第9話 カルナ/慈悲⑨ 機関銃と家畜          シンプルな暴力は、人の心を折るのに効率がいい   

〈神託のタブレット〉は、織珠とリンク可能な多目的マントラデバイスだった。


 イグサの指示で、ニギタは織珠をタブレットに同期させ、マーヤーのコードをコピーした。

 タブレットの画面には、使用できるマントラの一覧と、残りギガ量がゲージ表示される。

 マーヤーのゲージは、すでに半分以下だった。


「織珠もタブレットも、マーヤーだけは同じギガ・プールを使う。乱発したら、どっちも空になるわよ」


 イグサが釘を刺す。


「いまの残量だと、広域での一斉使用ならあと二回。狭い範囲でならもう少し保つけど、そのぶんゴズ神の監査ログに引っかかりやすくなる」


「千里鏡や勾玉みたいに、課金チャージは?」

「非公式デバイスに中央の決済回線は通らないわ。携帯用のプリペイド・チャージ機があれば別だけど、ここにはない」


 つまり、マーヤーは使い切りに近い。

 しかも、織珠とタブレットで残量を食い合っている。


「作戦はこう」

 イグサは、タブレットに表示した村の俯瞰図を指でなぞった。

「ニギタは一旦、村長たちの会議に戻る。タイミングを見て神殿の制御室に入り、労働地区へのゲートセキュリティを開ける。その間に、アキラと私が居住区を抜けてゲート前まで行く」


「機械兵と警備兵の目は?」


「あなたの千里鏡で動きを見ながら、危なければマーヤーを使う。センサーと低位AIの『注意』を外してすり抜けるのよ。人間には短時間しか効かないし、二度目以降は耐性が上がる。だから、真正面から突っ込むのは一回きり」


 ゴズ神の中枢でカルナを使う段になると、さらにギガが必要になる。

 救出行動自体がカルナの「チャージ」になるとしても、そこへ至るまでにマーヤーでギガを使い切っては意味がない。


「ゲート制御を開けたら、メールで合図します」

 ニギタが言った。

「制御室に入るところまでは、なんとかなるはずです。妹が……いいえ、彼女が残したルートが、まだ生きていれば」


 その声には、決意と同じくらいの不安が混ざっていた。


「失敗したら?」

「そのときは、あなたたちが千里鏡で敵の配置を見ながら、別ルートで労働地区に侵入してください。どのみち、ここまで来た以上、後戻りはできません」


 イグサの目は、相変わらずぎらぎらと光っているのに、不思議と、アキラは彼女の言葉に希望を感じていた。

 無謀な作戦が、彼女の明瞭な声で語られると、どこか現実味を帯びるのだ。

 汗と血の匂いに混ざって、彼女の吐く息が、かすかに甘く感じられる。


 ——これがディゼクタの「危険な美しさ」か。


 オギノ爺の、「歩く機関銃みたいだった」という昔話を思い出し、アキラは妙に納得した。


 ニギタと別れ、アキラとイグサは林の中を抜けて居住区に戻った。

 千里鏡で敵の位置を確認しながら、街灯の死角と建物の間を縫うように移動する。

監視カメラに捉えられそうになるたび、イグサがタブレットに触れてマーヤーを発動させた。 


 見つかりそうになったのはすべてアキラのミスだった。


 マーヤーを使うと、カメラの赤いランプが一瞬だけ点滅し、その直後、視線がわずかにズレる。

 機械兵のセンサーアイも、何かを見失ったように別の方向を向いた。


「効いてるわね。今のが三発目」

「もうそんなに?」

「広範囲で使ったから。千里鏡を見て。センサーの死角がどう動いてるか、あなたにしか見えない」


 アキラは、千里鏡の地図上で白い点がゆっくりと動き、視界の円錐がずれていく様子を追った。

 確かに、こちら側をすり抜けられる、一瞬の隙が生まれている。


 ただ、それはほんの数十秒だ。

 人間の警備兵の何人かは、すぐに妙な違和感に眉をひそめ、周囲を見回している。その「慣れ」の速さが不気味だった。


「やっぱり、二度目以降は効きが悪いな」

 イグサが舌打ちする。


「ゴズ神のログにも、そろそろ残り始めてる。マーヤーは〈見えないけどそこにあるノイズ〉として記録されるのよ。やりすぎると、解析されて殺される」

 そう言って、イグサは建物の陰から労働地区を見やった。


 黒い立方体の建物群。

 その前庭に当たる芝生の向こう、重々しいゲートの前には、機械兵と生身の警備兵が合わせて十人ほどたむろしている。


「ニギタからの合図は?」

「まだ、来てない」


 アキラは端末の通知欄を見た。

 沈黙。

 電波状況は、ぎりぎり一本立っている。


 千里鏡を開くと、神殿の側面に位置する制御室に、小さな白い点が入っていくのが見えた。

 ニギタだろう。

 点はそこで止まり、しばらく動かない。


「……長いな」


「セキュリティを一度止めたら、ゴズ神がすぐに気づく。慎重にやってるんでしょう」

 イグサは芝生の影に身を伏せたまま、低く言った。


 夜露で濡れた草の匂いが、冷たい土の匂いと混じって鼻腔に染みる。


 そのとき、千里鏡の中で、制御室の白い点が点滅しはじめた。

 負傷のサインだ。


「ニギタに、何かあった」

 アキラは声を震わせた。


「アキラ、上!」


 見上げると、ドローンが一機、こちらにカメラを向けていた。

 タブレットに手を伸ばすより早く、ドローンから衝撃波が撃ち出される。


「うわっ——!」


 鈍い衝撃が胸に食い込み、アキラは芝生の上を転がった。

 肺から空気が抜け、視界が白くフラッシュする。

 千里鏡とタブレットが手から離れて飛んだ。


 イグサが跳ね起き、プラズマナイフを抜いてドローンに飛びかかる。

 青い刃が一閃し、偵察機械は火花を散らして墜ちた。


 ゲート前の警備兵たちが騒ぎに気づき、こちらに向かってくる。


「くそっ……!」


 アキラはなんとか身を起こそうとするが、身体が言うことを聞かない。衝撃波で神経がしびれている。


 近くでタブレットが、かすかな光を放っているのが見えた。

 千里鏡の表示は、泥にまみれてちらついている。

 制御室の白い点は、複数の点に囲まれながら、次第に色を薄くしていった。


 ——マーヤーの残量が足りなかった?


 ふと、そんな考えがよぎる。

 

 もしそうなら、ニギタは制御室でマーヤーを使い切り、ゴズ神の監査ログに自分の位置を刻みつけたのかもしれない。


 アキラは自責の念に囚われた。

 自分が何度も見つかったせいで、イグサが多発した。

 二人の足を引っ張っていた。


 イグサは、迫りくる機械兵たちを相手に奮戦した。

 警棒を振り下ろす機械兵の腕をかわし、プラズマナイフで関節を断ち、腹部を蹴り飛ばす。


 だが、多勢に無勢だった。スタンガン銃の電撃を浴び、ついに膝をついたところを数人がかりで押さえ込まれる。


「イグサ!」

 声をあげた瞬間、背後から誰かに飛びかかられた。


 腕をねじ上げられ、冷たい金属製の手錠が手首に噛みつく。

 視界の端で、タブレットが誰かの足先に蹴られて転がった。


 画面に浮かぶマントラ一覧の光が、一瞬だけ赤く点滅して消える。

 労働地区のゲートが、重々しい音を立てて閉じた。


 逃げ道は、もうどこにもなかった。




 ニギタは反逆罪でその場で射殺された——と、取調官は淡々と告げた。


「ゴズ神さまは、あなたの部屋に彼女が入った瞬間から監視していたそうですよ」


 丸い頭蓋に脂汗を浮かべた取調官が、机に肘をつきながら笑う。


「織珠の残量も、マーヤーのログも、すべて計算済みだった。行動予測をして、泳がせて、現行犯で潰す。村のギガを集積されたAI神に、人間の知力は及ばんのですよ」


 隣に立つ大柄な刑務官は、あのときニギタにマーヤーをかけられた男だった。

 根に持っているのか、取調べのたびにアキラの髪をつかみ、机に顔面を叩きつけた。


「シンプルな暴力は、人の心を折るのに効率がいい」

 

 上司の取調官は、にこやかにそう言った。


 アキラは、ほとんど抵抗しなかった。

 知っていることは包み隠さず話し、知らないことは知らないと言うしかない。

 

 それでも、殴打と空腹と睡眠剥奪は、機械的に続いた。




 七日目。

 アキラは牢から引き出され、腰縄を打たれた。

 護送車に押し込まれ、窓もない車内で揺られる。

 車は、黒くそびえる労働地区の建物の一つにそのまま飲み込まれた。

 高い天井のガレージ。白い作業服を着た人影が、黙々とコンテナを運んでいる。


 ほとんどの首に銀色の首輪がはめられていた。

 金属製の輪ではなく、皮膚に直接縫い付けられたような、不気味な一体感がある。

 皆、表情が薄い。

 笑い声も、雑談もない。

 目だけが、どこか遠くを見ていた。


「歩け」

 

 腰縄を引かれ、アキラは通路を歩かされた。


 作業員の一人が、壁際の台車に重い金属パーツを積み替えている。

 作業服の隙間から、下腹部あたりに不自然な手術痕が覗いた。


 別の男は、脚の付け根から金属フレームが伸び、骨格を補強するような装具に繋がれている。

 筋肉は萎び、機械の駆動音だけが規則的に鳴っていた。


 ガラス越しに見える別室では、数人の女性が椅子に固定されていた。

 腹部は外部装置で支えられ、チューブが体内と機械の子宮のような装置を行き来している。

 彼女たちの視線は天井に向いたまま、焦点が合っていない。


「……」


 アキラは、声を失った。


 ロボトミー手術は、ただ人格を削るだけではない。


 男は去勢され、力仕事と臓器ドナーとして消費される。

 女は、奴隷でありながら、新しい「家畜」を生産するための器官に組み込まれる。

 神殿に祀られたゴズ神は、牛の像だ。


 この村は――家畜の怨念が形を変えた復讐装置なのではないか、とさえ思えた。


 作業員の列の中に、見覚えのある横顔があった。


「……ジュリ?」

 

 声をかける。


 ハンドリフトを押していた彼女は、一瞬だけ視線をこちらに向けた。


 しかし、その目には認識の光がなかった。

 すぐに視線を前に戻し、作業を続ける。

 首輪のインジケータが、淡く点滅していた。


 命令の上書きでも受け取っているのだろう。

 ジュリの顔から、微かな迷いさえ消えていく。

 刑務官たちは、その様子をにやにやと眺めていた。


 見せしめだ――と、アキラは理解した。


 ここを一度見た者を、生かして外へ出すつもりなどない。

 出るときがあるとすれば、脳に処置を施されたあとだろう。

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