第8話 治癒
その日は朝から不調だった。全身が怠く、頭の芯がズキズキと痛む。ディオンは肌寒さに身震いしながら厚いマントを羽織って階下に降りた。
「レティは?」
「今日はバドと狩りに行ってますよ。それよりディオンさん、その格好は・・・。」
「何か寒くて。」
彼が言うのと同時に、暖炉の薪が燃え上がった。魔法で火を着けたらしい。ディオンは、赤い炎の前で暖をとりながら身震いした。
「今日はすごく寒いよね。」
「いえ、其処までは。」
「寒くないけど。」
リオとフィーは目を丸くして顔を見合わせた。確かに朝夕冷え込む季節になっているが、真冬のマントを着込む程では無い。厚めの長袖で程よい感じだ。
暖炉の火が燃えているせいで、2人にはそれさえも暑く感じられた。
フィーは懐疑的な眼差しで、ディオンの額に手を伸ばした。
「うーん、熱は無さそうだけど。喉は痛くない?」
「頭が痛い。」
「寒暖差がありますから風邪を引いたのかもしれないですね。たぶん熱が上がる前兆だと思います。薬湯を作るので、それを飲んで休んでいた方がいいですよ。」
「うん、そうする。」
だから、その気配に気付くのが遅れてしまった。或いは、狩りぐらいなら大丈夫だと、油断していたのかも知れない。
暖炉にあたりながらうとうとしていた彼は、浅い眠りを掻き消す様な、全身の血が引く様な悪い予感に飛び起きた。いつも輝く様な気配が急速に弱くなっていく。知らず外に飛び出していた。
「ディオン!」
誰かが呼び止める声が聞こえたが、今はそれどころでは無かった。一瞬一刻を争う、時間との戦いだ。
風の魔法で加速しながら、索敵魔法で敵を捉える。感情が魔力を伴って具現化する。彼は見えない手で、魔獣の心臓を握り潰した。
「ハァハァハァハァ・・・。」
たったそれだけの事なのに、今日はいつもより負荷が大きい。こみ上げる不快感を呑み下し、肩で荒く息をする。
まだ脅威は去っていない。レティともう1人、その2人の元に魔獣が集まっている。フィーがいるならともかく、今の2人に捌ける数では無い。
ディオンは更に速度を上げた。森の中に、ようやく人の姿を見つけた。レティは腕と背中から血を流し、隣の男に半ば抱えられていた。
後悔と怒りと。
溢れる感情のままに腕を振るう。十数体、2人に襲いかかろうとしていたエルダーライガーの群は、バットで殴られた様に吹っ飛び、木や地面に叩きつけられて絶命した。
「レティ、ごめん。」
「やっぱ、ディオンか・・・。」
レティは青ざめた血の気の無い顔で力無く笑った。
「サンキュー。助かった・・・・。」
安堵した様に呟いて意識を失う。その体を抱き留めて、啞然としているもう1人の男を見た。
「俺の手を離さないでね。とにかく魔法でここから離脱するから。」
家迄辿り着くと、其処にはリオとフィー、そしてサファが待ち構えていた。血塗れで意識の無い青年を見て、顔色を変えて走り寄る。中級冒険者に匹敵する強さを持つ彼が、ここまで負傷する事はこれまで無かった。今更の様に、突然仲間を失う事もあるのだと思い知らされる。
「レティ!」
「レティ、大丈夫!」
「レティ、怪我してるじゃねえか。」
「上位種だ。」
バドが短く答えた。
「エルダーライガーの大きなやつだった。」
「そこのベッドに運んでくれる?」
そう言うディオンも、青ざめた顔で額から汗が流れていた。激しく肩で呼吸をしながら、額の汗を拭う。その傍らに、ランが寄り添って、手をペロペロ舐めた。
「〈クリーン〉」
傷口の血を洗い流し、負傷している右腕の怪我の様子を確かめた。深い傷だ。腱も損傷しているかも知れない。千切れ無かっただけマシだったというべきだろう。
彼は大きく深呼吸をし、フィーとリオを見つめた。
「あとは宜しくね。」
その一言が妙に不吉に胸に響いた。止めなくてはいけない、そう思わせる程に。だが、何かに縛られた様に2人は動けなかった。
ディオンが目を閉じると、柔らかな光がレティを包んだ。抉れた肉が盛り上がり、皮膚が形成されていく。背中の傷も、小さな裂傷も、まるで何事も無かった様に綺麗になった。
苦しそうなレティの表情が穏やかになる。失った血と体力は時間をかけて戻るのを待つしか無いが、怪我自体は完全に治っていた。
「すげぇ。これって治癒魔法?」
サファが目を輝かせた。
上級ポーションでも、それに近い効果はあるが、上級ポーション自体普通は見る事も無いしろものだ。ディオンの魔法は、まさに奇跡の様だった。
「うん、これで、大丈夫。」
小さく呟いた、ディオンの体がゆっくりと前に傾いた。
「ディオン!」
呪縛から解けた様に、フィーは素早く近寄り倒れていく男の体を受け止めた。触れた肌が燃える様に熱い。速い鼓動と浅く弱い呼吸に、胸が締め付けられた。
「部屋に運ぼう。」
リオはフィーの肩に手を置いた。
「たぶん、今回は長くなる。」
フィーはギュッとディオンの体を抱き締め、両腕で抱え上げた。身体強化を使わずとも、彼ぐらいの体重なら、普通に持ち上げられる程には鍛えている。
「サファ、バド、レティを見ててくれ。直ぐに戻る。」
程なくして、リオは階下に戻った。とはいえ、出来る事は多くは無い。後は2人が自然に回復するのを待つだけだ。
「治癒魔法は万能じゃない。」
バドとサファに、釘を差す様にリオは説明した。
「見て分かったと思うけど、魔法を使う方にも反動があるんだ。たぶん、治した傷の大きさの分だけ。だから・・・。」
「怪我が酷ければ、行使した側も命を失いかねない、ということか。」
バドは納得した様に頷いた。いつも無口な男は、今日は珍しく饒舌だった。
「本来あるべき運命を変えるなら、相応の代償は必要だ。」
「え?全然分かんねえ。分かるように話せよ、バド。」
「俺は理の話をしている。」
「ことわり?」
「命を奪うものは命を奪われ、命を拾うものは命を救われる。だから、狩人は無駄な殺生はせず狩った命に感謝を忘れない。」
リオは、バドが常日頃寡黙である理由が分かった様な気がした。狩人には狩人の間で継承される知恵や知識があると聞く。だが、それは農業を主とする村人達にとっては、馴染みが無いものなのだろう。見ている世界が違えば、話が合わなくて当然だ。そして、常に命のやり取りをしている彼には、その違う世界を埋める努力をするつもりは無かった。
「レティが負った傷は、本来レティがその痛みや苦しみを受ける筈だった。怪我が酷ければ、死ぬ事もある、それは分かるよね。」
「おう。」
「それをディオンが治したって事は、本来受けるべき、その苦しみや痛みを消したって事だ。でも、それは何もせずに消えたりしない。だから、術者が同等の何かを代わりに受ける事になる。」
「そういう事だ。」
「自分の命と引き換えってこと?」
サファは驚いて大声を上げた。
「全然割に合わないじゃん。」
「このあたりが、治癒魔法が幻と言われる理由なんだろうね。使い手も少なければ、使いどころも限られてくる。自分の命が代償なら誰彼構わず使ったり出来ないし。だから、2人とも、この事は秘密にしてほしいんだ。無理だって分かっても、人は可能性があれば其処に賭けたくなる。自分の大切な人なら尚更ね。でも、誰に対しても使える訳じゃないし、そんな事でディオンさんを苦しめたくないから。」
自分の大切な誰かが、重い病にかかったり、助からない様な大怪我を負ったら、人は無理と分かっても最善を尽くそうとする。其処に奇跡の様な治癒魔法を使える魔法使いがいれば、当然助けを求めるだろう。
だが、その魔法は誰にでも使える訳では無い。たぶん、彼が本当に大切に思う相手にだけなのだとリオは思っている。
バドが言う様に、人の生死は自然の理の中にある。運命と言ってもいい。それが、ここで終わりだと言うなら、抗っても覆せないなら、それまでの事だ。しかし、追い詰められた人間は、相手の事情など関知しないし、運命だと受け入れる事も出来ない。何故、自分の大切な者は助けてくれないのかと、ディオンを責めるだろう。そして、その思いは容易く憎しみや恨みに変わってしまう。
「俺は何も見なかった。お前もだ、サファ。」
「え?お、オレ?オレも言わねえぜ。当然だろ。ディオンが死んだら嫌だしな。」
「ありがとう。」
この日常は、何がきっかけで壊れてしまうか分からない。火の気が消えた様に、家の中は沈痛は雰囲気が漂っていた。
永遠に続く時は無い。だからこそ、少しでも幸せだと感じられる時を守りたかった。
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