第24話 メウデウス/神よ② 色即是空、空即是色 そのマントラはそのままの意味だと、まるで奇妙な言葉だ。
追っていくバガス。
「待て、バガス!」
テラスの手すりに身を乗り出したアキラとディヴァ。
スンは立ち上がって腰の槍を手に取った。
そのとき、アキラがタブレットを掲げ「ケセラパセラ!」と叫んだ。
床面に黄色い幾何学光紋が走る。
銃声が響く。
マントラ効果で弾道がわずかにそれ、ディヴァの頬をかすめた銃弾は店内の天井に着弾した。
悲鳴が上がり、店内の客はパニックになった。
下を見ると、店がひしめく狭い十字路の真ん中に長いライフル銃を構えた女がいた。
黒いボディスーツを着ていて、見るからに傭兵か暗殺者だ。
「スン、ウォッチを防御モードに!」
ディヴァはそう言うと、ブーツのローラーブレードをオンにした。
アキラを抱えて手すりを飛び越え、狙撃者の反対方向の路上に着地した。
二発目の銃声とともに、スンは槍を構えて手すりを飛び越え、路面に着地した。
同時にアキラの「キリエ!」と叫ぶ声が背後から聞こえた。
銃撃で吊り柱を破壊されたテラスの崩壊が止まり、スンは瓦礫の直撃を免れた。
通行人が逃げまどい、空いた道をスンは狙撃者に向かって突進する。
黒ずくめの女はスンよりも長身だった。
長い手足は細身だが鍛え抜かれた張りがある。
彼女はスンの接近に気づくと、長銃を槍のように持ち替えた。
——残弾を温存して、近接で抜ける気か。
銀髪をなびかせた女の切れ長の鋭い目がスンを射抜く。
額にはマントラ使いのケイオグノムであることを示す緑色の紋章。
クウカイやケハラとは違う文字だ。
彼女の武器の先端には三日月型の刃がついていて、ほのかに緑色に光っている。
その武器を狙ったスンの突きはかわされる。
カウンターの攻撃を左腕の盾で受ける。
緑のプラズマ刃がスンの髪をかすめた。
強い——。
一撃の重さで彼女の実力が伝わった。
しかも、相手の得物のほうが長く、攻撃範囲が広い。
後ろに飛び退いて距離を取ると、さっきの機械猫が二人の間に割って入るように飛び出してきた。
猫はバガスを咥えている。
「バガス!」
「デウス、たのんだよ」
女はそう言うと、アキラたちを追って港の方向に走り出す。
スンが追おうとすると、デウスと呼ばれた機械猫が道をふさいだ。
猫は首を振ってバガスをその場に捨てると、スンが薙いだ槍をすばやくかわし、ぴょんと飛んで通りの看板の上に乗った。
スンはポシェットから勾玉を取り出す。
「スン……衝撃派ガ来ルゾ」
スンが抱き上げたバガスがかすかな声で言った。
見上げると、黒猫は大口を開けて何かを発射しようとしている。
スンはアキラの記憶の中で見たオギノ宅のめちゃくちゃに壊れた室内を思い出した。
反射的に横に跳んでかわすと、背後にあったエビの屋台が吹き飛んだ。
続いて発射してくる衝撃派を転がってかわし、腕のボードを外して飛び乗った。
全体重を一瞬前に預け、半拍遅れで後ろに返す。
反動でボードが跳ね、看板より高く跳び上がった。
デウスの頭上から槍を振り下ろす。
デウスが跳んでかわしたところを、勾玉で回復したバガスがスンの胸から飛び出し、衝撃派を繰り出した。
至近距離で衝撃派を受けたデウスは吹っ飛び、背後の建物の壁に激突した。
「やった!」
スンは路面に着地すると、そのまま港の方向にボードを発進させた。
バガスも並走してついてくる。
海に向かう一本道を滑る。
人通りが多く、このままだといつかぶつかる。
「ケセラパセラ!」
ウォッチが黄色く光る。
回避率を上げ、人の間をすり抜けていく。
道の先に、まるで道をふさぐように立っている人影があった。
銀色のボディスーツを着た褐色の肌の小柄な女。
腕を組み、不敵に笑みを浮かべている。
明らかにただの通行人ではない。
しかも、額に赤い紋章——ディゼクタだ。
スンはアキラの記憶の中のバガスの言葉を思い出す。
——敵三人、機械兵一体——。
「スン、アイツモ敵ダ!」
「わかってる!」
スンは急ブレーキし、体をひねって強引に右折した。
さらに狭い路地を、ごみ箱や野良猫を弾き飛ばしながら進む。
「上からのほうが早い!」
スンはまたボードごとジャンプして、ごみ箱や屋台の屋根を足場にバラックの屋根の上に昇った。
港の方向を確認しようとあたりを見回すと、斜め上空にフードを被った女が浮かんでいた。
「〈ルーレット〉の逆位置。あんまりいいカードじゃないわね」
さっきの占い師だった。
女はドローンから吊り下がるブランコのような椅子に色白の足を組んで座り、自分の引いたロゼクロスのカードを見ている。
ピアスをつけた高い鼻と、紫色の毒々しい口紅。
ピンク色の髪がフードの隙間から垂れている。
敵か味方か——判断がつかずにいると、女は横顔を向けたまま目だけ動かし、色素の薄い碧い瞳でぎろりとスンを見た。
その瞬間、敵だと確信した。
スンは全速力でボードを発進させた。
「カードに免じて見逃してあげる。スージーにゆずるわ」
女の声を背に、スンは屋根伝いに滑った。
彼女は、なにかとてつもなく危険なマントラを使う。
そう直感した。
カードの内容がもし違っていたら、きっとただでは済まなかっただろう。
なにより、あの、ぞくりとする冷たい目——。
同じだったのだ。六歳で神学校に預けられたとき、スンを最後に一瞥した母の月光にように冷ややかな横目——。
振り返ると占い師の姿はもうなかった。
かわりにバガスが追いついてくるのが見えた。
「スン、アキラモ黒い女モ、港ヲ出航シタゾ!」
「このボードで海を渡れるはず。さっき子供たちが滑ってた」
波止場までくると、さらに踏み込んで加速した。
倉庫の三角屋根をジャンプ台にし、海に向かって一気に飛んだ。
波に向かって弧を描くように落ちていく。
ばしゃああん!
着水の瞬間に後ろに体重を乗せ、反発で水没を回避した。
反動で横転することなく膝で衝撃を逃がし、今度は前に体重を乗せて加速する。
波を切り、しぶきを突き抜け、ボードは海を滑った。
バガスが斜め上空を飛んで先導する。
「イタゾ!」
バガスが加速していく方向にトクトクと、数秒遅れでそれを追う小型のジェットスキーが見えた。
運転するのはさっきの長髪の女狙撃者だ。
向かい潮で進みあぐねているが、少しずつトクトクとの距離を縮めている。
「スージー……か」
巡礼団狩りのテロリストか、雇われの殺し屋か。
いずれにせよ、アキラを守らなければ、ついてきた意味がない——。
「バガス、あのジェットスキーを止めたい!」
「脇ノ吸水口を狙ウンダ。噴射スル水ヲ吸エナクスレバ空回リスル」
「わかった。まず、衝撃波で波を潰して!」
「オウ!」
スンの前に出たバガスは押し寄せる波に向かって低出力の衝撃波を連打した。
白波が寝て、スンの進行方向に斜めの道を作る。
スンは腰を落として一気に加速した。
スージーに向かって一直線に突っ込んでいく。
スージーがジェットスキーのハンドルから手を離し、トクトクに向けてライフルを構える。
「撃たせないよ、スージー!」
スンの声に振り向くスージー。
なぜ名前を知っているのか、一瞬の戸惑いが銃撃を遅らせた。
スンはボードの腹で波を押し切り、一気にジェットスキーに近づいて横づけした。
スージーは銃を槍に持ち替え、薙ぎ払ってくる。
スンは一瞬減速して後ろにかわし、ジェットスキー脇の吸水口を狙って槍を薙ぎ払った。
青いプラズマが海水を蒸発させ、泡だった潮水が吸水口を塞いだ。
泡を噛んだエンジンが甲高い悲鳴を上げ、ジェットスキーが失速する。
「今!」
追い抜きざまに、スンの背に隠れていたバガスが飛び出した。
彼が放った衝撃派に直撃し、吹き飛ぶスージー。
止まったジェットスキーと海に落ちた殺し屋を置き去りにして、スンはアキラたちのトクトクに近づいた。
追いついてきたバガスがスンの耳もとで叫ぶ。
「スン、デウスガ来タゾ!」
「なに!」
ダイバの方向から黒い鳥がすごいスピードで飛んでくるのが見えた。
「アイツ、変形スルンダ!」
バガスが迎撃に向かおうとすると、機械鳥は失速し、弧を描いて海に落ちた。
すぐに浮上すると、デウスの足に掴まったスージーが海から上がり、揺れるジェットスキーに降り立った。
「ヌエバの無念を晴らさせてもらう!」
スージーが叫んだ。
「あいつ、やっぱり」ディヴァが言った。「ヌエバ村の生き残りか!」
ヌエバ村——ディヴァが焼き討ちをした辺境の集落だ。
「メウデウス」
スージーがマントラらしき言葉を唱えると、カラスの姿をしたデウスの身体が解体されるように解け、ひも状になっていく。
デウスはスージーの細長い四肢に巻き付くように一体化した。黒い嘴はスージーの顔の上半分を覆い、金属の紐が肩から足先までに取りついている。
まるで悪魔を身にまとったかのような禍々しさだった。
「逃げろ、スン!」
トクトクの後部座席からディヴァが身を乗り出して叫ぶ。
黒光りする装甲をまとったスージーは海面を蹴り、一気にスンに間合いを詰めてきた。水上を走っている。
スンはスージーの槍に薙ぎ払われて吹き飛ばされる。
「うわあ!」
とっさに槍で防御したが、その力はダイバで受けた時のそれとは格段に違った。
強化されたスージーは突進をやめず、バガスを槍ではたき落としてトクトクに向かっていく。
スンはボードにしがみついて海水を吐き出し、息を吸う。
ディヴァがスタンガン銃で応戦するが、スージーは俊敏にそれをかわし、槍でディヴァを薙ぎ払い、海に落とした。
アキラはトクトクの舵を切り、急旋回してディヴァのために戻ろうとする。
「キリエ!」
マントラを叫んだアキラの額の紋章が青く光る。
ディヴァが落水したあたりに黄色い光の紋が現れ、彼女が浮かび上がる。
「よくも……、ノウマク・サマンダ……」
怒りに震えるディヴァが詠唱を開始する。
しかし、その間にスージーはトクトクの屋根の上に移動していた。
「アキラ!」
スンはボードに乗って発進するが、遠すぎる。間に合わない。
そのとき、スージーが動きを止めた。
アキラを攻撃するかと思ったら、運転席から自分を見上げて固まるアキラの顔を見つめて固まっている。
なにやら動揺している様子だ。
「——アガペー!」
狂戦士化したディヴァがローラーブレードで波の上を走り、アキラに気を取られていたスージーの身体にパワーナックルを叩きこんだ。
拳はデウスの装甲を砕き、火花が散る。
吹っ飛んだスージーは弧を描いて海に着水した。
丸い船窓が黒い夜の海を映している。
海上すれすれを浮遊するフォーライ巡視艇の船内デッキは静かで、波音だけが聞こえてくる。
卓上でエネルギーチャージ中のバガスは静かに眠っている。
ダイバの通報で現れたオウムガイ型の巡視艇にトクトクごと保護された。
アキラがキリエで助けたスージーは気を失ったまま逮捕され、船内の別室で拘束されている。
彼女はトキオの護送船が来るまでフォーライで拘留されることになった。
「狙いは私だったのよ」
タオルを首にかけたディヴァが言った。
「スージー・サラ。指名手配中のテロリストで、原理主義カシュア派の軍事組織に所属していた元傭兵。推定二十一歳。私が関わった五年前のヌエバ村殲滅作戦で死んだはずの村民の生き残りのようね」
「あのとき、スージーはアキラの顔を見てなにか考えてる様子だったけど?」
「顔じゃない。紋章を見たのよ」
ディヴァはアキラの目を見て、もう言っていいか確認した。
アキラはうなずく。
「アキラの額の紋章はヌエバ村出身の〈ある一族〉にしか出ない特別な文字で、おそらくスージーはそれを知っていた」
「アキラって、ヌエバ村出身だったの?」
「母親がね。私が生まれる前に過激派の紛争が激化して、母は北の海辺にあるナガーカって町に疎開し、私を産んですぐに死んだ。父は知らない。私はナガーカの孤児院で育ち、奨学金でトキオ近郊の学校に進んだ。紋章の一族のことなんて知らなかった」
「究極のマントラを伝える一族がヌエバ村にいる——そのことを知った私の上官は、トキオにとって脅威だからと、不意打ちの焼き討ちを命令した。過激派のテロリストが潜伏していることにして。私は……命令に逆らえなかった」
「スージーはその無念を晴らすべくテロ活動をしていたんだな」
「おそらく最終的なターゲットは私と、私の当時の上官、ジョガー・コンスタン」
「外務大臣か」
「当時は僧兵団長だった」アキラが言った。「それと、すでにスージーが殺したなかに、ヌエバ村に紋章の一族がいるという情報をコンスタンに提供した巡礼官がいた。その人は退役後、私の家のすぐ近所に住んでいた」
スンはアキラの記憶で見た隣家の老人を思い出す。
「マントラ研究者でもある巡礼官オギノ・テレサは、紋章の一族を保護すべきだと訴えた。しかし、コンスタンは焼き討ちを指示した。巡礼団によるテロリスト殲滅要請だと虚偽の理由をつけて」
「僧兵団にいた私もそれを信じたぐらいだから、スージーも巡礼団を憎んだでしょうね」
「オギノは私を見つけ出し、守ろうとしてくれていた。話してくれなかったけどね」
「むやみに巻き込まないよう配慮したんでしょうね」
「アキラはどうやって彼の真意を知ったんだ?」
「オギノは死ぬ間際に、バガスの中にメモリー・チップを仕込んでいた。この情報
は、ニギタや各地の生贄や奴隷を救う手立てになるかもしれない。究極のマントラについてだ」
「究極の……マントラ」
アキラはタブレットをローテーブルに置いて操作した。
ホログラムが浮かぶ。
眠るバガスのすぐそばにオギノ爺の上半身が浮かび上がり、語り始めた。
「——私はヌエバ村に滞在し、紋章の一族と暮らした。ヌエバのタトゥーまで入れ、親友もできた。村人から、かつてナガーカに疎開した紋章の一族の女性に子がいると聞いた。それがアキラ、君だった。君はただのレムナントではない。ある特別なマントラを使える可能性のある遺伝的特性を引き継いでいる」
スンはアキラの額を見る。紋章はレムナントを示す水色だ。
「——そのマントラはそのままの意味だと、まるで奇妙な言葉だ。この世界が虚構だというような。仮想現実だとでも言いたいのか。この世の真理を説いているというが、にわかに信じがたい」
バガスが何度も戦闘で衝撃を受けたせいか、映像は乱れていた。
「——だが、このマントラがこの苦難に満ちた世を救うために造られたのは間違いない。偉大なるシダールとカシュアが彼らの血とともに後世に残した究極の目覚めと救済の奇跡だ。予備マントラから唱えよう。この聖文は、オムネシス教各派の教義の中に形を変えて残っている」
アキラはオギノの声に重ねるように詠唱した。
「——形のあるものは
スンには、アキラの身体全体がわずかに光っているように見えた。
アキラの言葉に呼応するように船内の照明がちらつく。
「——
波の音が遠ざかる。
スンは世界の輪郭の一端を垣間見た気がした。
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