第三章 祭りの灯の向こうに 第一話

※R15相当:本作品には、性的接触および暴力的な回想を含みます。

直接的な描写ではなく、情感と心理を中心に構成されています。

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シーン03-01 朝のざわめき


僕の通うZ学院の文化祭当日。

特に出し物に参加していない僕と昭彦は、

待ち合わせの時間まで場内を歩き回っていた。


模擬店の前では、

焼きそばやフランクフルトの匂いが漂い、

紙皿を手にした生徒たちが慌ただしく行き交っている。


「なあ、あそこのクラス、喫茶店やってるで」


昭彦が指さした教室からは、

ちゃんとしたコーヒーの香りが流れてきた。


「あのクラスの笹本のお父さん、

コーヒー豆の卸しやってるからな。さすがやなあ」


昭彦が感心していた。


窓際では、男子生徒がエプロン姿で客に愛想を振りまいていたが、

とても似合っているとは言い難かった。


顔を見合わせて、笑いながら通り過ぎる。


「正也、どう思た?」


「女子校の文化祭やったら良かったのになって。昭彦は?」


「同じや」


二人同時に吹き出した。


「女子校の文化祭って、

去年のS高校のしか行ったことなかったなあ」


「悔しかったけど、

詩織姉ちゃんが友達からもろたって招待券回してくれたから、

あのおかげで奴隷みたいやったやん。……

でもその後、同学年の子らと仲良うなって、

一回遊びに行ったやろ」


僕も思い出して、

冷たい汗が背中をつたった。


「せっかく女の子から

“手ぇ繋いで”って言われたのに、

正面で右手と右手繋いだらフォークダンスやったな」


昭彦が、笑いながらツッコむ。


「昭彦、やめてくれ、思い出したない」


僕は、そう返すのが精一杯だった。


「そろそろ時間やな」


時計を見て、昭彦が言う。


「そうやな」


「王子がご招待された姫君らを、お迎えに行こか」


「誰が王子やねん」


「誰が姫君やねん、ちゃうんか?」


「そんなこと、三人に言えるほど命知らずちゃうわ」


僕が大真面目に言うと、

昭彦は声を落として言った。


「確かに……」


一瞬、間が空いて、

二人で吹き出した。


――


正門に向かう途中、

訪問客の女性が増え、

普段の校内では見られない華やかさがあった。


「正也、

こうやって女の子がおるだけで、

うちの学校も捨てたもんやない気がするな」


「ほんまやなあ。

校内で女の人見るのも、ええもんやな」


その時、

後ろから頭をポカリと叩かれた。


「なあ、内川くん、木島くん。

普段も校内に、

こんな綺麗なお姉さんおるんやけど」


振り返ると、

保健室の恩田智子先生が、腕を組んで立っていた。


僕たちが中学入学の年に新卒で着任したはずなので、

おそらく二十七歳前後。

サバサバした性格で、なかなかの美人。

生徒からの人気も高かった。


「君ら、なんもしてなかったんか。

いろいろ怪しい食べ物売ってたから、気ぃつけや」


「そんなん先生、先に取り締まってや」


「私、予防より治療優先やねん。

ま、来るもん拒まずやから、

お腹壊したら全員まとめて面倒見たるで」


涼しい顔でそう言う智子先生に、

僕らは顔を見合わせて笑い、

足早にその場を離れた。



正門前には、

出迎えや案内の生徒が立ち、

絶え間ない人のざわめきが広がっていた。


そのざわめきの中で、

三人の姿だけが、

舞台の灯りを受けたように

浮かび上がって見えた。


男子生徒たちが、ふと動きを止め、視線を向ける。

小声でことばを交わす者。

遠巻きに見つめる者。


大げさな騒ぎではなかったが、

その場の空気が、

わずかに変わったのが分かった。


――


サックスブルーのVネックニットの沙織が、

サイドポニーテールを軽く揺らした。


そのVネックは、

先日二人で出かけたときに選んだもの。


裾を指先でそっと整えながら、

僕を見上げ、

柔らかく視線を流す――

その仕草が、

さりげなくも確かにアピールしていた。


香織は、明るいベージュのタートルネック。

緩やかなウェーブのセミロングが肩に流れ、

その動きに合わせて、

ふっと微笑みが溢れた。


大人びた余裕と温かみが、

静かな光の中で柔らかく滲んでいた。


詩織は、

無邪気さをそのまま映した、

鮮やかな赤のクルーネック。


襟足が軽やかに揺れるショートヘアと相まって、

彼女のまわりだけ、

空気が一瞬、明るくなるようだった。


その笑顔が通り過ぎるたびに、

秋の空気まで、柔らかく変わっていく。


――


三人は僕と昭彦に近づくと、

軽く挨拶を交わした。


その一瞬の間にも、

それぞれの親しさの温度が違っていた。


沙織は僕のそばまで歩み寄り、

視線を合わせて、小さく笑う。

その指先が、

そっと僕の手に触れた。


続いて詩織が、

少し戸惑ったように笑いながら寄ってくる。

周囲の空気に気おされながらも、

僕の腕に、かすかに身体を寄せた。


その一瞬に、

ためらいと甘えが混じっていた。


そして香織は、

二人の様子を受け止めるように、

静かに歩み出た。


落ち着いた所作で僕の肩に手を置き、

柔らかく言う。


「正也くん、頼むな」


三人の動きが交わるようにして、

僕らはそのまま、場内へと歩き出した。



やがて三人は、

僕と昭彦のあいだを、

自然に入れ替わりながら並んだ。


誰かが話し始めると、

すぐ別の誰かが笑いで応じ、

その笑いが、また次へと渡っていく。


ことばよりも、

その明るさの連鎖のほうが胸に響いた。


文化祭のざわめきの中で、

まるで小さな輪の中心にいるような気がした。



そんな中で――

沙織の柔らかな視線。

詩織の無邪気な仕草。


どちらにも、

胸が揺れる瞬間はあった。


けれど、

人波に押されるたび、

香織の肩が僕に触れた。


その瞬間、

微かに漂う甘く深い香りが、

息の奥へと流れ込んでくる。


花の香りでも、石鹸でもない。

大人の女の体温が混じった、

柔らかく艶のある匂いだった。


見るよりも、

触れるよりも――

その香りの記憶だけが、

しばらく離れなかった。



沙織は歩きながら、

ときどき立ち止まって、僕を見上げた。


その瞳に、

ほんのわずかな不安が混じって見えた。


僕が笑い返すと、

彼女は安心したように、

頬を緩めた。



笹本のクラスの喫茶店に入ると、

コーヒーの香りが漂っていた。


紙コップに注がれた本格的な味わいに、

昭彦が目を丸くする。


「さすが笹本んとこやな。

卸しが本業やから違うわ」


沙織と詩織も、

「おいしい」とうなずき合った。


香織が、ふと切り出した。


「そういえば、

沙織の大学祭と、詩織の文化祭はどうやったん?」


詩織が即座に顔をしかめる。


「うちの文化祭、ほんまつまらんかってん。

模擬店も地味やし、

先生らも口うるさいし」


沙織は軽くため息をつき、

少し残念そうに、僕を見た。


「正也くん、呼んだらよかったなあ。

来てもろたら、

もうちょっと楽しなったのに」



そんな会話を交わしながら、

ひとときを過ごしたあと、

講堂へ移動した。


軽音楽部のコンサートが始まる。


講堂いっぱいに響く大きな音に包まれる中で、

僕は、

隣に座った沙織の手が

重なってきたことに気づいた。


指を絡められ、

その熱が、

しばしの間、

心臓を早鐘のように打たせた。


視線をそらそうとしても、

耳の奥には、ずっと――

音楽よりも、

鼓動のほうが強く、

聴こえていた。



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シーン03-02 午後の余韻


演奏が終わり、講堂を出ると、

食堂には昼食の列ができていた。


カレーが大鍋で提供されていて、

僕らは列に並んで受け取った。


昭彦がスプーンを入れて、目を丸くする。


「正也、見てみぃ。

今日はちゃんと肉も具も入っとる。

いつものうちの学食ちゃうやん」


その一言に、

三姉妹が声をあげて笑った。


何気ない笑い声だったが、

まるで小さな輪の中心に、

自分が引き込まれているようで、

胸の奥が、じんわりと熱を帯びた。


和やかな空気のまま昼食を終え、

やがて三人は、

「今日はありがとう」と、

それぞれ言葉を残して帰っていった。


去り際の後ろ姿は、

それぞれの色を残していた。


沙織は振り返って、小さく手を振り、

詩織は最後まで、

子どものように軽く跳ねる足取りを見せ、

香織は一歩後ろから、

穏やかな微笑みを浮かべていた。


三人が人混みに紛れていくと、

そこだけ、空気が急に軽くなった気がした。


さっきまで肩にかかっていた温もりや、

笑い声の余韻が、

まだ輪郭を持ったまま残っていた。


午後は再び、

昭彦と二人で校内をまわった。


理科室では、

中等部の生徒が火山の模型を動かしていて、

赤い紙を仕込んだ扇風機が、

「噴火」の演出をしていた。


「……なんや、可愛いな」


昭彦が小声で笑い、

僕もつられて肩を揺らした。


本気の高校展示に比べて拙いけれど、

その分、

素朴さが残っていた。


「なあ、焼きそば食べていかへん?」


昭彦が言い出した瞬間、

僕は吹き出した。


「いや、さっきカレー食べたとこやん」


「別腹や、別腹」


昭彦はそう言って笑い、

結局、二人で列に並ぶことになった。


模擬店の焼きそばを食べ歩きながら、

二人で笑い合う。


ソースの匂いが秋風に混じり、

校庭のざわめきと重なって、

文化祭らしい熱気を広げていた。


高校一年生のお化け屋敷では、

暗い中でお化け役の生徒に驚かされた上級生が、

「脅かすなや!」と逆ギレして睨み合いになり、

即興のコントのような空気になっていた。


そのやりとりを見て、

昭彦は腹を抱えて笑った。


写真部の展示室に入ると、

壁一面に並んだ、

風景や建物の写真が目を引いた。


昭彦は腕を組みながら、

しみじみと言った。


「さすが我が校の写真部。

女の子の写真が一枚も無い」


その、いつもの調子に、

僕は苦笑いするしかなかった。


ふと、

壁の一角に、

小川の河岸に咲く彼岸花の写真があった。


その赤は、

鮮やかすぎて――

胸の奥が、

小さく揺れた。

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