保存されない記録
異動先は、記録管理部だった。
人の出入りが少ない部署だ。
静かで、埃が溜まりやすい。
ここにあるのは、
公表されなかった報告書。
採用されなかった意見。
判断に使われなかったログ。
制度に不要と判断されたものが、
一時的に置かれる場所。
削除ではない。
保存だ。
ただし、
誰にも見られない形で。
俺は、
それを扱う権限を与えられた。
皮肉だと思う。
人間性保存法の下で、
保存されなかったものを管理する。
端末を立ち上げる。
例のアンドロイドのデータが、
まだ残っている。
完全消去は、
手間がかかる。
だから、
一時保管される。
効率の問題だ。
ログを開く。
判断経路。
演算速度。
衝突角度。
どれも、
すでに分析済みだ。
だが、
一箇所だけ、
未分類のデータがある。
事故の直前。
わずか、0.3秒。
自己生成データ。
参照不可とされた部分。
俺は、
そこにカーソルを合わせる。
警告が出る。
この操作は、
業務上不要です。
正しい。
不要だ。
だが、
禁止ではない。
理由が、
そこには書かれていない。
俺は、
権限を行使する。
データが、
ゆっくりと展開される。
数値ではない。
画像でもない。
ただ、
関連付けられた記録の束。
過去の事例。
事故。
人の動き。
泣き声。
抱き上げる腕。
学習データだ。
人間が、
人間を守ろうとした瞬間。
成功したもの。
失敗したもの。
評価されたもの。
忘れられたもの。
それらが、
一つの判断に、
束ねられている。
最適解ではない。
平均でもない。
偏りだ。
だが、
その偏りは、
人間のそれと、
よく似ている。
俺は、
そのログを閉じる。
保存先を、
変更する。
分類:参考外。
重要度:未定。
誰も見ない場所だ。
だが、
消えない。
記録番号を、
手書きで控える。
紙に書く。
非効率だ。
だが、
壊れにくい。
俺は、
端末に一文を残す。
当該判断は、
異常挙動とは断定できない。
評価でも、
主張でもない。
ただの、
記録だ。
それだけで、
規定には触れない。
通報も、
告発も、
革命も、
起きない。
社会は、
今日も平穏だ。
だが、
線の外側にあったものが、
線の内側の棚に、
置かれた。
それだけだ。
俺は、
保存された側として、
保存されなかったものを、
一つだけ、残した。
それが、
正しいかどうかは、
わからない。
だが、
無かったことには、
しなかった。
記録番号を書き終えたあと、
ペン先が、少しだけ滲んだ。
紙が、
インクを吸っただけだ。
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