第10話 カルナ/慈悲⑩ 三十ギガ                     人間になってもいいでしょう?

 取り調べはある日を境に、少しだけ柔らかくなった。


「オムネシス教との関係はなさそうだし、あなたがイグサと共謀していた形跡もない。中央からの任期付き調整官を、あまり粗雑に扱うのも得策ではない」


 いつもの取調官が、机の上に端末を置いた。


「そこで、司法取引を提案します」

「……司法取引?」

「ええ」


 取調官は、淡々と条件を読み上げる。


 「被告イグサがオムネシス教マントラ派の巡礼官であり、スパイであるゾフィー・ニギタと共犯関係にあった――と証言していただく。ゴズ神さまの盗取を企てた、とね」


 アキラは、喉がからからになるのを感じた。


「そうすれば、あなたの罪は大幅に軽減されます。九十日間の農場労役で解放。さらに、密告者への報償金として三十ギガの給付がある」


「三十……ギガ」


「悪くない取引でしょう。辺境民の賃金を考えれば、破格ですよ」


 目の前にぶら下がっている数字は生々しかった。

 九十日で自由。

 三十ギガ。

 ジュリと同じ首輪を自分の首にはめられずに済む可能性。

 アキラは、膝の上で握りしめた手の震えを止められなかった。


「断れば?」

「ゴズ神さまの裁量次第です。労働地区での永年奉仕か、公開処刑か。いずれにせよ、あなたの証言がなくとも、彼女の有罪は揺るぎません」


 取調官は、あくまで穏やかだった。

 その穏やかさが、かえって逃げ場のなさを際立たせる。


 アキラは、ジュリの虚ろな目を思い出した。

 ニギタの、湖畔で揺れた声。

 イグサの、血だらけの顔でまっすぐこちらを見る視線。

 そして、自分の胸の奥で、冷たい何かが小さく頷く音を聞いた。


「……わかりました」


 その瞬間、三十ギガが心の中で鉛のような重さを持った。




 ゴズ神の神殿は、儀式のたびに内部構造を変える。

 この日は、裁判仕様だった。

 透明だった丸天井は、すでに黒く変色し、外光を遮断している。

 

 壁際に村の要人と僧官、中央に証言台と被告人席。

 最奥に鎮座する黒い牛頭神の目には、赤い光が灯っていた。


 その左側の被告人席に、イグサが座っていた。

 顔は腫れ上がり、ところどころ紫色になっている。

 片方の目はほとんど開かない。

 両手足を拘束され、顎をだらりと落としている姿は、あの山林で見せた獣のような鋭さを失っていた。


「容疑者アキラ・ユダ。証言を述べよ」


 ゴズ神の声が響く。

 機械的だが、わずかな抑揚が、神の威厳を演出している。


 アキラは証言台に立ち、事前に渡された陳述文を読み上げた。


 イグサはオムネシス教マントラ派の巡礼官であると思われること。

 ニギタは内部協力者だったと推認されること。

 神殿のAIを停止させ、ゴズ神を〈神託のタブレット〉に封印しようとしていた可能性があること。


 一文ごとに、喉が焼けるように痛む。


 それが嘘か本当か、アキラ自身にも判別できない箇所がある。

 だが、少なくとも「自分がそう信じている」と装う嘘であることは、はっきりわかっていた。


 イグサのほうは見ないようにした。


 証言を終え、席に戻る途中、ふと傍聴席に目がいった。


 ティベムラ村長をはじめとした村の上層部が、前列に固まって座っている。

 誰もアキラと目を合わせない。視線は一点、被告席だけを刺している。


 その後方、村民の傍聴席の中に、水色の作業着を着た女性がいた。

 

 ニギタだった。


 アキラは、息を止める。


 彼女はまっすぐ前を向いて座っていた。

 顔から表情が消えている。

 首元に、銀色の首輪が光っていた。

 ロボトミー手術は、すでに終わったのだ。


 視線を送っても、微かな反応すらない。

 まるで、そこにいるのはニギタという形をした別の物体だった。


 検察官が、証拠品のタブレットを掲げながら陳述を始めた。

「これは、オムネシス教マントラ派が神を狩るために使用するマントラデバイス、神託のタブレットである。被告人イグサは、これを用い、村のインフラを一時停止させ、奴隷解放を口実にゴズ神の強奪を試みた——」


 言葉が続くたびに、傍聴席から低いどよめきが漏れる。


 ゴズ神の目の光が、一段と強くなる。

「被告人番号6966は、スパイ防止法違反および神聖冒涜罪に基づき有罪と認める」

 ゴズ神の声が再び響いた。

「刑は——胸部串刺しとする。執行は即時」


 傍聴席が総立ちになり、拍手と歓声が渦巻いた。


 殺せ、殺せ、殺せ——。

 どこからともなく、コールが始まり、波紋のように広がっていく。


 被告席がぎゅいんと持ち上がり、イグサの身体が高所へとせり上がっていく。

 足元はだらりと垂れ、抵抗の気配はない。


 やがて、長柄の槍を持った機械兵が現れた。

 槍先は円錐形のプラズマで覆われ、不気味な青い光を放っている。

 あんなもので貫かれたら、胸に大穴が空いて内臓が消し飛ぶだろう。


「や、やめろ……」

 

 漏れた声は、歓声の渦にかき消される。

 アキラは、気づけば席を飛び出していた。

 押し寄せる群衆をかき分け、処刑台に向かって走る。


「やめろ! 殺すなら、私を殺せ!」


 肩をつかまれ、刑務官に押し戻される。


 その瞬間、イグサが視線を下ろした。

 ぼろぼろの瞼の隙間から、腫れた目がアキラを捉える。


 目が合った。


 アキラは、なにかを叫んでいた。


 謝罪だったのか、懇願だったのかアキラ自身にも判然としない。

 ただ、喉が千切れるほどに叫んでいた。


 イグサは、口元だけで小さく笑った。

 そして、唇を動かした。


 ——気にしないで。


 そう言ったように聞こえた。


 次の瞬間、長槍の青い切っ先が、イグサの胸を貫いた。

 プラズマがイグサの肋骨を砕き、心臓を焼く。

 血と肉片が光の中に散る。


 法廷の歓声が、最高潮に達する。


慈悲カルナ


 イグサの声が、直接頭の中に響いた。

 同時に、額の赤い紋章が白く光る。


 検察官席に置かれていたタブレットから、無数の光の帯が噴き出した。

 それらは蛇のようにうねりながらゴズ神に巻き付き、牛頭の像をぐるぐると取り囲む。


 次の瞬間、神殿全体が白い光に包まれた。

 音にならない音が、歓声を飲み込んでいく。

 床も壁も天井も、輪郭だけを残して白い霧の中に溶けていく。




 気づくと、アキラは床に倒れていた。

 手錠は外れている。


 見上げると、ゴズ神の目の光が消えていた。

 角先の光ファイバーも沈黙している。

 周囲では、村人たちが混乱していた。


 気を失っている者。

 呆然と座り込んでいる者。

 泣き叫ぶ者。

 全員の額の上に、白い残光のようなものがかすかに揺らめいている。


 イグサは、処刑台に固定されたままだった。

 胸を貫いた槍はそのまま。

 身体の周囲に、虹色の薄い靄が漂っている。


 床に落ちていた神託のタブレットが、まだ微かに光っていた。

 アキラがそれに触れた瞬間、ぱち、と小さな放電音がした。


『所有者認証——完了』

 機械音声が、どこからともなく聞こえる。


 タブレットは、磁力で吸い付くようにアキラの手に張り付いた。


「逃げるなら、今のうちです」

 

 背後から低い声がした。


 振り返ると、ティベムラ村長が立っていた。

 いつもと同じ落ち着いた表情だが、額にはうっすらと汗が浮かんでいる。


「あなたの荷物は、すでにバイクに積ませてあります。ゴズ神さまのフリーズがいつ解けるか分からない。急ぎなさい。可能なら――ニギタも連れていってほしい。死んだ親友の娘なんです」


 ティベムラの隣に、無表情なニギタが立っていた。

 首輪のインジケータが、静かに点滅している。命令待機中のサインだ。


「ロボトミー手術は済んでいます。命じれば、なんでも従いますよ」


「な、なぜ……私を助けるんですか」


 ティベムラは、ほんの少しだけ笑った。


「ゴズ神さまが見ていないときくらい、人間になってもいいでしょう?」


 そう言って、村長は視線を処刑台に向けた。


 イグサの身体を包んでいた虹色の靄が、徐々に濃くなっていた。

 

 輪郭が揺らぎ、やがて泡のように崩れていく。

 

 血の跡も、肉片も、床からすっと消えていく。

 最初から何もなかったかのように、そこには空虚な座席だけが残った。


「さあ、行きなさい」


 ティベムラに背中を押され、アキラはタブレットを胸に抱いて走り出した。

 ニギタの手を取り、人波をかき分けて神殿を出る。


 迎賓館の前を過ぎ、門のあたりに停められたバイクが見えた。

 門柱の近くには、機械兵が停止していた。

 ゴズ神の命令が途絶えたのだろう。


「後ろに乗って」


 ニギタは無言でバイクの後部座席に跨がった。


 詰所から初老の守衛が顔を出した。

「なんだ、また襲撃か?」


「ゴズ神がフリーズしました」

「……またか。そうかい。あんたも、ご苦労さんだったな」

「あなたも、村から逃げたほうがいい。ここは、そのうち――」

 

 守衛は、アキラの言葉には答えなかった。


 ただ、不思議そうに一瞬だけアキラを見てから、神殿のほうに向き直り、黒く沈黙した丸天井に静かに手を合わせた。

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