人間のかたち
庁舎のエントランスは、いつも少し冷えている。
空調の問題じゃない。人が集まる場所特有の、温度だ。
受付の前で立ち止まると、認証が始まる。
網膜、脳波、義体ID。
三つ揃って、ようやく扉が開く。
人間としての確認。
それ以上でも、それ以下でもない。
通路を歩く。
足音がしない。
義体の足は、そういう設計になっている。
廊下の向こうから、同僚が来る。
生身だ。
肩の動きでわかる。微妙なズレがある。
「おはよう」
声をかけられる。
俺は頷く。
声を出すタイミングを、一拍遅らせる癖がついた。
人間らしく聞こえるらしい。
彼の視線が、俺の首元で一瞬止まる。
脳接続ポート。
隠しても無意味だ。
「今日、現場?」
「ああ」
それ以上は聞かれない。
聞かれないのが、正解だ。
会議室には、すでに何人か集まっている。
生身が二人。
義体が三人。
アンドロイドが一体。
席は自然と分かれている。
誰も指示していない。
誰も疑問に思っていない。
アンドロイドは壁際に立っている。
椅子はある。
使われない。
プロジェクターが点灯し、映像が出る。
昨日の事故現場だ。
交差点。
横断歩道。
血はない。
義体用の破片だけが散っている。
「自己保存違反」
誰かが言う。
事実だ。
評価項目として。
俺は黙ってログを見る。
時間、速度、判断経路。
そこに、子供が映る。
小さな影が、フレームの端に入る。
走っている。
信号は赤だ。
次の瞬間、問題のアンドロイドが進路を変える。
速度を落とさない。
回避行動でもない。
衝突。
映像が止まる。
室内は静かだ。
誰も息を呑まない。
「廃棄でいいな」
誰かが言う。
反対意見は出ない。
アンドロイドは、表情を変えない。
設計通りだ。
「理由は?」
俺が聞く。
全員が、少しだけこちらを見る。
質問の意図を測っている。
「異常挙動だろ」
「規定に反している」
「前例もある」
正しい答えが、順番に並ぶ。
アンドロイドに視線を向ける。
彼は、こちらを見ていない。
子供の位置を、まだ追っている。
「本人に聞いた?」
一瞬、間が空く。
「聞く必要はない」
そうだ。
必要はない。
それでも、俺は言う。
「聞かせてくれ」
誰も止めない。
止める理由もない。
アンドロイドが口を開く。
「命令はありませんでした」
「では、なぜ進路を変えた」
「誰かが、そこにいました」
それだけだ。
データも、理屈も、続かない。
室内の空気が、わずかに軋む。
誰かが咳払いをする。
「感情を模倣しているだけだ」
「学習の偏りだろう」
「危険だ」
言葉が、彼を囲む。
俺は、なぜか思い出してしまう。
初めて、子供を抱いた時のことを。
軽すぎて、怖かった。
壊れてしまいそうで。
あの時、理由なんてなかった。
守らなきゃ、と思っただけだ。
「報告は俺がまとめる」
そう言うと、会議は終わった。
決定事項は変わらない。
廊下に出ると、窓の外で都市が動いている。
何事もなかったように。
アンドロイドが、隣に立つ。
「あなたは、人間ですね」
確認するような声だ。
「そういうことになっている」
答えると、彼は少し考える。
「では、私は何ですか」
俺は答えなかった。
人間のかたちを、
俺自身が、もう説明できなくなっていたから。
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