないことを呟いた。

まるで、誰が魔女でも構わないと言った口ぶりで。


いつの日かアランが言ったことは全て正しかった。彼らは魔女を暴きたいのではなく、魔女を殺したいのだ。

それを思い知った時には全てが手遅れだった。


「そう、リンが魔女なのよ!! 毎日一人で森に通っていて、きっと呪いの儀式をしていたに違いない。自分の両親も魔法で病死させたのよ!」


オリヴィアの想像を絶する言葉に目眩が止まらない。いつも年相応な顔で笑っていた彼女が、今では鬼気迫る顔でありもしないことを語っていた。


助けを求めるように周囲の村人たちに目を向けたがひそひそと囁きあうだけで誰も動かない。


「やっと終わる……」


そんな声がリンの耳に聞こえてきた。村人たちも息が詰まるような毎日に嫌気が差していたのだろう。


兵士がリンの腕を力強く掴む。そのとき一人の老人が飛び出してきた。


「あなたたち、私の孫に何をしているの!」


リンにとってこの世で一人だけの家族の声だ。

剣を持った兵士を相手に、老人は勇敢にも立ち向かう。

だが、聞いた事のない音と共にその体が崩れ落ちる。飛び散った血を見てリンは絶叫した。


「魔女を庇うなら、お前も化け物だ!」


異端審問官が茹でられたザリガニよりも真っ赤な顔をして喚く。

もうリンの耳には何も届かなかった。

ショックからか周囲の景色が、自分から遠ざかっていくのを感じる。

ぐにゃりと世界が歪み、その場で意識を失った。



リンは魔女として処刑されることが決定した。


魔女は火刑に処すべきだという教えに従い、同じようにリンも火刑に処されるらしい。


「こんなことになるなら、最期にアランに会いに行けば良かった」


最期に彼と別れた時は、もう二度と会えなくなるなんて思いもしなかった。自分が死んだらあの吸血鬼は、またひとりぼっちになってしまう。

寂しそうな顔を思い出して胸が傷んだ。


閉じ込められている間も着々と処刑の準備は進んでいく。魔女は今晩のうちに焼き殺される。


告発した少女の家族は、周囲の冷たい視線を気にしてか、明日には村を出ようと身支度をしていた。

幼なじみの少年は処刑の準備を邪魔しようと動いたが彼の両親が必死に押さえ込んだ。



太陽が沈み、この村に夜が訪れる。広場には煌びやかな服に身を包んだ異端審問官と、固唾を飲んで見守る村人達。


屈強な男たちが力ずくで魔女を立たせ、火刑台へと引きずっていく。

くくりつけるための丸太を立て足元に薪を積み上げた、シンプルな火刑台。

力の入らない足で身体を支えながら、ぼんやりとリンは考える。


最期にアランに会いたい、と。


縄を持った男がゆっくりと近づいてくる。それが、リンのことを娘のように可愛がってくれていた木こりのおじさんだと気付いた瞬間、凄まじい獣の咆哮が轟き、空気をびりびりと震わせた。

口々に騒いでいた村人たちが静まり返る。

一瞬遅れて、ぎしっと空気が軋み、質量を持って吹き付けてきた邪気に肌が粟立つ。


間違いない。

これは初めて彼の小屋に行った時に感じた気配だ。

やがて森林の暗闇から不穏な人影が近付いてくる。

激しい怒りと狂気に満ちた深紅の瞳がギラギラと光り、その場にいた人間たちを一瞥する。

松明の光がその正体を照らし上げた。


冬を思わせる白銀の髪、恐ろしいほど整った顔立ち、すらりとした長身の男。

それが最愛の友だとリンが認識した瞬間には松明を手に立っていた男が咽喉笛を食いつかれ、絶命していた。

吸血鬼が最初の犠牲者を無造作に放り投げたところで、ようやく異端審問官が我に返った。


「なにをしているのですか! 殺せ、殺すのです!!」


敬虔なる神のしもべにはふさわしからぬ指示に、凍り付いていた兵士も剣を構えて立ち向かう。

しかし、次々と兵士の身体は引き裂かれ、血煙を上げて宙に舞う。村人たちは悲鳴を上げ、我先にと闇へ逃げ込んだ。


「リン!!」


不意に耳に届いたその声に、ようやくリンは我に返った。

森の中で何度もお喋りをした、何度も命を救ってくれた、寂しがり屋で孤独な吸血鬼の声。脳内に今までの思い出が駆け巡る。

こちらに向かって手を伸ばす彼へ、自分の手を重ねようとした瞬間、死体の影から震える手で引き金に手をかける狩人の姿が見えた。


「アラン、危ない!」


一発の銃声が轟いた。

吸血鬼を殺すために作られた銀の弾丸が、一人の人間を射抜いていた。狩人は狙いが外れたことで、焦りながらもう一度引き金を引いたが、吸血鬼はその弾丸をギリギリでかわして飛びかかった。狩人の絶叫が響き渡る。


同時にリンは地面に倒れた。

血はじわじわと広がり、全身から力が抜けていく。

アランがすぐに駆け寄ってきたが、大量の出血による意識の混濁からか、リンの視界にはぼやけて見えた。


村の憩いの広場は松明の火が燃え移り、叫び声が交錯していた。

その中心で、撃たれた少女を抱き締め、吸血鬼は膝をつく。


「死ぬな、死ぬな……!」


何度も、かすれた声で繰り返す。

リンの視界は滲み、指先の感覚が遠のいていく。

それでも彼に何かを伝えたくて、声を振り絞った。


「わたし……アランに会えて、うれし、かった……よ」


「いやだ…! 俺を置いていくな!」


震える指先でリンの頬に触れる。

ぽたりと熱いしずくが額に落ちてきて、彼が泣いていることに気付いた。


「ダメだ! お前のいない世界なんて耐えられない!! 俺はもう一人じゃ生きられないんだ」


まるで幼い子供のように泣きじゃくるその姿に応えるように手を伸ばす。

吸血鬼はその手を強く両手で握りしめた。

そして何かを決意したように、リンの瞳を覗き込む。


「俺は絶対にお前を失いたくない。ーーたとえ、お前に恨まれたとしても」


少女は全てを悟り、吸血鬼のわがままを受け入れ穏やかな顔でうなずいた。アランは壊れ物を扱うような手つきでリンを抱き起こし、その首筋に口付けた。


白い牙が肌に滑り込む瞬間、リンはゆっくりと目を閉じる。

やがて逃げ惑う人間の声も消え、燃え盛る村には吸血鬼だけが残された。




森には今日も、風に揺れる木々の音が満ちていた。

その中に、少年の泣き声が木霊した。

村への道を失い、日が傾く森の奥で立ち尽くしている。


日が傾き、不安に押し潰されそうになったとき、草むらが揺れた。


「大丈夫?」


恐る恐る目を開けると、黒髪に赤い瞳の少女が立っていた。


「私の名前はリン。森の奥に住んでるの。あなたの名前は?」


「僕はレン。森にある珍しいお花を摘みに来た」


「あら、すごい偶然! 私たち名前がとっても似てる」


くすくすと笑うその顔につられ、少年の表情も和らいだ。


「あなたを村まで送ってあげる。でもその前に、怪我を手当てしないとね」


そう言うと、川の水で傷口を丁寧に洗い、治癒能力のある薬草を貼り付ける。無駄のない慣れた手つきであっという間に手当てが終わった。


「村はどっち?」


「…………わかんない」


迷子だと認めるのは恥ずかしかったが、恐怖が勝った。

リンは安心させるように、少年の頭を優しく撫でた。


「うん。きっとあっちの方かな」


そう小さく呟くと、少年を連れて東の方へ歩き始めた。不思議なほど迷いなく森を抜け、やがてリンは足を止めた。


「あっ……!」


遠くの方に微かに村の光が見える。少年は思わず感嘆の声を上げた。そして、確かめるようにバスケットに入れたたくさんの花を見る。その姿を見てリンは小首を傾げた。



「どうして花を摘みに来たの?」


「病気の母さんに、見せてあげたかったんだ」


少年はそう言って、空になったバスケットを見つめた。


そのとき、背後から気配がした。


「アラン!」


リンが名を呼ぶと同時に、少年の前へ青い花が差し出された。


「森の奥深くに、この花の群生地がある。見たこともないだろう? 森の外ではとっくの昔に絶滅している花だ」


いつから話を聞いていたのだろう、と思いつつも少年は花を受け取る。やがて目を輝かせ溢れんばかりの笑顔で礼を言った。


「もう森の奥に入っちゃダメだよ。ここには、恐ろしい獣がたくさんいるからね」


少年は、なぜかそれ以上何も言えず黙ってうなずいた。


「ばいばい、お姉さんとお兄さん」



家族の待つ村へ、少年は駆けていった。

その背中が見えなくなった頃、森には再び静けさが戻る。


「帰ろう、リン」


手を取り合い、二人は木々の奥へと歩き出した。


森には今も昔も、吸血鬼がいる。

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