第7話 カルナ/慈悲⑦ マーヤー                    カメラが再起動するまで、時間がありません

 次の日、ニギタの案内で、村の居住区を視察した。

 

 広報官はアキラより一回り年上の、髪を短く切りそろえた利発な美人だった。

 二人きりで視察するのははじめてで、村長の思惑どおり、アキラは落ち着かない心地がした。

 老獪な有力者は古典的な接待の効果をよく知っている。


 山に抱かれた大きな湖のほとりに、淡い色の集合住宅と整備された公園が点在している。

 山の中腹にはソーラーパネルが埋め込まれ、青々した木々の間で、陽光を反射していた。

 斜面には半球形の屋根を持つ家々が段々畑のように並んでいる。屋根には耐寒性の植物と太陽光フィルムが貼られ、遠目には緑の丘陵のように見えた。


 丸天井の平屋が多いのは、集落形成期に牧畜が主産業だったころの牛舎の名残だという。


「あの丘の上が総合病院です」

 ニギタが指差した先、白い箱型の建物が湖を見下ろしている。

「各地から患者が治療を受けに来ます。ゴズ神の医療アルゴリズムは優秀ですから。いつも病床は埋まっています」


 ゆったりと整備された遊歩道を歩くあいだ、作業着姿の住民が芝刈り機で草を刈り、清掃用ドローンが歩道を掃除していた。

 近くを通ると、彼らは一様に微笑み、軽く会釈してくる。どこか、演技じみた角度で。


 アキラは、彼らの視線の先——街路灯の上の監視カメラが、ゆっくりとこちらを追っているのに気づいた。


 透明な丸天井の神殿に入ると、黒い牛頭神の巨像が湖畔の防風林の高さを超えてそびえ立っていた。古代彫刻のような重厚さと、角に沿って走る光ファイバーのきらめきが奇妙に混ざり合っている。


「ここは儀式の祭壇であり、法廷であり、議事堂でもあります」

 ニギタの声は、いつもの広報官らしい張りを取り戻していた。

「ゴズ神が裁判官や祭祀長となるとき、丸天井は黒く変色し、外光を遮断します。村の重大事は、すべてここで決まるのです」


 神殿の見学を終えると、湖畔のベンチで休憩になった。

 ニギタが作業員に命じて持ってこさせた紙コップのコーヒーを手に、二人は湖面を眺める。


 アキラはニギタの首から下がる古い認証タグに目をとめた。角の欠けた、金属縁のカード型デバイスだ。


「珍しいタグですね。医療用の……旧式ですか」


 ニギタは一瞬、表情を固くし、それからいつもの微笑みに戻した。

「妹の形見なんです。昔、この村で医療の仕事をしていて……亡くなりました」

 声の調子が、ごくわずかに揺れた。


「そう、ですか」

「正義感が強すぎたんですよ」

 ニギタは湖面から目を離さず、小さく息を吐いた。

 

 アキラは、言葉を選びかけて、言うのをやめた。

 この閉鎖的な村で、医療従事者が「正義感」で死ぬ理由は、おおよそ想像がついてしまう。


「あの……妹さんはレムナントだったんですか?」

「いいえ。我が家は代々ケイオグノムですが、祖母がレムナントでした。妹は隔世遺伝で、能力を少しだけ受け継いでいた。私は完全なケイオグノムです」

「そうなんですか。僕は逆で、純正のレムナントです。神器は――これだけですけど」

 アキラは、ポシェットから翡翠色の勾玉を取り出した。

 二十年以上前、仕事中の事故で死んだ母の形見だ。


 配属のとき、役所に頼み込んで、個人所有デバイスとして登録してもらった。書類上は「配属と同時に割り当てられた医療デバイス」になっている。

 

 太陽光を受けた勾玉が、うっすらと光った。

 ニギタの目が、その瞬間、わずかに見開かれた。

「レムナント用の医療デバイス……ずいぶん古い型ですね」

「ええ。止血と修復くらいしかできませんけど。どこか具合が悪ければ、いつでも言ってください」

「あ……ありがとうございます」

 彼女は急に視線を落とし、何かを隠すように目を伏せた。

 それ以上、妹の話も、勾玉の話も続けようとはせず、事務的な口調に戻った。


 そのとき、街灯の監視カメラがぎぎ、と音を立てて回転し、こちらを向いた。

 レンズの赤いインジケータが一瞬またたき、すぐに安定する。


「昨日の村長のお話、覚えておられますか」

 ニギタが湖面を見たまま言った。

「襲撃者の件です。なるべく、中央やほかの自治区には伏せておいてほしいのです」


「それはもちろん、守秘義務は――」

 言いながら、アキラは内心で引っかかりを覚えた。

 ゴズ村から中央に未報告ということだ。

 犯人が村の外へ逃げたのなら、捜索にはトキオの協力が不可欠のはずだが。


「実のところ、犯人はまだ村内にいます」

 ニギタは、監視カメラに見られていることを明らかに意識しながら、そこで言葉を切った。

「昨夜、山中の監視カメラに映っていました。逃げてはいません」


「まだ、ゴズ神を狙っていると?」

「村長はそう考えているようですが――」


 彼女はそこまで言って口をつぐんだ。


 湖畔のカメラは、依然として二人のほうを見ている。

 これ以上踏み込まないほうがいい、とアキラの勘が告げていた。


 アキラは勾玉をポシェットに戻し、視界の隅にそびえる黒い労働地区を横目で見た。

 高い外壁に囲まれた立方体の建物群。窓は少なく、出入り口は一つきり。黙々と運搬車両だけが出入りしている。

 すでに冷めきったコーヒーを飲み干しながら、アキラは、その黒い塊の内部を想像しようとして、やめた。


 だだっ広い食堂で昼食をとると、アキラは客室に戻った。

 部屋はきれいに整えられており、荷物も隅にきちんとまとめられている。


 午後には、これまで立ち入りを拒まれてきた労働地区の視察が予定されている。

アキラは、あらかじめ作っておいたチェックリストを端末の画面に映し、抜けがないか確認した。

 労働環境、衛生状態、事故報告、死亡者の扱い――。どこまで本当のことを見せてもらえるかは、わからない。


 ノックの音がした。

 

 扉を開けると、ニギタの部下らしい若い男が立っていた。かっちりとした古い型のスーツを着た、気弱そうな青年だ。


「申し訳ありません。午後からの視察は延期となりました」

「延期?」

「指示があるまで、お部屋で待機していただきたくて。その……」

 男は心底すまなそうな顔をした。

「ご存じかもしれませんが、襲撃事件の犯人の捜索が続いておりまして、その関係で」

「外の空気を吸うくらいなら――」

「いえ。厳戒態勢ですので。村長からの命令です」

 歯切れの悪い返答だったが、アキラは一応引き下がった。

 ドアが閉まる。電子ロックのうなる音がした。

 

 夕方になっても、呼び出しはなかった。

 おかしい、とアキラは思った。センターに状況報告のメールを送ろうとしたが、携帯端末は圏外を示している。

 基地局そのものを切っているのだろう。村のギガを束ねたゴズ神が、本気で通信を遮断すれば、辺境役人一人の端末など簡単に黙らせられる。


 試しに廊下へ出ようとドアを開けると、さきほどとは別の、肩幅の広い職員が廊下をうろついていた。


「部屋に戻ってください」

「理由を教えてください。調整官には移民局への報告義務が――」

 押し問答になると、男はため息をつき、言った。

「犯人の指紋が、あなたの荷物から検出されました。容疑が晴れるまで、ここを出ないでください」

「は?」

 言葉より先に、男の手がアキラの胸をどんと押した。

 中へよろめいたところで扉が閉まり、ロック音が重く響く。


 静寂だけが残った。


 ベッドに腰を下ろし、アキラは乱暴に手ぐしで前髪をかき上げた。

 窓から逃げることも考えたが、カーテンの隙間から見下ろすと、玄関前にはSPのような男たちが複数待機している。電撃警棒を持った機械兵の姿も見えた。


 ふと、天井の隅に貼りついている白い円盤に目がいった。

 煙感知器だと思っていたが、小さなレンズと赤いインジケータが埋め込まれている。

 神殿で見上げたのと同じ監視カメラだ。

 

 ここで下手に動けば、すべて見られる――。


 そのとき、ノックもなく扉が開いた。


 振り返ると、ニギタが立っていた。

 取り調べに連行されるのかと思ったが、彼女は静かに中へ入り、背後で鍵をかけた。

 腰ポーチから、小さな球状のデバイスを取り出す。掌に乗る、青白い光を帯びた半透明の球だ。


幻影マーヤー


 低く呟いた瞬間、天井のカメラの赤いランプが一度だけ激しく点滅し、それからぴたりと止まった。レンズの内部でシャッターが閉じたように見える。


 室内の空気が、ふっと軽く変わった気がした。


「……今のは?」

「簡易マントラデバイス、〈織珠〉です」


 ニギタは球体を軽く振って見せた。内部に細い配線と結晶がびっしりと編み込まれている。


「半径数メートル以内の低位AIと監視機器の認識を一時的に麻痺させます。ログには、直前の静止画だけが上書きされる」


「そんな……本当に、見えていないんですか?」

「見えているのは『さっきまでのあなた』だけです。効果は長くて五分。繰り返し使うと、ゴズ神の監査ログに異常値として上がります」

 彼女は球体の表面のパターンを指先でなぞりながら、淡々と言った。


「大きな神を完全に欺くには力不足です。あくまで目くらまし」

 そう言ってから、ニギタはアキラのジャケットの裾に目をやった。

 無言で近づき、布地の折り目を指でつまむ。

「失礼」

 裾の裏側から、五百円玉ほどの薄い黒い円盤を剥がし取った。

裏面に、ごく細い脚とレンズが折り畳まれている。


「監視ボット……?」

「音声と位置情報の送信用ですね。温泉に入られている間に、誰かが仕込んだのでしょう」

 ニギタはそれを床に置き、織珠で軽く叩いた。

 パチ、と静かな破裂音がして、黒い円盤はただの焦げたプラスチック片になった。


「あ、あの、ニギタさん、僕は本当にこの事件とは無関係で――」

「わかっています」

 彼女は、短く言った。

「だからこうしています。静かに、話を聞いてください。カメラが再起動するまで、時間がありません」

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