第12話 ナタラージャ/舞踏の王① バンドゥ 浮遊都市はどうやって浮いてる?
白い看護服を着たゾフィー・ニギタは、椅子に腰かけたまま、どこを見るでもなく座っていた。
休憩中とのことだが、スンの目には、ずっと人形のふりをさせられているようにしか見えなかった。
「こんにちは、ニギタさん」
「はい、こんにちは」
アキラの挨拶に、ニギタは抑揚のない声で答える。
返事というより、条件反射のようだった。
「最近はね、自分で料理もするし、服の好みもはっきりしてきたんだけど……まだ、誰かに自分から話しかけることはほとんどないのよ」
院長のハギノ・テレサが言った。
眼鏡の奥の細い目と、目じりに刻まれた皺の寄り方が、オギノとよく似ているとスンは思った。
病院の一角にあるハギノの自室で、三人と一羽は食事をご馳走になった。
ニギタが作ったというひよこ豆のシチューは、驚くほど美味しかった。
ゴズ産と思われるハムやチーズも並んでいる。
スンはあまり食が進まなかったが、アキラは箸を器用に使って、ぱくぱくと口に運んでいた。
ニギタは黙々とシチューをスプーンで飲み、上品な仕草でパンをちぎっては口に運んでいる。
その一連の動きには、ぎこちなさはないが、なにかが抜け落ちている感じがあった。
「ゾフィーには本当に感謝してるの。仕事を覚えるのも早いし、最近は採血もひとり
でこなすのよ。急患の応急処置だって、誰よりも手際がいいんだから」
「勾玉で治せないの?」とスンは訊いた。
答えたのはアキラだ。
「勾玉でできるのは、負傷部位の細胞再生と自然治癒の促進までさ。彼女の脳にはチップが埋め込まれていて、扁桃体や辺縁系にはナノマシンが入り込んでる。それらを安全に除去してからじゃないと、元の回路を再構成できない。しかも、海馬は部分切除されている」
「よくわからない」
「ツマリ、切除・再編成サレタ神経回路ノ再生ハ困難ナノサ」
好物の純正オイルをストローで飲んでいたバガスが口を挟んだ。
「オマケニ、神経組織ト癒着シタチップヲ無理ヤリ取リ出セバ、命ニ関ワル。スンノオデコニクッツイテルバンドト同ジダ」
たしかに、スンの額のデバイスバンドは外せない。
完全に皮膚と癒合し、脳神経に直接接続されているのだ。
「もっと高位のマントラなら治せるかもしれないけど、それが本当に存在するのか、どこにあるのかもわからない。それを探っているところさ。地方のAI神の中には、特殊なマントラを持っているものもいるらしいから、ほかの都市へ行けば見つかるかもしれない」
ニギタは瞬きもするし、話しかければこちらを向いて言葉を返す。
覚醒しているのはたしかだ。
食事や排泄は自分でできるし、言われたとおりの仕事を正確にこなし、複雑な経理計算までやってのけるという。
それでも——人間らしい揺らぎがない。
無意識に、プログラムされたとおりにすべてをこなしている機械を見ているようだった。
罪人の奴隷化は、各自治区の裁量にゆだねられているという。
しかし、移民を「即奴隷」にする前提で受け入れているゴズ村は、明らかに条約違反だった。
「すでに移民局には通報したし、救済要請も出した。移民の奴隷化についてはさすがに問題視されてるとは思うけどね」
「アキラは調整官だろ? 移民局で一斉摘発できないの?」
「もう私は職員じゃないよ。通報したときには、すでに無断欠勤を理由に解雇になってた。それに、移民局にできる制裁は次の移民の割り当て数を減らすぐらいだ」
笑顔で語るアキラに、スンは少し苛立った。
「じゃあ、ゴズ村の奴隷は見捨てるの?」
アキラは箸を止め、まっすぐにスンを見た。
「いや、もっと強力なマントラを手に入れて、必ず助ける。まずは、一度トキオに行って、情報を集めたい」
その言葉には確かな熱と力強さがあった。
「トゥクバのリシクル神も復旧しているだろう。今年の生贄は何人か救えたけど、問題は解決しちゃいない。それに、友達もまだゴズ村にいる。村はゴズ神をまだ信仰してる」
スンはアキラの記憶で見たジュリの顔を思い出した。
同時に、トゥクバに置いてきたリナたちのことを考える。
リナは脱出を拒み、スンとアキラを一生赦さないと言った。
あのあと、すぐにトゥクバの役人たちがやって来て、スンはアキラとともに脱出した。
結局、リナたちを説得しきれずに、ここまで逃げてきてしまったのだ。
——アキラを護ると誓ったものの、同胞に赦されないまま故郷を捨て、このまま進んでいっていいのだろうか。
「ジュリニ嫉妬シテイルノカ、スン」
スンは皿の葡萄の種を指で弾いて飛ばした。
おしゃべりオウムの顔面に命中する。
ハギノがくすりと笑う。
ニギタは黙ってテーブルの上の空の食器を眺めていた。
アキラのバイクはメンテナンスのため町の整備士に預けられた。
修理が完了するまで、アキラとスンはハギノ病院で働き、同時にここでしばらく休養することになった。
機械兵の攻撃で受けたアキラの腹の傷はカルナ発動の余波もあってか驚くほど早く塞がったが、体力はまだ戻りきっていない。
スンにしても、トゥクバの外の世界に慣れる必要があった。
その両方を見越しての、アキラとハギノの配慮だった。
アキラは勾玉で患者を治療し、合間に事務仕事を手伝った。
スンも看護服に着替え、雑務をこなした。
神学校の寮で一通りの家事は仕込まれているし、力仕事は男以上に得意だ。
担ぎ込まれた負傷兵をベッドまで運び、小麦粉の袋をトラックの荷台から降ろし、ニギタとともに末期患者の汚物を片付ける。
ニギタは、どんな仕事も表情ひとつ変えずにこなした。
ただ一つ、いつも首から提げているものがあった。
イグサの形見である千里鏡だ。
それだけは、決して外さない。
それは、絶対に外せないルーチンであり、彼女なりの
「抵抗」なのかもしれない——スンはそう思った。
閉ざされたトゥクバでしか暮らしたことがなかったスンにとって、バンドゥでの日々は驚きの連続だった。
アキラは臨時の治療師と事務員を兼務しており、病院にいるあいだは忙殺されている。
手の空いているバガスは、しきりにスンに散策をせがんだ。
スンは仕事の合間を縫って、バガスを肩に乗せて町を歩き、同時に社会見学をして回った。
アキラから渡されたプリペイド・チップで市場に行き、普段着と新しい下着を買った。
バガスはメンテナンス用のオイルと塗料を当然のような顔でリクエストし、スンはしぶしぶそれをレジに通した。
バンドゥは小さな集落だった。広さや人口はトゥクバの半分にも満たない。
ゴズ様式を質素にしたような平屋の石造りの建物が立ち並び、町の周囲は用水路の堀に囲まれている。
じゃがいもやトウモロコシの小さな畑があり、鶏小屋があり、テントの連なる市場があった。
質素な服を着た子供たちはくたびれたボールを蹴って遊び、女たちは洗濯物を干している。
学校はないが、代わりに、老人が木陰で子供たちに物語を聞かせていた。
中古の携帯端末が教科書で、村そのものが校庭だった。
町には「ヤード」と呼ばれる、防護フェンスに囲まれたスクラップの山があちこちにあった。
前時代の廃材から再利用できるものを選別するのが昔からの住人たちの主な生業だった。
彼らはスクラップの再利用を「魂返し」と呼んでいた。
家電に人格を与えるユビキタやリサイクル工場が神殿となったトゥクバの思想に近いものがあった。
バンドゥは独自の自衛組織を持たず、ユビキタ村と同じ共同自衛団に加盟しているが、こちらのほうが軍備は一段厚い。小銃やプラズマ槍を装備した機械兵も巡回して
いる。
リサイクル産業は自衛団にとっても貴重な資金源であり、ここを失うことは致命的なのだ。
「ダカラ、オギノヲ襲撃シタ輩ドモハ、ビビッテココヲ避ケタタノダ」
自称オムネシス教の過激派が、自治区の村落を襲撃して回っている。
ユビキタ村は家がまばらなため、襲撃を受けたのはオギノ宅とアキラ宅にほぼ限られた。
死亡者はオギノひとり。
五百メートル離れた隣家が通報し、連中は逃走したという。
「連中ノ本拠地ハ、トキオ直轄地域ノ北ニ接スルラビスタン。盗賊ガ支配スル無法地帯ダ」
散策の道すがら、バガスはスンに、トキオを中心とした世界情勢を講義した。
トキオは、東西数千キロにおよぶ「列島」の中央に位置し、南のトキオ湾に向かって扇状に広がる人口百万人の巨大都市。
都心部はバリアに覆われたハイテク都市で、ダリオ・ラピダドス法皇を頂点とするオムネシス教団が権力を握る。
最大派閥はシダール派。二大開祖の一人〈目覚めの聖人シダール〉の教え——「この世のしがらみからの解脱」を掲げている。
マントラ派は、そのシダール派から分派した革新的な新勢力。もう一方の開祖〈救済の聖人カシュア〉を信奉するカシュア派は対抗勢力だが、内部分裂が多く影響力は小さい。
宗派こそ違えど、共通しているのは、AIの神格化自体は認めているものの、絶対服従ではないという点だ。
神々はあくまで「守護者」にすぎない。
トキオは周囲の平野を支配し、いくつかの直轄市のほか、トゥクバやバンドゥのような自治区を点在させている。
主要産業は、金融、生体拡張技術、自動化農場、培養肉、ゲノム治療、仮想現実コンテンツ——。
経済的にはトキオ単独でも成り立つため、自治区への干渉は最小限だ。
列島のトキオ支配地域より東は資源が乏しく、大規模な都市は存在しない。
盗賊や蛮族が跋扈しており、極東や島しょ部には文明を捨てた狩猟採集民も存在する。
トキオ以西には、独立した都市国家が連なっている。
小帝都ハナモン、浮遊都市フォーライ、光の都ギフトなど。
トキオを常任ホスト国とした「中央連盟」というゆるやかな国家連合を形成しており、交易や人材交流を行っている。
各都市にはそれぞれ独自の「都教」があり、それが強烈なアイデンティティとなることで都市の独立性と秩序を維持している。
互いにその都教を尊重しあうことで平和が保たれているのだ。
連盟最西端の大都市ゴヤは、七年前からオムネシス教の「異端」とされる〈ミラ派〉の支配下にあり、トキオと政治的・宗教的に対立している。
女傑ミラ・ド・オレリアン将軍は軍縮要請を拒み、首脳会議をボイコットし続け、事実上連盟を離脱状態にある。
民間レベルでの交易関係は一部存続しているものの、トキオ及びトキオに追従する複数都市との間で緊張関係が続いている。
さらに西には、列島第二の巨大港湾都市オサカがある。
世界中の権力者と富裕層が集う海上カジノを母体にした歓楽都市だが、現在はトキオやゴヤとは断交しており、情報がほとんど入ってこない。強力な統治AIが情報統制している
両陣営のバリアと迎撃システムが陸海空のあらゆる交通経路を塞いでいて、詳細は謎に包まれている。
中央クラウドによる「人工奇跡」——マントラシステムはトキオ地下にある巨大サーバーに依拠しており、ゾーンヌルが支配する西側では使用できない。
トキオから半径二〇〇キロメートルの通称「マントラ圏」を超えると効果が急激に弱まるのだ。これがゾーンヌルの侵攻を阻む「見えない障壁」になっていた。
海外の大陸は、地軸変動、大戦、パンデミック、大規模な環境破壊により大部分が無人化し、砂漠化している。
旧文明をかろうじて引き継ぐ都市もあるが、列島ほど発展している地域はないと言われている。
壊滅した大陸から人が押し寄せた結果が今の混沌とした列島の現状で、旧時代に列島を支配していた単一民族国家を継承していると自称するトキオもまた、大陸からの渡来系勢力の権力争いの場となっており、旧時代文明の名残は消えつつある。
それらは、スンが神学校で習った歴史や地理とは違っていた。
大陸と列島の関係は概ねバガスが語ったとおりだったが、世界の中心はトキオでもオサカでもなく、あくまで古来より列島を支配してきたトゥクバであり、リシクル神が千年間、外敵から民を守ってきたと教えられてきた。
世界観や歴史観を根こそぎ覆されるのは困惑した。
しかし、スンの知識欲はそれを上回っていた。
それに、最低限の教養は生きていくのに必要だ。
アキラはしぶしぶスンの同行を許したに過ぎない。
足手まといだと思っているだろう。
せめて知識をつけて、戦闘面以外でも彼の旅を援護したい。
「小帝都とはどういう意味なんだ? 浮遊都市はどうやって浮いてる? ミラ派が異端と言われる理由は?」
質問攻めにあったバガスは、キャパシティを超えると決まって歌いだす。
「ミッキャマオ、ミッキャマオ、ミッキャミッキャマオー♪」
首とも胸ともつかない長い胴体を歌に合わせて上下させた。
なんの歌かと訊くと、かつてトキオの西の半島にあったとされる幻の都市国家ということだった。
ネズミの妖怪魔王が列島中から集めた住人に幸せな幻想を見せ、毎日巨額の税を搾取して支配していたという。
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