第16話 ナタラージャ/舞踏の王⑤ アナムネーシス やっちまいましたね、旦那たち
警官たちを振り切り、町の反対側の倉庫街に逃げ込んだころには、日はとっぷりと暮れていた。
ガス灯と飲み屋の提灯が街路を照らしている。
人が多く行き交っていた。
馬車を路地裏に乗り捨て、酒場の並ぶ裏道の雑踏に身をしのばせた。
「偽造パスポートが宿の支配人にバレそうになって、ごまかして逃げてきたんだ。宿を変えるか、夜通しどこかでしのぐしかない」
巡回中の警官の姿を見かけ、逃げるように半地下のバーに駆け込んだ。
静かな店で、何人かの男性客が煙草を燻らせながらテーブルでぼそぼそと話している。
カウンターの端の席に座り、アキラとスンはまるで密会のように小声で話した。
「住人の多くは幻影だ。幸福な夢っていうのは、こういう意味だったんだ。人格形成プログラムに似ている」
「なにそれ?」
「ある人物の記憶を仮想現実で再現して、夢を見るように他人の人生を追体験するプログラムさ。トキオの教育機関で使用されている。この都市はそれの拡張現実バージョンだよ。過去の人々の記憶がマントラで現実世界に再現されて、それをみんなで体験してる」
「その……記憶を再現しているってことだけど」
スンはひっかかっていたことがあった。
かつてトキコたち旧時代の人々が生きていたある一日を繰り返しているのだとすれば、あの活動写真に彼女のその後が描かれていたのはなぜだろう。
「掘り起こされたのは、ある期間のばらばらな記憶じゃない? それを矛盾がないようにつなぎ合わせて繰り返し上映しているような気がする」
「矛盾がないように……か。逆に、矛盾が起きればシステムをフリーズさせられるかもな。君の見た活動写真、結末はマナブが現れずトキコが自殺したと言っていたよね」
スンは頷く。
「駅に向かうトキコ……幸せな未来にわくわくしていた。そこが幸福な夢の頂点だった。なら、そのあとの展開を変えれば、活動写真の結末と矛盾が生じる」
「マナブを連れてきて、駅で彼女に会わせればいいんだな。どこにいる?」
「なぜマナブは約束の場所に来なかったんだろう? それがわかれば、居場所が割り出せるかもしれない」
「作中でそこは語られていなかった。そこだけ抜けていた」
「高額な活動写真を観るのはハナモンやグウシャ。上流階級に都合の悪い事実が削除されたのかも」
アキラはそう言って、ピスタチオの殻を指で割った。
「気づかれたようでございますね」
言ったのは、バーテンダーだった。
黒いベストに蝶ネクタイをした中年だった。
長身で甘いマスクだが、顔の小じわが苦労をにじませていた。
スンとアキラを安心させるようににこりと微笑み、二人分のアイスティーのグラスを差し出した。
「あっしも昔、この都市の謎を追っていたクチでしてね」
「コノ男ハ幻影デハナイ」
玩具のふりをしていたバガスが言った。
「あっしはもともとトキオのジャーナリストでして、潜入取材をしているうちにこの町の虜になっちまい、移り住んだんです。今は、バーテンダーをしながら観光客相手のガイドをしています」
「移民ってことですね。けど、この町だとそういう活動はなかなか難しいですよね」
「はじめは〈ガイト〉だったんですが、納税額が一定額溜まって〈シュウジャ〉に成金しました」
「トキコ……活動写真の話も知っているんですか?」
「トキコの悲恋物語はこの町の謎のひとつです。そういった謎が、わざとちりばめられていて、ハナモン神が試されているって寸法です」
「試す? なにを?」スンは訊いた。
「人間の知恵と、過去を乗り越える可能性ですよ、お嬢さん。人間の幸福とはなにか、それを測るためのものさしを磨いている。そうして、小帝都という巨大な幻灯機を回しつつ、日々、アップデートしているんです」
「謎を解決させることで人間を観察し、都市の方向性を随時修正しているということですか?」
「おっしゃるとおりです。ただ、トキコの悲恋クエストについては誰も触れたがりません。さっき旦那がお気づきになった理由でね」
「身分格差の闇か。隠しておきたい事実があるんだな」
「警官が追って来たのは、部外者がそこに近づくことに対する拒絶反応かもしれやせんね」
「トキコの家族がマナブを待ち合わせ場所に行かせなかったのかな」
「まあ、上位身分の怒りなんか買っちゃあ、この町で生きていけませんよ」
「マナブは権力に屈してかけおちを取りやめたってこと?」
「いや、彼はトキコと外国で生きていこうとしていた。彼が約束を守れなかったのはこの町での処世ではなく、暴力か脅し……。しかし、トキコは死んで彼は町に残って生きていくことになった。待ち合わせ場所に行けなかった理由を明かすことが上流階級の批判につながるからそれを隠しているんだ」
バーテンダーが口元で微笑む。
「さっき、謎を解けばフリーズするのではっておっしゃっていましたけど、逆ですよ。ハナモン神が顕現なさって、祝福のお言葉とご褒美をいただけるんです」
「アキラ!」
アキラはスンの目を見て無言で頷く。
ケハラの言っていたことが正しいとすると、そこでナタラージャを唱えればその記憶再生マントラを入手できるはず。
「あとは、マナブがどこにいるかだな」
アキラはアイスティーを一口飲み、考え込む。
「ひとつ、心当たりがあるんだ」
スンが言った。
「日々修正してるってことは、今は間違った幸せを再現しているかもしれないってことだよな。だったら、あれがそうなのかも」
五千セン札を差し出す。
ランプのもと、店じまいしようとしていた老人は驚いた顔をした。
「約束どおり、払いにきたよ。ちょっと、話を聞いてもいいか?」
「え、ええ。いいですとも。観賞料さえお支払いいただけるのでしたら、お客様です」
スンとアキラは中に入り、ランプの灯りのもと、老人の用意した丸椅子に座った。
「なぜ待ち合わせ場所に行かなかった?」
老人は一瞬驚いた顔してスンを見つめたあと、目を伏せた。
そして息を大きく吐いた。
「トキコの許嫁の父親は有力な政治家でしてね。私を言われのない罪で告発したんです。私は拘置所に入れられ、しこたま殴られました。そうして、ここから出たければトキコに二度と近づかないよう約束させられました」
「作品にそれを入れなかったのもトキコの家に気を遣ったからですか?」
アキラが訊いた。
「それもありますが、一番は、自分の無力さが許せなかったのです。今更、世の中や時代のせいにして、作品でよそ様を貶めても仕方がありません。あのとき、私は弱く、トキコを迎えにいけなかった。ただそれだけです。私は、トキコの美しさを作品でいつまでも残したかった」
ランプの灯りに照らし出されたしわの数々に人生の年季がこもっていた。
しばらくの沈黙ののち、スンは言った。
「行こう。駅へ」
老人は顔を上げる。
「あんたをトキコに会わせる。活動写真の結末を変える。明日、あのときの約束の時間に駅に来て」
夕暮れの駅前。汽笛が鳴り、蒸気が白く立ちこめる。
ホームに立つトキコが、振り返った。
マナブ青年の顔に笑みが広がる。二人は駆け寄り、言葉もなく抱き合った。
それを駅前広場の少し離れた場所から見つめていたマナブ老人の目から、大粒の涙がこぼれる。
「……ありがとう」
光が彼を包み、淡く焼けていくように薄れていき、やがて消えた。
スンは老人とともに通りの活動写真館が消えるのを見た。
「やれやれだね」
「警官ニ囲マレタトキハ、モウ駄目カト思ッタゾ」
「まあまあ、カルナが使えたから結果オーライじゃん」
カルナは警官たちを足止めした。
マナブ青年を檻から助けだしたことで「救済行動」がチャージされたのだ。
「でも、スン、同一人物でも幻影なら別の年代で存在するはずって、よく気づいたね」
「勘だよ。新聞売りの男の子と新聞を買っている金持ちそうなおじさんの顔が似てたから。親子で売り買いするわけないし。バーテンダーが身分を変えたっていうのもヒント」
「とりあえず、眠いよ。拘置所に忍び込んだはいけど、どの囚人がマナブ君なのかわからないし、結局、助け出すのに夜通しかかったからね」
ぱちぱちぱちぱち。
拍手に振り返ると、黒い燕尾服を着た男がいた。
昨日、スンを宿まで送ってくれた口ひげの長い御者だった。
駅前広場はいつの間にか人だかりができていて、まるでスンとアキラを祝福するように取り囲み拍手している。
「な、なんだ?」
「よくぞクエストをクリアした」
笑顔の御者は尊大な話し方でアキラたちを祝福した。
「わが名はハナモン神。小帝都ハナモンを統べる記憶と再生の神なるぞ」
「あなたが……」
アキラは跪いた。
スンもそれに倣う。
「過去を克服し真の幸福に向かおうとする素晴らしい人間ドラマを見せてもらった。我の人間理解度が〇・二七ポイント向上した。褒美に、この町の永住権と、〈名誉グウシャ〉の身分をそなたたちに与えよう」
「ありがたき幸せ」
「さあ、このグウシャの銀バッジを受け取るがよい」
アキラは「ははっ」と言い、立ち上がって歩み寄る。
そして、持っていたタブレットをハナモン神の前にかざす。
「ナタラージャ」
タブレットがぶおんと振動し、光がはじけた。
アキラの額の紋章が青く輝く。
ハナモン神は動きを止め、固まった。
タブレットの光に呼応し、あらゆるものがフリーズし、拍手の音が残響音だけを残して消える。
空が真っ白になり、あちこちがひび割れていく。
スンとアキラの服装ももとに戻っていた。
「なんだ?」
「アキラ、町が消えていく!」
尖塔のステンドグラスが色を失い、ガス灯が消え、通行人の衣装が質素な作業着に変わっていく。
山高帽やパラソルを残して姿を消す者もいた。
警官も消え、警棒が道に転がる。
町を化粧していたハードライトの魔法が解けていく。
地面は揺れ、空が割れる。まるでこの世の終わりだった。
アキラたちの目の前に、白いホログラフ文字が浮かんだ。
ANAMNESIS: recall lattice dismounted — hostile mnemonic bindings purged.
NATARAJA RESET → citywide memory-links offline; re-key tablets to restore.
タブレットにも同じ文字列が表示されている。
「……貴様、なんということを……」
ハナモン神が言った。膝をつき、苦しそうに頭を押さえるその姿は御者ではなく、布
をまとった半裸の古代神だった。
半透明の身体は透けて見えた。
「……よくも、はじめから〈アナムネーシス〉を止めるのが目的だったか、巡礼官め……!」
「アナムネーシス? 巡礼官? 違う、私はただ、記憶のマントラをダウンロードしようと——」
「アキラ、記憶ノマントラハ、ソノ〈アナムネーシス〉ダッタンジャナイカ? 〈想起〉ッテイウ意味ダ」
「じゃあ、ナタラージャは?」
「マントラヲ止メルマントラダッタンダ!」
空中の文字列が薄まって消えた。
地面が割れ、馬車や路面電車が亀裂に呑み込まれていく。
遠くで警鐘が鳴っている。
「アキラ、ここは危ない、逃げるぞ!」
スンはアキラの手首を握り、逃げまどう人々の間を縫って走った。
「先行ッテルゾ」
バガスが二人の頭上を越えて駐車場に向かって飛んでいく。
荷物はいつでも脱出できるようにというバガスの提案でトクトクに積んである。
朝のうちに運んでおいたのだ。
あのオウムはかしこい。こうなることをある程度予測していたのかもしれない。
通りを走り、バガスの飛ぶ方向へ急いだ。
駐車場はパニック状態だった。
我先にと町の外へ向かって自動車やバイクが逃げていく。
「どこだ、バガス」
「おおい、おおい」
クラクションや怒号が響く中、きょろきょろしていると、一人の男がスンとアキラの前にぬっと現れた。
「やっちまいましたね、旦那たち。まさか、都市マントラを解除しちまうとは」
バーテンダーだった。旅人風の服を着て、荷物を背負っている。
「唱えるマントラを間違えたんだ。まさかこんなことになるなんて!」
「勘違いしねえでください。あっしは感謝しているんです。ようやく目が覚めて、この町から解放されました。やっと、次に進めます」
バガスが運転するトクトクがスンとアキラの前に停まる。
バガスにせかされ、二人は飛び乗る。
「お元気で」
アキラは茫然としている。
スンもどう返事をしていいかわからないまま、バガスが急発進させたトクトクの座席にしがみついた。
男の笑顔が人ごみに消える。
小さなトクトクは車両と車両の間をすり抜け、坂道を下っていく。
——「ありがとう」——
「え?」
スンは女の声に反応し、振り返る。
遠ざかる坂の上の駐車広場に、場違いな格好の女性が立っていた。
パラソルを持った袴姿のトキコだった。
透き通る青空の下、ピンと背筋を伸ばしたハナモンの令嬢が遠ざかっていく。
その凛とした笑顔は空に解けるように淡い光に包まれ、消えていく。
城下町も混乱していた。
クラクションの海を抜け、弁当売りの子供を轢きそうになりながら、幹線道路に飛び出した。
「このままトキオまで突っ走ろう」
「ワカッタ。飛バスカラ、シッカリ捕マレ」
さらに飛ばすのか、と思いながら、スンは座席のひじ掛けにしがみついた。
そのとき、一台のバイクが向かいから走ってきた。
すれ違いざまに、乗っていた金髪の女性がちらりとこちらを見て、笑みを浮かべる。
スンは振り返り、バイクを目で追う。
バイクは小帝都に向かって、濁流をさかのぼるように走っていく。
「今のは……ケハラ?」
小帝都からの避難民で混雑するルートを避け、迂回してトキオに向かった。
荒野を抜け、トキオ郊外の市街地に入ったときはすでに日が暮れていた。
目についた安宿に入り、男女別のドミトリーに泊まった。
古い病院を改装したホテルで、労働者風の男たちが泊まっていた。
スンは廊下や食堂で宿泊客にいやらしい目でじろじろ見られたが、睨み返すとその凄みにひるんで男たちは退散していった。
女性用のドミトリーには子供連れの移民らしき女性が大勢いた。
布頭巾を被っている者、肌の黒い混血の者、金髪や赤毛の者、片腕や両足が機械の者など、さまざまだった。
スンはシャワーも浴びずに二段ベッドで眠りこけた。
翌朝、共有スペースのロビーでアキラと顔を合わせた。
バガスのトサカのような寝ぐせのついたアキラ。
そのアキラの頭の上に乗ったバガスが「ニュースデ小帝都ヤッテルゾ」と言った。
ロビーの壁には大きなモニターがあり、宿泊客たちが注目していた。
「あれは何?」
「テレビだよ。最近、オムネシス教がはじめたプロパガンダ用の一方通行の通信システム。トキオ圏内は無料でニュースや娯楽番組を見られるんだ」
テロによる小帝都ハナモンの機能不全——都市を上空から映したドローン映像が流れていて、アンドロイドの女性キャスターが状況を解説していた。
「まさか、私たち、テロリストとして指名手配されてないだろうな」
アキラが言った。
「大丈夫みたいだぞ。容疑者はオムネシス教だって」
混乱の中、何者かによってハナモン神が連れ去られた。
オムネシス教マントラ派の巡礼官による神狩りの可能性が高いと報じられていた。
インタビューに応じたトキオの広報官は神狩りについてはコメントを差し控えたものの、町の機能不全とトキオ都教は無関係だという見解を述べた。
現地の生中継に映ったハナモンの有力者たちはマントラ派を厳しく糾弾し、
「法皇は責任をとれ!」
「マントラ派総裁のアウグス参議をクビにしろ!」
と口々に叫んでいる。
ハナモンの城内は、城下町から押し寄せた暴徒によって略奪が起きている。
逃げ遅れたハナモンの男性が身ぐるみはがされ、山高帽とパンツ一丁でドローンヘリに吊り下げられて脱出する様子が映っていた。
「ケハラだな……」
アキラはそう呟いてベンチに深く座り、ため息をついた。
「ナタラージャ……〈舞踏ノ王〉ッテイウノハ、ナカナカハイレベルナ皮肉ダ。マンマト踊ラサレタナ、アキラ」
「巡礼官……か。あんなのを、この先も相手にすることになるのかな」
ロビーの窓から、トキオの摩天楼が見える。
それはまるで小帝都が何百個も集まったような高層ビル群で、セラミックソードのような無数の尖塔が天を串刺しにしていた。
まるで、輝く巨城だ。
その裾野に広がる銀色の街区は果てしなく、世界中の人間がこの巨大都市に集まっているのではないかと思えるほどだった。
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