第2話 出会い①
その日は、朝から嫌な胸騒ぎがした。今日は森に行ってはいけない。何か予感の様なものがあった。夏の終わりが近づいているせいか、いつもより蝉の鳴き声が静かであったのと、鳥の囀りが聞こえなかったからかもしれない。
「もう薪が無いじゃねえか。とっとと取って来いや、この役立つが。」
不機嫌な叔父に蹴り飛ばされ、背中の痛みに耐えながらサファは泣く泣く森を歩いていた。小さい時に両親が死んで、サファは隣村の叔父夫婦の元に引き取られた。
小さいな山村は、何処の家も余裕は無い。冬には餓死者が出る事も珍しくはない。叔父の家にも、既に子供が3人いて生活はギリギリだった。其処に周囲から押し付けられた子供。扱いが酷くなるのは仕方が無い事だったかもしれない。
まだ売られなかっただけマシだと、叔父は口癖の様に恩を着せてきた。こんな子供では売れないと叔母はよく嘆いていた。もう少し器量良ければ、高く売れるのに、と。
まともな食べ物を貰えないサファは、同じ年頃の子供より小さかったし、痩せっぽっちだった。そして、いつも土や糞尿で汚れていて、体中痣だらけだった。
(家に帰ろう。)
たぶんに、衝動的な気持ちだったと思う。何時もとは違う森の気配に呑まれたのかもしれない。サファは薪を拾うのを止め、かつて自分が両親と住んでいた家を目指して歩き出した。
生家のある隣村迄は、ちゃんとした道があるわけでは無い。人が往来する事で出来た、獣道の様な道とは言えない道があるだけだ。途中で魔獣や危険な獣が出る事もある。
だが、今はそれもどうでも良かった。一口に食べられてしまうなら、呆気なく死ねるなら、それもいいかな、と思った。このまま絶望という名の『生』を続けるくらいなら。
空腹に体がふらふらした。でも、まだ歩ける。太陽は高く上って、じっとりと汗が流れ落ちる。木の幹に背を預けて座り込み、急に誰もいない事が怖くなった。
たとえ道に迷っても、たとえ魔獣に襲われても、たとえ怪我をしたり、死んでしまったとしても、誰もそれに気付かないし、知る事も無い。叔父も叔母も、その子供達も、誰も探したりはしないだろう。
両親がいた頃も、余りいい思い出は無い。魔獣に脚を食われて働けなくなった父はいつも酒を飲んでいたし、家の事も畑の事も1人でやらなくてはならない母は、いつも疲れて不機嫌だった。居なくなったのは2人の方だが、逆に自分が居なくなったら、彼等は悲しんでくれただろうか?
不意に涙が溢れて、サファは声を殺して泣いた。
悲しいのか、悔しいのか、怖いのか、サファには良く分からなかった。
誰からも望まれていないのに、生まれてきた事に何の意味があるのか。答えの出ない問いだけがぐるぐると頭を駆け巡っていた。その、明確な殺意が間近に迫っていることに気付くまでは。
勘の様なもので、サファは地面に転がる様に、それの突撃を避けた。奇跡といってもいい。
フォンリーク。兎型の魔獣だ。野ウサギよりふた周り大きく、小さなサファとそう違わない。額の鋭い角で、一突きにされれば、普通に致命傷を負う。
大人であれば、農具でも撃退可能だが、子供のサファには十分脅威だった。そして、相手も、サファが取るに足りない、弱い獲物だと分かっている。
「逃げないと。」
心臓がドキドキし、背筋がヒヤリとした。喉がカラカラに乾いていくのが分かる。死んでもいい、と思っていたのに、いざ魔獣を前にすると、生きたいと痛切に思ってしまう。
フォンリークの赤い目が、嘲笑うかの様に輝く。サファは近くの枝を掴んだ。
フォンリークが跳躍する。その鋭い角が目の前に迫った。
「うわあああああああぁ!」
叫びながら闇雲に枝を振り回す。脚を掠る鋭い痛み。
「うわっ。」
真っ赤な血がズボンに染みて流れた。地面に手をつき、顔を上げると、目の前にフォンリークの顔があった。
思わず両腕で顔を庇って目を閉じる。こんなに呆気なく死が訪れる事に、今更ながら驚いた。
こんな事なら。
定まらない思いが、ぐちゃぐちゃになって混じり合った。
もう、何もかも、全ては遅いが。
やってくる痛みに耐えるように、ぐっと体に力を入れる。だが、いつまでもそれは来なかった。
恐る恐る目を開けると、白い犬の様な獣が、首を傾げて尻尾を振っていた。
その口元には、サファを襲ったフォンリークが、首を折られてぶら下がっている。
くるくるした茶色の瞳は、獲物を掴まえて何処か得意気に見えた。首には、赤いマフラーの様な首輪が巻いてある。野生では無い。誰かが所有しているワーウルフだ。
「お前、助けてくれたのか?」
ワーウルフは、ボトッと魔獣を地面に落とすと、土に汚れた顔をペロリと舐めた。それから、誰かを呼ぶ様に激しく鳴き始めた。
ほっと息を吐いて、全身の力が抜けると、忘れていた脚の痛みがよみがえってきた。じんじんと痛む脚からは、まだ血が流れ続けている。頭がふらふらして、体に力が入らない。視界が霞み、サファは脚を押さえ呻き声を上げた。
「ラン、どうしたの?何か、いた?」
それは、夏の日差しが見せた女神の様だった。
こんなところにいる筈の無い、綺麗な強い瞳を持つ少女。背中に流れ落ちる髪は艶やかで、丈の短い服から、すらりと引き締まった肢体が露わになっている。
「子供?大変。怪我してるじゃない。」
まるで、地を飛ぶ様に、彼女はひらりとサファの横に舞い降りた。
「大丈夫?聞こえる?名前は?」
「サファ・・・・。」
「オーケー、サファね。よく頑張ったね。もう、大丈夫だから。」
その声は、微塵の陰りも無い、暖かい光の様で。
サファの意識は急速に遠退いていいった。
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