第19話 アガペー/愛③ 大きな玉ねぎの下で            トキオへようこそ

 イッQに背中を押され、スンはタブレットとボードを抱えて泣き続けるディヴァを残して混乱する会場の外に出る。


「あいつ、大丈夫かな」

「大丈夫。彼女はナイーブだけどタフだ」


 門の前には見たことのない流線形の車両が停まっていた。

 車体はアーモンド形で、まわりの風景を反射するように銀色に輝いている。


 甲虫が羽根を開くように、音もなく後部扉が開いた。


「さ、乗って」


 またイッQに押されるようにして二人で後部座席に乗り込む。

 中は意外に広く、後部座席だけで横並びに五人ぐらい乗れそうなスペースがあった。

 窓は広くて膨らみがあり、上空まで見えた。マジックミラーで、外から中は見えないようだ。


 前方席に小柄な若者が乗っていた。

 スキンヘッドで、緑色の作業着を着ている。


「師匠、検察とは話がつきました。アキラ・ユダはあとで連れてきてもらいます」


 デバイスセンターの偽店員だった。


「ごくろうさん。しかし最近、あいつら仕事早いわ」


 イッQは話し方や雰囲気が変わっていた。

 素に戻ったようだ。


 偽店員が操作パッドらしきものを触ると、車はなめらかに発進した。

 珍しいものを見る目の通行人たちが道を開け、すいすいと滑るように路地を進む。


「なにがなんだか……わからない」

「だろうね」


 イッQは帽子とスマートグラスを外していた。

 彫りの深い理知的なまなざしと、肌艶の良いスキンヘッドがあらわになった。

 側頭部には幾何学模様のタトゥーが入っている。


 そして、額には古代文字の紋章があった。

 緑色で、アキラのそれとは形が違う。


「すまないね。ぜんぶ、アキラを試すためだったんだ」


「アキラを試す?」


「彼を巡礼官に推薦すべきかどうか」


「え?」


「従者の君がサンダーゲートに一人で現れたときは不合格にするつもりだったけど、色々想定外すぎて……笑っちゃったよ」


 車はデバイスセンターの前を通り過ぎ、トキオの中心部に向かっていく。


「申し遅れたね。私はクウカイ。オムネシス教団マントラ派の上級僧官で、巡礼官をしている。この小僧は弟子のイッキュウ。あ、私のイッQって名は、ボルツ潜入のためのステージネームなんだ」


「ぼくはそのステージネーム、全力で反対したんですけどね」


 運転席に座る本物のイッキュウは携帯端末になにかを打ち込みながら言った。


「おかげで有名になれたろ。きっとこれからモテるぞ。テレビの取材はおまえが出ろよ」


「無理ですよ。はい、これ。喉乾いたでしょ」


 イッキュウはストローのついたコップをスンに差し出し、にこりと微笑んだ。

 利口そうな目つきと愛嬌のある丸鼻。

 アキラ以上の童顔で、スンよりも年下に見えた。


 スンはコップを受け取ったが、口にするのはやめておいた。


「アキラには会えるから安心して」

 クウカイが言った。

「しかし、逮捕は予想外だった。うちらだけかと思ったら、警察もマークしてたんだな」


「昨日のハナモンの事件で存在を知ったとしたら、今日の逮捕は早すぎますもんね」


「あんたらは、いつからアキラを追ってたんだ」

 スンは訊いた。


「トゥクバのリシクル神の不具合事件がきっかけ。マントラデバイスを使うモグリの巡礼官が出たってことで、彼の足どりを調べたよ」

「トゥクバの人たちから聞いたのか」

「いや、AI神からね。リシクル神とゴズ神のログを調べた。あとは偽造パスポートの使用ログを追った」


「正直言うと、われわれは彼よりも彼の使う神託のタブレットが気になっていたんです。どんな仕様で、どんなマントラがインストールされているか。彼が捕まってタブレットが押収されてしまう前に、コンタクトをとろうと思ったわけです」


「クウカイ、さっきのマントラはあんたが使ったのか?」

「そう。こいつで〈カルナ〉と〈マーヤー〉を使った。巡礼官はこの複製版タブレットを一人一台支給されるんだ」


 クウカイは紺色のタブレットを取り出した。

 裏面に彼の額と同じ紋章が白く刻印されていた。


「君が観客をかばったのが想定外だった。でも、それがディヴァの心を解かす引き金になった。〈カルナ〉との相乗効果で、彼女のトラウマがひとつ浄化に向かった。あ、このマントラグラスはそういうのが数値でわかるんだ」


 スンはディヴァが最後の攻撃を放ったときのことを思い出した。


 あのとき浮かんだ映像は、やはりディヴァの記憶だ。過酷で悲惨な戦場の記憶——。


「なあ、ディヴァは元僧兵って言ってたけど……」


「私の研修僧時代の同期でね。彼女は〈天兵〉っていう僧兵団のエリート部隊に入ったけど、心を病んで退官した。落ちぶれてボルツの用心棒なんかやっててさ。社会復帰させようとしてたんだけど、あのとおり巡礼官を毛嫌いしてて、聞く耳持たなくてね」


「そうか……」


「天兵、ぼくもはじめて見ましたけど、本当にいたんですね」


「デバイスを体内に組み込まれた特殊部隊で、彼女はその最後の生き残りだ。マントラで全身の秘孔チャクラを刺激してメタモルフォーゼする変身ヒロインだけど、あのとおり気質が不安定で、感情の制御が難しい」


 ディヴァに壮絶な過去があることはわかった。

 マントラの効果を通じて、叫びとともにまわりの人間の脳裏にその記憶の断片が突き刺さるほどに、壮絶で悲痛な過去が。


「私のポリシーは一石三鳥。アキラの人となりを測るためにディヴァをぶつけ、かつ、ディヴァの社会復帰のきっかけを作ろうとした。あともう一鳥は、新興勢力ボルツの潜入捜査。見たろ、あの観客の熱狂ぶり。ほとんどカルト宗教なんだよ」

「それにしては、けっこう楽しんでましたよね、説法バトル」

「なにごとも楽しまなきゃ人生損だろ? サムスン、サムスン♪」

「本当に説法者になるのかと思いましたよ」

「本当はイッキュウが潜入捜査するはずだったんだよ、皮肉をこめて、あの名前にしたんだ」

「だから、ぼくは巡礼官じゃないから無理なんですって、なんかあったときに法が守ってくれないでしょう」

「法なんて参議に頼めばどうとでもなるんだよ。ロンパ、ロンパ♪」


 スンは隣に座るクウカイを味方と考えていいものか、まだ頭の中で整理がつかずにいた。

 しかし、軽口をたたくクウカイとイッキュウの間に流れる空気には暖かいものが感じられた。スンがアキラやバガスと話しているときのような、陽だまりのような安心感。


 スンはストローで飲み物を飲んだ。かすかな苦みと甘みのある冷たい茶で。ほのかな熱を伴って喉を過ぎて行った。


「それ、回復促進エキス入りの生姜茶です。元気になりますよ」


 となりのクウカイも同じものを美味しそうに飲んでいる。スンはトキオ人とは味覚も合わないなと思った。


「……イグサっていう巡礼官を知っているか?」


 スンは手元のタブレットを見ながら言った。

 黒いタッチパネルに疲れきったスンの顔が映っている。


「アキラがタブレットを受け継いだ女性のことだね。彼女は巡礼官じゃない」


 クウカイは真面目なトーンで答えた。


「調べたところ、イグサ・ニギタについては、二年前に死んだ村の住人というデータしかなかった。イグサの姿をした彼女がなぜオリジナル版の神託のタブレットを持ってゴズ村に現れたのかは謎。調査中だ。——と言っても、ゴズ村の調査は難しくてね」


 イグサの死体が消えたことと、彼女の声を聞いたことについてスンはクウカイに話さないことにした。

 まだ、そこに触れてはいけない気がしたのだ。


 その謎はスンが旅に出た理由のひとつでもあった。安易に他人と共有するものではない。そう思った。


「明日にはアキラと会える。タブレットはそれまで預けておくよ」


 トキオの都心部は外から見ると無数の白い刃が空を突き刺していたるように見える。

 それはセラミックの巨剣群、都市を囲む城壁。

 

 近づくほどに、その剣の根元から虹色の膜が揺らいでいる。

 都市全体を覆うバリアだ。


 その外縁に沿って流れるように弧を描く幹線道路がいくつも合流し、規則正しく束ねられていく。

 車はやがて都心部との境界に差し掛かり、縦横一〇〇メートルはあろうかという巨門のようなトンネルに吸い込まれていく。


 天井に等間隔に配置された照明のオレンジ色が無数の流星のように車窓を過ぎていく。

 ゆるやかな傾斜がかかっていて、少しずつ地下へ潜っていくようだ。


 不思議なことに、下っているのに車内はほとんど平行なままだった。

 これまで乗ってきた乗物に比べ、技術が何段階も違う。

 本当に同じ時代なのだろうかと思うほどだった。


 底辺までくると、今度は上に向かって坂を上っていく。

 出口の光がまぶしい。

 登り切ったところはトンネルの外で、突然視界が開けた。


「うわぁ……」


 白磁の壁を抜けた瞬間、スンは思わず息を飲んだ。


 さっきまでいた煤けたアキブーとはまるで別世界だった。


 中心部には濃緑の森が青々と広がり、そこに透明な塔の群れが光を反射して立ち並んでいる。

 それらはいくつもの結節点で統合されながら上に伸び、幾層ものコンコースや空中庭園が重なっている。

 中心にはまるで硝子と光で編まれたような、丸屋根の空中寺院があり、その影が真下の空中庭園の芝生と池に黒い模様を描いていた。


 螺旋状に昇っていく透明なチューブをリニア車両が滑り、白い鳥が群をなして飛んでいる。


 緑地部分の外縁に沿って不規則な形の立体住宅群が連なっている。

 無数のパネルが重なったような洞窟住居、塔の梁から垂れ下がった垂直農場、透明な球体がいくつも連結した立体運動場。


 周辺の貧民街との境界である外殻は、まるで巨大な花のつぼみのようで、上方は透明のバリアドームにつながり、かすかな虹色の膜が空の中にゆらめいて見える。


「トキオへようこそ」


 クウカイが決まり文句のように言った。


 けれど、それはとても自然で、祝福をもって都市に招き入れられたようにスンには聞こえた。


「すごい……ところだな」


 以前、スンはトキオについて本で学んだことがあった。

 そこには「大昔の城の石垣と緑地をベースに造られた世界有数の空中庭園都市」と書かれていた。


 実際に見てみると、その意味はよくわかった。


 人工の白亜と自然の緑が絡み合い、都市そのものがひとつの聖堂のように輝いている。


 楽園のようだった。外の貧民街との落差がすごすぎて、まるで異界だ。


「外から見たのとずいぶん印象が違う」

「外観はカモフラージュだよ。実際、地上の建物は少ない。インフラ設備や居住区は主に地下にある」


 車はやがてチューブ状の道路に入り、そして建物の中に入った。

 広い屋内駐車場の壁際で停まり、扉が開いた。


「入域検査は?」

「もう済んでる。問題があればここまで入れない仕組みだから」


 車を降り、クウカイとイッキュウに挟まれてスーツや法衣を着た人々が行きかうコンコースを進んだ。


 動く歩道を何本も通り、半円形のエレベーターホールに着いた。

 そこは聖堂のように天井が高く、いくつものエレベーターが精緻なアナログ時計の部品のように上下に行き来していた。


「明日、朝九時に呼びに来るから、それまで部屋でゆっくりしてて。食事も室内パネルで注文できるから、好きなの食べて。ここはチキンドリアが美味しいよ」


「これはつまり……私も留置所に入るということか」


 クウカイは笑った。

「ここは官舎だよ。明日のアキラの二次試験まで待機してもらうだけ。合格したら従者の君もいっしょに任命式。巡礼官特権でアキラは訴追を免れる」


「不合格なら?」

「留置所に戻される。下手したら一年ぐらい出られない」

「そんな……。そうだ、ケハラっていう巡礼官を知っているか?」

「もちろん。同僚だからね」


 エレベーターの扉が開き、三人は乗り込む。

 筒型の搬器は全面ガラス張りで、外の緑地が見えた。

 白鷺が空中庭園の人工池の上を滑空している。


 イッキュウがパネルを操作し、搬器が上昇する。


「……アキラがナタラージャでハナモンのマントラを消したのは、ケハラにだまされたんだ。記憶再生のマントラを入手できるって聞かされたんだよ」


「ハナモン神を捕囚したのがケハラって時点で、そういうことだろうなとは思っていた。そうだとしても、そのケハラは巡礼中だし、それは法廷で証言することだ」


「アキラは合格……できるのか」


「そう信じてる。まあ、単純な面談テストさ。ちなみに、彼の学力や移民局での勤務実績は把握してる。移民出身の高卒で任官されただけあって、かなりの秀才だ」


「そうなのか。頭がいいとは思っていたけど」


「トキオ圏内の学力テストが、同世代の受験者一〇万人中九十八位の好成績だ。ちなみに私は三〇位だった。イッキュウは?」


「一八〇位ですよ。なんど言わせるんですか。でも、ぼくのときは受験者数が多かったんですからね」


 エレベーターが止まり、扉が開く。

 白い正装の若い女官が待っていた。


「君の荷物はあとで着替えと一緒に届けさせる。明日はそれを着て来てね。あ、タブレットも忘れずに」


 スンは、いろいろと言いたいことはあったが、ここは従っておくことにした。

 なにがあっても、自分はアキラの従者として生きていくだけだし、今はなにもできない。


 クウカイとイッキュウはエレベーターでまた下っていった。


 女官に案内されたのは、シンプルで清潔な個室だった。

 一人用ベッドの置かれた寝室、トイレと浴室、狭いロビーには執務机と座り心地のよさそうなデスクチェアもあった。


 女官が去ったあと、スンはへたりこむように椅子に腰かけた。


 街の景観や建物のつくりは住人の思想が反映されるのだろう。

 ハナモンのホテルとはまた趣の異なる、洗練された贅沢さがあった。

 トキオのほうが機能的で無駄がなく、快適に過ごせそうだ。


 外側の壁はガラス張りで、丸みを帯びて外側にふくらんでいる。

 空が広く、森が一望できた。


 空中寺院の金色の丸屋根――大きな玉ねぎのような形をしている――と白亜の壁がさっきよりも近くにある。

 今いる官舎が寺院を等間隔で取り囲む巨塔のひとつの中にあるのだとわかった。


 寺院から周囲の塔に向かって連絡橋が放射状に伸びている。

 その橋の上には列をなして寺院に向かう人影がある。

 法衣をまとったオムネシス教の信徒たちだ。


 幻想的な光景だった。


 建物の外壁はどれも水面のようにきらめき、水色の空を背景に、緑と光が交錯している。

 鳥の声すら、調律された音楽の一部に思えた。


 都市の美しさへの羨望のような気持ちと、故郷との落差に切なさがこみ上げた。

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