第8話「過去は消えたりしない」
受け入れるかどうか、は重要ではない。こうすればわざわざ機会を逃そうとする愚かな人間などいないはずだ、という確信の中での言動だ。
なのに、想定していなかった言葉にヴィルヘルミナの思考は断たれた。
「駄目ですよ、お嬢様。それは旦那様がお嬢様のためにと提案したことです。一介の専属侍女である私が与るべき名誉ではありません。お互いの立場というものもご理解してくださいませんと、私が白い目で見られてしまいます」
すぱっと断られてしまい、思わずヴィルヘルミナも微かに感情が揺れた。
「知識や経験というのは他者からの疎外程度で手を伸ばすのをやめていいものではないだろう。なぜ断るのだ、お前なら頷くと思っていたのだが」
「そりゃあもちろん、私としても学院は素敵な場所だなって思いますけどね。魔法を学ぶ機会なんて、中々にないことですから」
再び髪を梳き、丁寧に三つ編みを作り、アップヘアに整えていく。
「でも所詮は侍女ですよ。平民なんです。周囲から馬鹿にされてまで学院に通う価値なんてありませんよ。私は今みたいにお金が稼げれば満足です」
何故だか、ヴィルヘルミナはその言葉に胸がちくりとする。
自分とは同じ場所にいないことが残念だからなのか。あるいは学ぼうとする機会を与えたのにふいにされたからか。────それとも。
「私とは行きたくない、ということか」
理由は分からない。ただ落ち着かない。ずっと鍵を触って冷静になろうとする。アメリエはずっと傍にいた専属侍女だ。自分で選んだ。弟子を取ったときのように。だから、今回も自分の選択のままに進むと思っていた。
拒絶された。誘いを正面から。理解ができなかった。どうして、と。
「まさか。お嬢様とはできるだけ一緒にいたいと思ってます。学院へ行かれてしまったら、お手紙を出す以外では会えなくなるでしょう?」
「ああ。規定通りなら学校関係者以外は立ち入り禁止だから……」
鍵を擦るのをやめて、ぎゅっと握りしめて俯いた。
「お前が来ると言えば、まだ一緒にいられると……いや、なんでもない。私の下らない感傷だった。不快な思いをさせるつもりはなかったんだ」
本気で落ち込んでいた。無自覚に、無意識に。覆い隠した落胆から目を背けて、ヴィルヘルミナはいつもの調子に戻った。
だが、長い付き合いであるアメリエは、その小さな異変を見逃さない。
「お嬢様。私もできることなら通いたいと思います。でも、それは良い支援者様がいればです。それが旦那様であってはならない、と自分の中で決めてるんです。ただでさえ雇ってくださっているのに、図々しいことは言いたくありません」
髪型が完成すると、アメリエはそっと肩に手を置き、顔を並べて鏡にニコッと笑顔を映す。大切な人のために笑顔を絶やさないように。
「だから、私は応援してますよ。お嬢様!」
「……うん。そうだな、ありがとう」
アメリエはヴィルヘルミナよりも三歳、年上だ。自分で選んだとはいえ長く付き合いがあったヴィルヘルミナにとっても、姉妹のように育ってきた。養父であるマーロンよりもずっと、密接に暮らしてきたのだ。
いまさら離れると思うと、一心同体のようだった相手がいなくなることが寂しかった。本人はそれを不満程度にしか捉えておらず、なぜここまで自分が執着しているのかも分からないで、胸がぎゅっと苦しくなった。
「アメリエ。私が学院に行ったら手紙を寄越せ。しばらく会えなくなるとしても文通程度は許されるのだろう。お前は私が選んだ人間だ、これは譲歩だ」
「ふふっ、はいはい。もちろん出させて頂きます、お嬢様の侍女ですもの」
ぽんぽん、と肩を叩いてアメリエは優しく言った。
「さあ、そろそろお眠りになる時間ですよ。服はお着替えになりますか?」
「今日はこのままで良い。ラフなドレスを選んでお茶会に出たから」
「わかりました。では、ごゆっくりお休みなさいませ」
促されてベッドに移り、もぞもぞと掛け布団の中に潜り込んでいく。
出てきたときには整えた髪型がくしゃくしゃにされて元通りになっていた。
「……今日もご苦労だったな、アメリエ。もう戻っていいぞ」
寝つきが良すぎるくらいのヴィルヘルミナは、枕に頭を乗せると、そう言ってすぐに寝息を立て始めた。起きているときには大人びているのに、寝顔はまさしく子供のように穏やかで愛らしい。
アメリエが、寝顔をみながらくすっと笑う。
「本当に寂しがりなんですから。……ごめんなさい、一緒に通ってあげられなくて。でも、やっぱり私たちは立場が違いますので」
邪魔そうな前髪を指でそっと避けて、愛おしく頬を撫でた。
「でも大丈夫ですよ。世の中には、お嬢様を理解してくれるお友達がたくさんいます。だから心配なさらず巣立ってください」
これまでずっと、ヴィルヘルミナとアメリエは二人三脚とも言える距離感で傍に居続けた。これからも変わらないと思っていた期待を裏切ることになるとしても、もっと視野を広げてもらうためには自分は邪魔になるとアメリエは退くことにした。愛する主人が、もっとたくさんの人と関われるように。
静かにアメリエが部屋を出て行った後、数秒して、ヴィルヘルミナはゆっくり目を開く。胸の内に押し寄せる訳の分からない複雑な感情に、再び目を瞑った。
「理解者のできるような人間だったなら、弟子に殺されてはいなかったさ」
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