第三章 祭りの灯の向こうに 第二話
※R15相当:本作品には、性的接触および暴力的な回想を含みます。
直接的な描写ではなく、情感と心理を中心に構成されています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
シーン03-03 再会 ― 佐波和代 ―
――その時、不意に背後から声がかかった。
「……内川くん?」
振り向くと、艶のある黒髪のショートカットに、
白いセーラーカラーの紺のセーラー服姿の少女が立っていた。
胸元の赤い糸で縫い込まれた校章が、
光を受けて鮮やかに映えている。
小学校の同級生――佐波和代だった。
「佐波さん」
思わず声が出た。
言葉より先に、胸の奥が懐かしさで満たされる。
面影はすぐに彼女だと教えてくれた。
小学生の頃の記憶と、
今こうして立っている姿が重なり、
温かい甘さが静かに広がっていく。
あの頃の面影を残しながらも、
目が離せなくなるほど美しくなっていた。
――和代が、ほんとうに目の前にいる。
そう思っただけで、心臓が少し早く打った。
和代は小さく微笑み、
その瞳にどこか確かめるような光を宿していた。
「やっぱり、内川くんやったんや。……
ここ通ってるの知ってたから、
もしかしたら会えるんちゃうかなって思てたんよ。
今日は、今年入学した従兄弟の招待で
お母さんと来ててん」
僕はそのままうなずいた。
言葉はまだ出なかった。
和代が声を張った。
「お母さん、こっち」
廊下の向こうから、
紺のカーディガンに淡いベージュのスカートを合わせた
和代のお母さんが歩いてきた。
姿勢の整った立ち姿に落ち着きがあり、
かつて何度か会った記憶が蘇った。
和代のお母さんは懐かしそうに僕を見つめ、言った。
「……まあ、内川くんやないの。
すっかり大きなって」
昭彦が空気を読んで一声かけた。
「じゃあ俺、他のとこ見てくるわ」
僕が頷くと、昭彦は足早に去っていった。
「ご無沙汰してます」
僕が会釈を返すと、
和代のお母さんはふと柔らかく笑った。
「あの頃、和代は家に帰ってきたら毎日
“内川くん、内川くん”ばっかり言うてたんよ」
「お母さん……!」
和代が顔を赤らめ、小さく抗議する。
和代のお母さんはそんな娘を横目に、
少し肩をすくめた。
その時、僕を見ながら、
何かを確かめるように小さく頷いた気がした。
「私は帰りに買い物して帰るから、先に出るわ。
せっかく久しぶりに会えたんやし、
内川くんがええんやったら、
案内してもろたらええやん」
「僕は特に予定ないんで、大丈夫です」
そう言うと、和代のお母さんは僕に微笑み、
和代の方を見た。
「うん」
少し顔を赤して、和代が母親に頷いた。
「そしたら、内川くん。
また良かったらうちにも遊びに来たってな。
受験で大変かもしれんけど、
和代も同じやから、
お互いちょっとでも気分転換になったら
ええんやけどな……」
そう言ってから、和代の方をちらりと見て、
柔らかく笑った。
「まあ、久しぶりに二人で歩いてみたらええやん。
……ほな、またね」
和代のお母さんはそう言って、
僕を優しい目で見た。
「はい。お気をつけて」
僕が挨拶をすると、
和代のお母さんは軽く会釈して展示室をあとにした。
――扉の向こうに姿が消えたあとも、
その言葉が胸の奥に残っていた。
ほんの軽い調子に聞こえたのに、
不思議と重さがあった。
「二人で歩いてみたら」――
その響きが、じわじわと鼓動を速める。
和代と向き合うことに少し戸惑いながらも、
どこか期待を抑えきれない僕がいた。
「A学院の制服、似合てるな」
和代はまた顔を赤くして、
小さな声で答えた。
「ありがとう。……実はな、
電車で、何べんか見かけたんやけど」
制服の袖口を指でそっとなぞりながら続ける。
「でも……気恥ずかしくて
声かけられへんかって」
「声かけてくれたらよかったのに」
思わず返すと、和代はぱっと顔を上げた。
視線が重なり、そのまま数秒、動けなくなる。
「……うん」
小さな返事に合わせるように、
僕は半歩だけ前に出かけて――
けれど足が止まった。
和代の睫毛が震えて、先に目を逸らす。
僕もそれに合わせるように視線を外し、
胸の奥で熱と冷たさが入り混じった。
ほんの一瞬、踏み出せば、
三姉妹との関係とは
まったく違う景色が開けそうだった。
けれど、その一歩を踏み込む資格が
自分にあるのか――足が止まった。
その一歩は結局、空気の中に溶けて消えた。
残ったのは、甘さと同じくらい強い
「じれったさ」だった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
シーン03-04 交錯する気配
校内を歩きながら、
お互いの近況を話した。
「佐波さん、どこの大学受けるか決めてるか?」
僕が尋ねると、
和代は少し間を置いて答えた。
「まだ決めてへんけど……
この前、担任に言われてん。
“今の成績やったら推薦で入れる大学があるで”って」
和代は視線を外し、
足元を見つめながら言葉を続けた。
「……でもそれ、東京なんよ」
「東京?」
思わず聞き返す。
「うん。J大学。
名前くらいは知ってるやろ。
……もし、内川くんの学校にも
推薦枠あるんやったら……」
そこまで言いかけて、
和代は小さく笑いに変えた。
「……まあ、まだどうなるかは
わからんけどな」
僕は、なぜか嘘をついてしまった。
「うちには、そんな話こんけどな。
……どうせ進路指導の先生からしたら、
僕はやる気ない問題児やろし」
本当は、うちの学校にも
J大学の推薦枠があることを知っていた。
担任からも
「自分で決められんのやったら、
推薦でJ大学狙うのもありやぞ。東京やけどな」
と言われていた。
ここで「ある」と言えば、
彼女の未来と繋がるかもしれない。
けれど、その繋がりが
今の僕には重すぎた。
口に出た瞬間、
舌の裏に苦さが張りついた。
和代はわずかに息をつき、
目を伏せて言った。
「……変わってへんな。
ちょっと安心した。
なんか、小学校の頃と同じ気がして」
その笑みは、ほっとしているようで、
どこか心許なげにも見えた。
胸の奥では、
和代への好意が急速に
膨らんでいるのを自覚していた。
手を伸ばせば、
きっと彼女も受け止めてくれる気がする。
けれど、その一歩を
踏み込んでいいのか迷う。
三姉妹ですら触れられない
僕の“聖域”が高校生活にあるように、
大学もまた、誰にも踏み込ませたくない
自分だけの場所にしておきたい。
だけど、和代と近くで
過ごしたい気持ちは確かにある。
その矛盾を抱えたまま、
僕はただ曖昧に
笑い返すしかなかった。
自分のクラスの前を通りかかったとき、
同級生が声を張った。
「うちかわ!
午前と午後で違う子連れて、
みんな可愛い子ばっかりやんけ!」
和代が「え?」と
怪訝そうに僕を見た。
慌てて僕は返した。
「午前中一緒にいたのは、
木島の姉ちゃんらや」
後ろで数人がざわついた。
「三人とも木島の姉ちゃん?
めちゃ綺麗やったな」
「そしたらその子が本命か?」
「もう、うるさいわ!」
思わず言い返して、
和代の手首を掴み、
その場から逃げ出した。
人通りが落ち着いた場所まで来て、
僕はようやく掴んだままの手に気づいた。
「ごめん」
手を離すと、
和代は少し赤い顔で僕を見つめていた。
胸の奥に、誰にも見せたくない“聖域”を
侵されたような、不快なざらつきが残っていた。
笑って流すこともできたはずなのに、
和代の前でだけは
どうしても受け止めきれなかった。
彼女に“そう見られた”と意識させたくなくて、
思わず走った。
手の温もりには届いていないはずなのに、
握った感触がじんわり残っている。
それが同級生の声よりも
強く僕を揺らしていた。
「……そんな綺麗な人らと歩いてたら、
私なんかつまらんな」
拗ねたように言ったかと思うと、
一転して笑顔になり、声を落とした。
「でも……内川くんやったら、
モテると思ってた。……」
「佐波さんこそ可愛いから、モテるやろ」
返すと、和代は少し沈んだ顔で答えた。
「……ないしょや」
その声は小さく、
けれど耳の奥にずっと残った。
服越しに掴んだ感触はもう消えているのに、
胸の奥にはまだ「掴んでしまった」行為の
ざわめきが残っていた。
笑いながら拗ねて、拗ねながら笑う――
あの頃から変わらない。
そんな和代の表情が、
僕にはどうしようもなく愛しく思えた。
踏み出せそうで踏み出せない距離に、
甘さと同じくらいの「じれったさ」が
また広がった。
気を取り直したように、
和代が口を開いた。
「来年の三月で、
小学校で私らの担任やった
奥山先生が定年退職されるんやて。
先生の慰労会かねて、クラスの同窓会するらしいんやけど……
来れる?」
「それは……行かんわけにいかんやろ」
僕が答えると、
和代は少し嬉しそうに続けた。
「十二月の期末テスト終わった頃に、
そのことで戸高くんと杉田さんとかに
会うことなってるんよ。……覚えてるやろ?」
「もちろん。よう一緒に遊んでた」
「そうや、私も一緒やったなぁ」
和代は小さく笑い、
懐かしそうに僕を見つめた。
「詳しいことわかったら……
内川くんとこに電話してもええ?」
「いつでも大丈夫や。
その時には電話してくれたらええ」
僕が笑うと、
和代も嬉しそうに続けた。
「その時な、時間あったら一緒に行かへん?」
「せやな、久しぶりに戸高と
杉田さんの顔見たいし」
その時一瞬、和代の顔が曇った気がしたが、
すぐに笑顔に溶けていった。
その日、思いがけない再会があった。
三姉妹と、そして和代とのひととき。
その年の文化祭は、
僕にとって強く記憶に残る一日となった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます