第7話「機会に恵まれたのだから」
子爵家での十年を過ぎて、初めて興味をそそられた話題だった。
「魔法学院ですか。以前から時折、耳にはしていましたが」
「縁遠いものだと思っていたかい?」
こくり、と小さく頷く。魔法学院は才能ある魔法使いの子供たちの養成所として知られている。いくら極めたといえども、それは生前の話。今の世界における魔法の形態については、さほど理解を深めていない。
十年も生活していれば多少は感じられたことはあった。世の中のあらゆる生活基盤には魔法が必要不可欠な存在となっている。料理を作るのに火を使うのも、水をきれいにするのも、暑い日には風を起こして町全体を包む結界の内部を涼しく保つなどの工夫がいくつも見受けられた。
だが、それだけではない。定期的に外部へ出て魔物狩りが行われている。多種多様な魔物は、その毛皮であったり、毒であったりが、寒さを凌ぐ服になったり、治療に使われる薬品として使われている。興味がそそられない方がおかしい。
「よかった。ならば君を驚かせることはできたわけだ」
「驚いた……。その表現が妥当かもしれません」
自分の生きた時代にはなかったものだ。魔法という大きな力を生活に転用することは考えられていたが、結局は叶わなかった。どの魔法使いも、魔法の真理に至ることばかりに夢中になった。不老の秘術を得るために。
だがヴィルヘルミナは違う。死ぬ直前、既に秘術は会得していた。あまりに単純すぎて誰もが見失ってきた道を彼女はただ独りで歩いたから。
「産まれてから数年は正直言って退屈でした。何もかもが順調な世界に私の居場所が必要なのか、と。人々が遠くから眺めるドレスを簡単に手に入れられるなんて、なんの面白みもないでしょう。だけど魔法は違う。ほんの小さな盲点が、些細な切っ掛けが、あらゆる認識を覆してくれる。だから好きだった、と今は言えます」
理解は常に目の前にある。ただ見えないだけで、手を伸ばせば届く場所にある。小さなことも大きなことも、全てが成長を促す糧となる。生前の自分よりも、さらに自らを磨き上げられる。そのチャンスを逃す手など、あろうものか。
今世での名をヴィルヘルミナ。誰がつけたかも覚えていない。両親には愛されなかった。不気味だといって捨てられた。ただ名前を書いた紙だけが、赤子だった頃に、ゆりかごと共に与えられた。最初で最後の愛情だったのかもしれない。
そのおかげで、またひとつ、求めたものに手が伸びた。
「行きます、魔法学院に。いえ────行かせてください」
何かを極めるのに邁進することは好きだ。ヴィルヘルミナの中にまっすぐ通った芯であり、これからも変わらない。魔法学院に行けば、得られるものは間違いなくあるという確信に、いつになくヴィルヘルミナの表情も真剣だった。
「ふふ、そうかね。それは良かった。実を言うと、もう君の入学手続きは済ませてあるんだ。もうすぐ四月だろう、時期的にもちょうど良いからね」
「……そうですか、ありがとうございます」
特別、驚くようなことはない。最初は存外にもそこまで尽くされると思っていなかったが、十年も過ごしてきてマーロンが先回りをしてヴィルヘルミナに良いと思うことを済ませているのはいつもの話で、もう慣れていた。
「では私は部屋に戻ります。入学を楽しみにさせていただきます、お父様」
「ああ。今日はゆっくり寝なさい、ミナ」
ほんの小さな期待の火を胸の内に灯して、ヴィルヘルミナは食堂を後にする。自室に戻る足取りは、いつもより軽い。いつもより気分が良い。
首に提げた鍵を指で弄びながら、学院に入る日を思い浮かべた。
「あら、お嬢様。もうお食事終わったんですか?」
「アメリエ。私の部屋の前で何をしている」
掃除用具を突っ込んだバケツを抱えてヴィルヘルミナの部屋から帰ろうとしているのは、専属侍女のアメリエ。働くことが取柄だと言い、侍女として雇用されることに自信たっぷりだったので、ヴィルヘルミナが自ら選んだ人材だ。
見目も麗しく、長い黒髪に内側を紅く染め上げたおしゃれにも拘りの見られる侍女らしくないところが、ひとつの気に入った点だった。
「頼まれてたお部屋の掃除ですけど。あれ、頼んでましたよね?」
「そうだったか……?」
頼んでいたような、頼んでいなかったような。いずれにしても何か困ることがあるわけでもない。ヴィルヘルミナは部屋に入ろうとして────。
「髪を梳いてくれ」
「わかりました。掃除用具を片付けたらすぐに……」
「部屋の隅にでも置いておけ」
「あ……はい。では、手だけ綺麗に洗っても?」
「それは当然だ。できるだけ急ぐように」
アメリエを急がせておき、静かにドレッサーの前に座った。
鏡に映る自分の愛想のなさを感じつつ、また一日が終わったと息を
「すみません、今戻りました!」
「……思ってたより随分と早かったな」
働くのが取柄だと言うだけあって行動が素早い。主人としては落ち着いている暇もないのは、玉に瑕なときもあるのだが。
「今日は何か良いことでもあったんですか?」
髪をブラシで梳かしながら、ニコニコとアメリエが尋ねた。
「別に、いたっていつもと変わらないが。どうしてそう思ったんだ」
「う~ん。なんだろ、いつもより声が明るく感じたものですから」
指摘されて、そうなのかと静かに驚く。
だが、否定はしない。
「……まあ、悪くないことはあった」
首から提げた鍵を指できゅっとつまんで、仄かに擦った。
「魔法学院に通うよう、お父様から提案された」
「まあ、それは良いですね。では、私はそのときまでになるんですね」
「専属侍女の仕事は終わりだろう。寂しい、と思うか?」
アメリエは手を止めて、優しく微笑んだ。
「寂しいですよ。五年も務めてきて、お嬢様がまた独りになってしまうのではないかと怖くもあります。主従関係ですが、妹のようにも思っていますから」
妹。そう言われてみれば、その通りなのである。なにしろアメリエは世話焼きで、とても貴族令嬢とは思えない振る舞いで過ごすヴィルヘルミナのために、とにかく自分の寝る間を惜しんで尽くしてきたのだから。
「礼は言おう。だが、実に残念だ。私だけでなく他の者も機会に恵まれれば良かったのだが。お前には魔法の才能が十分にあるのに」
「ふふ、私がですか? 勿体ないお言葉ですよ、お嬢様ったら」
冗談と思われたことが不服で、ヴィルヘルミナの表情に僅かに籠っていた温かさが完全に消え失せた。瞳はどこか虚無を映し、世の中の平凡さに呆れた。
「才能に自覚がないのは時間を無駄にしているぞ、アメリエ。侍女という下らん職務に勤しむよりも、魔法を学ぶ方がずっと有益だ。私は適当に才能があると言うほど出来た魔法使いではない」
どういえば真剣な言葉と伝わるかに、ほんの僅かにいつもより思考を巡らせる。相手の側に立ってものを考えるというのが、とにかく苦手だった。ほとんど不可能に近いほど。だからこそ、実直な言葉だけが手段になった。
「そうだな……。お前も学院に通えるよう、私から、お父様に話してみよう」
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