除夜の鐘

壱原 一

 

昨年末は大学時代の友人宅で年越ししました。時折オンラインで歓談する同窓生グループの内の1人で、当方の居住地近くへ中期出張中なので一緒に年越ししようと誘ってくれたのです。


友人宅アパートの最寄り駅で久し振りの対面を喜び、酒やつまみや年越し蕎麦なぞを買い込んで宅飲みへ雪崩れ込みます。


打診された時に薄ら予感していましたが、飲み進めて酔いも話も深まり切った頃合に、同棲していた恋人と別れたと打ち明けられました。


そこそこ長く交際し如何どうにか結婚して欲しいと慕い続けていた人です。


友人は底の抜けたおけで快晴の空を見上げたが如くからからと打ち明けた後、当の桶を豊かな水量の川面へ取り落とした風に延々と泣きました。


淋しい淋しいと幼気いたいけな程に身悶みもだえてすがるので仕方無しに寝て仕舞うまで慰めてり、配った気の分、つかった心の分の虚脱をの正体に相応しい不実な煙で補うべく煙草とライターを携えて道路に面したベランダへ出ます。


地上3階から望む住宅街の明かりを前に、丁度乾いて凍てついた深夜の静寂しじまの彼方から、年の瀬のきわまで降り積もる108の煩悩を払わんと何処どこぞのお寺で誰ぞがいたたくましい梵鐘ぼんしょうの音が打ち寄せて来ました。


酒気と暖気だんきに煮崩れた心身へ切々と浸透します。


鐘の音はたっぷり間を置いて繰り返し音波を寄越します。お陰で爛熟らんじゅくした組織が振るい落とされ、結果露出した青く硬い清純な組織を保つため煙草を吸うのを止めようかと一瞬よぎりました。


けれど丸剥けの其処そこへ浴びる夜風と鐘の音響が余りにすうすう沁みるので、やっぱり煙草に火を点けて奥底まで臭い煙に巻きくまなくやにを塗りたくって全て元通りにしました。


と抽象的かつ感傷的にぼうっと煙草を吹かした所、恐らくお寺はあの辺りと察せられる左斜め前の遠くから、群衆の喚声かんせいらしき音の層が一節ひとふしわあっと立ちました。


不測の事態を窺わせる揺らぎや乱調は無く、あらかじめ周知された機に大きく息を吸って発された張りと一斉感がありました。


年明けには少し早かったので祝賀の声では無さそうです。


にわかに想像が付きませんが、奉納舞とか、甘酒の振舞いとか、何か其のお寺特有の催し事でも始まって、それに対する歓声かなと雑に放念して早々、当該のお寺の方角から新奇しんきな音が遣って来るのを鐘の音紛れに聞き付けました。


*


どこどこ、ぞろぞろ、わさわさと、かなり大きく素早くて低く、とても密やかに籠った音です。夜中に遥か屋内で聞く道路工事の轟きに似ています。


その茫洋ぼうようと拡散した数種の音の総体が、時代劇で御殿の廊下を急ぐ大勢の足音を思わせる低音の乱打を伴って、人家の合間をぐいぐいと如何どうやら道なりに進んで来ます。


防音室越しめいた、はたまた耳が詰まった時めいた、濛々もうもうたる閉塞の聞こえの内に、どこどこ、ぞろぞろ、わさわさと道路の先へ見えてきた物の全貌は、平屋ほどの高さで髪の無いげんなり口を開けた頭でした。


5、60の歳の頃の、男と見受けられました。


発芽したての豆が、芽を引いて走っている風な概形がいけいです。あるいはオタマジャクシです。


路面へ横たわる首の側面と顎下とに無数の足が生えています。それらの足で走る巨頭が、苦み走った呆れ顔で、落胆した両目を伏せ、力なく大口を開けて水っぽい舌を覗かせています。


顎の付け根やうなじ、後頭部の随所から、幾本もの長い腕が悠々と宙へ伸びています。届く限りの一面をしなやかに打ち払っては、引き戻した腕を口へ突っ込むのを忙しなく繰り返していました。


目撃し、暫し処理できず、漸く何だあれといぶかしんだ時、まるで当方の戸惑いに寄り添ってくれるかの様に、またぞろ鐘が鳴りました。


それで一刻も早く落とし処を見付けたがっていた脳が、除夜の鐘だなと判じました。


あれはきっと除夜の鐘だな。あの禿頭とくとうはお坊様で、何故なら師走しわすだからだな。


除夜の鐘と共に走り回り、衆生の108の煩悩を払って下さっているんだな。


徐々に近付く頭から目を離し、お寺の方へ目を向けると、近隣各所に同様の影が蠢いているのが見て取れます。


目を戻せば例の頭が下の通りへ差し掛かっていて、支離滅裂な落とし処に泰然と落ち着ける訳も無く、その場へ留まるのは躊躇ためらわれそそくさと室内に戻りました。


どこどこ、ぞろぞろ、わさわさと、愈々いよいよ音が迫るに連れ、壁や床や天井の存在を物ともせずに擦り抜けてきた腕共が、所構わず触れ回ってぐ友人を探り当てます。


内の1本が泣き疲れて熟睡する友人の横臥おうがして晒された蟀谷こめかみをくしゃくしゃと弄って指をり、当方には視認できない何かしらを強く摘まんで、幾つかの手と一緒になって引き摺り出し始めました。


友人は無反応で寝ています。


出されているのは煩悩でしょう。


煩悩だな。


煩悩だろう。


お坊様が払って食べてくれる。


煩悩だよなと硬直し、口を干上がらせて見ていました。


その隙に当方の蟀谷にもせかせか無遠慮に手が触れて、生温くぺっとりとした皮膚の薄そうな触感に、肝を潰して声も無く己が腕を振り回して拒みました。


手はあっさり引き上げました。


それなら友人の方の手もけて遣らねばと向き直るや、たかっていた手がぐるぐると不可視の何かを手繰たぐり終え、最後にぷん・・と抜いてたばに握り、最早用済みとばかりにびゅるんと去って行く所でした。


友人から払われた煩悩は、多分お坊様に食べられた。


どこどこ、ぞろぞろ、わさわさの音が遠ざかる部屋の中で、友人は相も変わらずすやすやと眠っていました。


数秒立ち竦んでそれを眺め、途中で無意識に火を消してずっと指に挟んでいたらしい煙草の吸い殻を携帯灰皿に仕舞い、所在なく時間を潰す内に寝入って元日を迎えました。


*


起きるなり馥郁ふくいくたる出汁の香りに腹が鳴りました。友人が昨夜そろって食べ損ねた年越し蕎麦にトースターで温め直した海老天を乗せて出してくれていました。


年明けの朝日が注ぐ部屋で賑やかなテレビ番組をお供に気の抜けた挨拶を交わして黙々と蕎麦をすすります。


こうした朝にける友人と当方との慣例で、友人が昨夜の酔態すいたいの詫びと付き合いの礼を述べたので、当方も鷹揚おうように受け入れ、もう当方で良いのではないかと蕎麦を見たまま添えました。


此処ここで友人がはぐらかし当方が易々いいと甘んじるのが大学時代から連綿とする友人の破恋はれんの儀でしたが、友人はこの朝に初めてれが良いかも知れないと蕎麦を見たまま応じました。


当方が我ながら涙ぐましく涎を垂らして待ち続けた合図です。


しかし当方の情動は波1つ立たず平穏で、口に芳醇な蕎麦を含んでいたため鼻からふふっと笑いました。


もって軽妙な冗談を掛け合った雰囲気を創出し、七味ほしいんだけどある?と友人に尋ね、友人も極当たり前に、あるある、待ってと済ませました。


*


くして当方の友人への恋慕、時に嫉妬とつれなさとみじめさで七転八倒の懊悩おうのうを経てもなお断ち切れなかった執念が、年越しを境にぷん・・と途絶え、安寧と柔らかな喪失感とを漂う年始を過ごしています。


これはやはり大晦日の夜に来た除夜の鐘と見込む巨頭の影響を排しては語れない変化と思いますが、あれに煩悩を払われたゆえ変化があったとするならば、手をまぬがれたはずの当方が現在の境地へ至ったのはどう言う訳か不思議です。


片やの蟀谷に触れた分を避けたものの、後ろ頭や反対から友人がされたのと同じ様に手繰り抜かれていたのでしょうか。


いやさ当方は確かに逃れ、けれどそれとは全く別に、煩悩を脱した友人に魅力を感じなくなったとかの自覚なき嗜好が出たのでしょうか。


ではなく抑々そもそも今度こそ大失恋で当方へ目を向けた友人と、前夜目にした超常の物に衝撃を受けた当方とで、遂に結ばるえんが無く擦れ違っただけにも思えてきます。


とまれ焦がれる相手としての友人にはすっかり未練がなく、今は大学以前振りに、のんびりくつろいだ気持ちです。


元日に蕎麦を食べたあと友人と初詣に行きました。


先はご想像に違わず友人宅アパートのベランダから見て左斜め前の方に建つお寺で、言わずもがなの事ながら、何ら可笑おかしな点の無い、落ち着いた良い所でした。



終.

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除夜の鐘 壱原 一 @Hajime1HARA

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