第10話 告白

 それはたぶん、遠い昔の事だったと思う。記憶の中の母は朧げで顔立ちも髪の色も覚えていない。ただ、何処か遠い世界を見ている様なアメジストの瞳だけが印象に残っていた。

 あらゆる属性に通じ、天候さえも操る事が出来ると言われた稀代の魔法使い。「魔女」と尊称されていた人だと後に知った。彼女が見る世界はだから、きっと凡人とは違っていたのだろう。

 それは、自分が3つか4つの時だったと思う。小さい頃から病弱で、度々熱を出して寝込んでいた彼は、この時も確か熱を出して苦しんでいた。母は、そんな彼の髪を撫でて、紫色の瞳で見下ろしていた。

「ディオン。あなたは魔力が多すぎる。この私以上に。」

当時の事で、他に覚えいる記憶は何一つ無いのに、その日の事は何故か鮮明に脳裏に焼き付いていた。

「このままではあなたは死んでしまう。だから、今は封印するわ。いつか、あなたが耐えられる様になったら、少しずつ封印は解けていくでしょう。」

そんな事が果たして出来るのか。師について属性魔法を覚え、様々な文献や魔法書を漁って種々の魔法を身に付けたが、母が使った封印魔法に出会う事は無かった。そもそも封印魔法は、どの魔法書にも載ってはいない。失われた魔法なのか、秘匿とされている魔法なのか。

唯一記述されているのは、かつて『魔王』と呼ばれた者を封印魔法で封じた、という古代の文献だけだった。

 複雑な文字列の魔法陣。その刻印を母は幼い子供の胸に刻んだ。自分の一部が縛りつけられるような、凍りつくような激しい痛みに、死を間近に感じたのを覚えている。

 意識が混濁し、過去と現実が混沌としていた。刻印が刻まれた場所。心臓に、キリで穴を広げられていく様な激痛が走る。其処から溢れ出す熱い奔流は、体内をぐちゃぐちゃにかき混ぜて更なる痛みを引き起こしていた。

 レティを治すと決めた時に、この苦しみは覚悟していた。そして、その代償故に、命が尽きてしまうかも知れない事も。それでも、躊躇う事は無かった。治癒魔法を使わずに少年の命が失われれば、死ぬよりも苦しむ事になるから。取れる手段があるのに使わなかった事を二度と後悔したくなかったから。

苦しい。息が出来ない。

胸を掻きむしり、ディオンは呻き声をあげた。

「ディオン。」

遠くで、誰かが呼ぶ声が聞こえた。

「ディオン、飲んで。」

冷たい何かが唇に触れる。口の中に、ドロリとした液体が入り込み、彼はむせた。

「ディオン、お願い。」

それは、泣いているような少女の声だった。

「このままじゃ、本当に死んじゃう。」

高熱と痛みで朦朧とする頭を叱咤し、彼は必至に重い瞼を開けた。

黒髪に緑色の瞳の美しい娘。

温かい雫が、ぽとん、と彼の頬に落ちた。

「フィー・・・・。」

どうして彼女は泣いているのだろうか。どんな時も、明るくて笑顔が絶えなくて、前向きなのがフィーなのに。

 何が彼女を泣かせているのだろうか。泣くよりも、戦って、打ち勝って、掴み取る事を信条としている彼女を何が追い詰めているのだろう。

 一度だけ、フィーが泣いている姿を見た事がある。彼女の仲間が—今は自分の仲間でもあるが―罠に嵌められて連れ去られた時だ。

 手を伸ばして、髪を撫でてやりたくても、体は鉛の様に重く動かない。自分の体なのに自分の体では無い様で、彼は少女を慰められない自分に、もどかしさを覚えた。

「泣かないで。」

苦しい呼吸の合間から、ようやく掠れる声で囁いた。

「フィー。」

彼女のエメラルドの瞳が大きく見開かれる。

これ以上泣かせたくなくて言葉を紡いだ筈なのに、その目からは大粒の涙が溢れて、ボロボロと零れ落ちた。

「ディオン。」

首に腕を回して、フィーはディオンに抱き着いた。柔らかな胸の膨らみが押し付けられる。直ぐ近くに、緑の瞳と、濡れた様に紅い唇があった。

「ディオン、私・・・。」

今言わなければ、もう言う機会を失ってしまうかも知れない。

フィーは、張り裂けそうな心のままに口を開いた。

そして、言わなければ、この人はその気持ちを知っていても知らない振りを通そうとするだろう。

 いなくなってしまうかもしれないという現実に直面して、彼女は初めて、失う事の怖さを知った。いつかは、二度と来ないかもしれない。日常は何時までも続かない。死はいつも突然で、永遠の離別を求める。

だからこそ、掴める時に掴む努力をしなければ、一生悔やんでも悔やみきれない事になるだろう。

「私、ディオンの事が好き。」

榛色の瞳を見つめて熱く耳元に囁く。

「私にディオンの子供を産ませて。」

 ディオンの目が、大きく見開かれる。何かを言おうとする口を塞ぐ様に、フィーは唇を重ねた。

「だから死なないで。ディオン、死んじゃダメ。」

「死なない。」

彼は穏やかな眼差しでフィーを見上げた。

「だから、泣かないで・・・。」

それが、最期の言葉の様で。

フィーは抱き締める腕に力を込めた。その命を少しでも、この世界に留めて置ける様に。

 ゆっくりと、ディオンの目が閉じていく。そして、彼は再び意識を失った。



 





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