第十三話 鷹巣

 於菊は難儀と思う。父が付けた御供である。此度の犬追物興行まで於菊は城戸ノ内より出たことがなかった。城戸ノ内でさえ屋敷を出る時は輿に乗り、御供が五人くらい着く。今日は侍二十人、駕籠丁六人に乳母一人に腰元が二人も着いてきている。更に伊緒も侍十五人と乳母一人も伴うて都合四十五人がゾロゾロと歩いている。全く無粋である。この糸崎の景色に似付かわしくない。不似合いである。

(どないかでけへんかなぁ)

 於菊と伊緒は再び糸崎寺を参詣し、其の殊勝な心掛けを住持に一頻り褒められてから改めて亀島に向うた。成る程、確かにあたかも大亀が海に向かうような形である。確かに亀島に違いなかった。島の辨才天に手を合わせ、目当ての物見遊山を終えた。本当は磯を歩きたかったが辛抱し、輿に乗って鷹巣左馬助明宗の寓居に向う。


 鷹巣はこの辺りの土地の名で、鷹巣左馬助の本姓は半井という。半井家は和気氏の流れを汲む宮中の典薬頭を務める医家で左馬助明宗は其の養子という。実父は朝倉太郎左衛門尉教景…つまり宗滴居士なのだそうだ。養子に出された左馬助は医師となり魚住家より室を迎え二男を得た。伊緒の父である魚住備後守景固は左馬助の室の甥である。つまり半井左馬助明宗は伊緒にとっては義理の大叔父に当る。元は伊緒と於菊の掛り付けで、今は若先生の御子息に跡目を譲って楽隠居の身である。

 半井の屋敷は東に仰ぐ鷹巣山の方にあるのだが、於菊らが寄った寓居は海辺にある。糸崎浦に向う途次に伊緒が思い付きで使者を送り帰路に寄りたいと告げたところ突然の訪問にも関わらず四十五人もの御供衆を受け容れて尚且なおかつ昼食を振舞うてくれるという。なんと奇特な人であろう。餘程伊緒が可愛いのか。


 半井の寓居は絶景であった。戸を開け放つと見渡す限りの海と空である。時々どーんと打ち寄せる大きな波の音が心地よかった。

「この辺りは特に海が澄んどるからな、時々泳ぐ海豚が透けて見えるぞ」

 左馬助は自慢げであった。これは自慢したくもなる。

 左馬助の配慮なのか、御供衆は別棟である。乳母共も隣室に隔てられた。左馬助が退室すると遂に伊緒と二人きりになった。海と空を臨みながらの食事は殊の外美味しう感じられた。昼食を終えた於菊は伊緒と何でもないことを話しつつ、ぼんやりと海を眺めた。

(こういうのがええな)

 四十五人の御供衆の気配は確かにある。別棟から微かながら歓談の声が聞こえた。煩わしい女房衆も隣室で何やらコソコソ話しているのが判った。然し目に入らぬだけでも随分違う。気が楽だった。庭があって、小柴の垣があって、磯が見えて、海、そして青空、横には伊緒。

 伊緒は腹を満たした故かうつらうつらと舟を漕ぐように揺れていた。

「お昼寝する?」

「……うん」

 於菊は伊緒を導いて膝枕を貸してやった。

 眠ってしもうた伊緒の顔を見てクスクスと笑う。自分程ではないが愛い娘だ。白い肌に赤い血の筋が細かく散る頬には柔らかな産毛が生えている。恰も桃のようではないか。きっと囓ると甘い蜜が溢れ出るに違いない。囓ってみたい欲を堪えつつ、於菊は伊緒の髪を撫で撫で時々頬をつついて愉しんだ。

 どれくらい経ったか、於菊もうつらうつらする内に足が痺れてきた。そろそろ伊緒を起そうかと思うた矢先であった。

(あれ?)

 ふと小柴垣の外に人影が二つあるのに気付いた。騎馬である。先行する一人は総髪、歳は二十歳頃だろうか。其れはどうでもよい。後ろに続くもう一人である。十四五歳に見える童子髪の若衆に於菊は目を奪われた。

(わあぁ…)

 思わず見蕩れた。実に端正な顔立ちの美男子である。涼やかにしてしっかりした鼻筋や顎が男らしく、同じ美男でも父や弟とは趣が異なる。光の君より在五中将に擬えられようか。春日の里に住む女同胞姉妹を垣間見た初冠したばかりの昔男は斯様な風情の公達であっただろうか。童子髪の若衆は右から左に横切ろうとした。

(!)

 不意に目が合うた。死ぬかと思うほどドキリとした。

 若衆はさっと黙礼すると顔を伏せた。やんごとなき姫君の顔を覗く不敬を憚ったのだろう。

「あんっ…」

 思わず於菊の口から未練の声が漏れた。二人は顔を伏せたまま前を通り過ぎた。

 於菊が切歯扼腕する思いで身を揺すると伊緒がむくりと起きた。

「……あ、冨田平尾丸」

 寝惚け眼を擦りながら伊緒は若衆の後姿を然う呼んだ。

「……知ってんの?」

「うん。新町の冨田の御養子」

 答えて伊緒はあふっと欠伸する。

「冨田って、兵法の?」

「ほうよ。半井の叔父上も通てた」

 叔父上とは半井左馬助明宗の子久左衛門明雅のことだ。叔父上と呼んだが正確には伊緒の従叔父いとこおじに当る。半井久左衛門は父から医術を学びつつ中条流の兵法に傾倒し、冨田盛源に学んで奥伝に達したという。於菊と伊緒の今の掛り付け医である。

「どういう御方?」

 於菊は鼻が接するほど伊緒に迫って訊く。

「気になんの?」

「気になる」

 於菊は素直に答えた。

 気にならないわけがないではないか。目が合うて見蕩れた。そして別れを惜しんだ。こんなことは曾てなかった。見蕩れるのは何時も向うであったし、別れを惜しむのも常に向うであった。此方が見蕩れたことも此方が惜しんだこともなかった。

「やめとき」

 伊緒は素気なく言い捨てた。其の言い草が於菊の癇に障った。

「なんで」

 訊ねる声に怒気が籠る。

「あふっ…」

 伊緒はもう一度欠伸して再び於菊の膝に頭を乗せる。

「許嫁がいてやんねん」

 目を瞑って答えた。

「許嫁?」

 だから何だというのか。

「冨田の後家さん。知らん?」

 知るわけがない。

「新町中の殿御が懸想してんねんて」

「?」

「熟れた器量の後家さんでな」

「?」

「みーんな、惚れてやんねん」

「?」

「みーんな惚れてやるから、だーれも他の女子なんか気にせぇへん」

「……」

「その後家さんと住んどるんよ」

「………」

「ほやから、やめとき」

 然う言い終えた伊緒は潜り込むように顔を於菊の腰に顔を埋めてまた眠ってしもうた。

(新町中の殿御が懸想する熟れた器量の後家、ねぇ)

 於菊は伊緒の言葉を反芻した。

(へぇ~~~~~~~)

 喧嘩を売られたような気になっていた。


 於菊は己の美貌に絶対の自信がある。城戸の外で多少評判になる程度の年増女に後れを取るわけがない。然し伊緒は於菊の器量を知りながら「相手にされない」という。

(上等やん)

 鷹巣からの帰路、於菊は冨田平尾丸のことをしつこく訊ねた。伊緒は呆れながらも是れに能く応じた。

 彼の若衆の名は冨田平尾丸という。在五中将と同じ幼名とは似合いである。先日亡くなった冨田治部左衛門景家の養子で、長兄冨田九郞左衛門郷家の名跡を継ぐ為に孰れは九郞左衛門郷家の後家の聟になるという。既に後家と同居して仲は睦まじいとか。なんと憎たらしい。冨田与五郎景政ではなく冨田盛源に兵法を学び既に幾つかの伝を授かっているそうだ。なんと麗しい。一昨日まで忌中であったので犬追物興行には同道していなかった筈なので、何故に今日鷹巣に居たのかは判らない。鷹巣久左衛門にでも用があって訪ねて来たのかも知れないとのこと。孰れにしても今日まみえたのは二人が結ばれる定め故であろう。

「やーめーとーきーて」

 伊緒はなおも翻意を促す。

「なんでよ。まさか、ヲトトも狙うてる?」

「違うよ。そら、あんなさま好き殿御やから、初めはあったけどや」

「なによ。年増の後家如きに気後れしたん?」

「見てへんから云うねん。あれはアカンて」

「何云うてんの。うちやで?」

「悪いこと云わんから、やめとき」

 後家のことも聞いた。名は判らない。後家様や奥方様、兄嫁様、姉様などと呼ばれているらしい。堺南荘の商家から嫁いできたそうだ。冨田九郞左衛門郷家が八年前に亡くなっているからどう勘定しても齢二十幾つかの筈だがどう見ても十七八程にしか見えないという。亡夫の薫陶か医術の心得があり三崎玉雲軒の御墨付きを得て冨田の道場の一角で弟子や近隣の者の怪我を診ているとか。それで手当を受けた男共がたちまちころりととろけてしまうとのこと。

(なんや、容易たやすいことやん)

 要は怪我した男共が少々器量が良いだけの後家に優しうされて逆上のぼせ上がっているだけだ。如何程いかほどのこともない。新町で多少評判を取ったとて所詮は井の中の蛙、本物の美少女うつくしおとめと比べれば雲壌懸隔、月鼈雲泥、天地懸隔の差がある。これは一度新町に出向いて真の美とは如何なるものかを皆に教えてやらねばなるまい。

 ……などと、自信に充ち満ちた於菊は考えた。


 九日、斯くて御雄島へ参詣するべく御供を連れて三国湊を通った国主は御礼申上に罷り出た問丸共に当地の旧儀を訊ねた。すると年老の者が罷り出て、継体天皇が未だ男大迹王の時に味真野皇子と号して当国の守護であった頃、湖の境を堀切って水を落として湊となし、跡を田畑とし万民を豊かにしたこと、性海寺や龍谷寺の縁起などを申上げた。国主は感心して刀禰問丸七人に御酒を下し時服を与えた。其より安島の東尋坊を観覧して御雄島の御神に社参、聞きしに勝る景色を褒美して当社の縁起を訊ね、平泉寺の悪僧の話や御雄大明神寄附之状を聞き召し大いに感じて祝い、外浦の長共にも其々に引出物を賜った。そして濱坂浦潮超しの松は当国無双、日本にも稀なる名木と言うので、この序でに御覧仕るべしとて急ぎふなよそおいせよと安島浦より舟を召し、浦続き遠見して順風なれば、帆舟妨げなくやがて濱坂に着いた。所の目代が罷り出て拝礼を遂げ終えて根上りの松へ案内すれば、聞き及び召したるより抜群、興ある松の風情、地景、言語に絶える名所である。此の松の様躰は諸木に異なるので、さぞ昔より人々が詩歌に詠じて来られただろう、古語を存じたる者はあるかと国主が御供の士中に問うと、細呂木薩摩守が畏まって、此の松は昔在五中将は安宅の松と詠じ、佐藤兵衛義清(西行法師)は根上りの松と読まれたる由が人口に留ったこと、安宅に根の顕れし故、また根の上りたる故に色々に呼ばれたが、その後、風波荒き時は汐の超しによって潮超しの松と呼ばれるようになったこと、古き詩歌に「汀艶水光碧松 傍汀老樹数株松 定知今有秦王在 當得令官汐越松」「夜々の嵐に浪を運ばせて月をたれたる潮超の松」「北の海や澳津白波浦遠く満て梢を汐越の松」と詠ぜられたことを申し上げた。すると国主も一首「習あらば問はまじものを浦の松に千年の後を幾代経るやと」と詠ぜられ、興に入って彼の松の辺にて酒宴を数刻に及んで各々に盃を下し、近辺の舟を寄せ海女を集めて海中の岩蠣や赤貝、海松、和布などを取らせて夕日まで船遊びとなり、国主は大江以言の詩に倣うて「翠帳紅閨、万事之礼法異なりと雖も、舟中浪の上、一生之歓会是勝れたり」と申して大いに愉しんだ。そして翌日十日に北潟に懸り一乗へ帰城、寔に由々敷かりける戯楽かなと人々は申し合う興行であった。


 漸く帰ってきた。焦れた。焦れに焦れた。漸くである。

「於亀、冨田殿の御弟子になると仰有い」

 谷の屋敷に帰るなり於菊は亀若丸に命じた。

「えっ?」

 亀若丸は不安げに眉根を寄せて聞き返した。

「兵法や。道場に通い」

「え~…」

 兵法と聞いて明らかに怖気付いていた。この弟は容色こそ姉に似るが気性は似ていない。何事に対しても気後れして物怖じするたちである。特に痛いのが怖いようで、年から父に兵法を習うているが怪我を恐れて及び腰が改まらず未だに一合打合わせると逃げてしまう。とても武事を好んで寺を飛び出した祖父斎藤大納言正義の筋とは思えない。

「犬追物見て燥いでたでしょ。あんな武者になりたいと思わんの」

「えー…」

てて様安心させたげなさい」

「でも…」

「でもやないの。お寺にも通わんねんから」

 普通武士の子弟は七歳八歳にもなれば禅寺に預けられて厳しく躾けられるものだ。一乗谷では大圓山心月寺が学問所になっており、近隣の子弟は身分を問わず寺に住み込むか通うかして学問と礼儀作法を学ぶ。然し亀若丸は寺に住むことも通うこともなく自宅に師を招いて姉と共に手習いしている。気後れしがちな亀若丸ではとても耐えられまいと斎藤兵部少輔が気を回したからだ。御蔭で臆病が改まらない。

「お文やお歌はええけど、お馬や兵法はお家じゃでけへんやろ?」

 跡取り息子の臆病は父の悩みの種である。今は未だ差し支えない。幼き故に容色ばかり取沙汰されている。然しいずれは合戦に赴いて鑓を振わねばならない。其の時に、もし臆して逃げ出そうものならきっと人々は嗤うだろう。何せ女児と見紛うばかりの容貌だ。其の女々しさを容色と併せて揶揄からかわれるに違いない。

 於菊は亀若丸が好きである。いと思う。何せ見目が良い。己と瓜二つである。於菊が己の美貌を誇るのは亀若丸が誰よりも見目麗しいからであって、決して己惚れているからではない。亀若丸が見目麗しいから瓜二つの己も見目麗しい。道理である。見たままの事実を誇っている。其れだけに亀若丸には確りして欲しい。誰かに嘲笑われるなど勘辨ならぬ。況して容貌を揶揄われるなどあってはならぬ。

「そんな顔しないの。ヲキィも着いてくから」

「……うん」

 本当に愛い。此が妹なら毎日愛でて一日手放さないのだが。

 とはいえ亀若丸は口実である。真の目当ては冨田屋敷を訪ねることだ。件の後家の見物を謀んでいる。深窓の令嬢たる於菊が上城戸の外に行くには口実が要る。だから亀若丸を冨田流の弟子にして、その付添という名目で着いて行くつもりである。

 亀若丸の臆病は斎藤兵部少輔にとって重大事だ。亀若丸が兵法を習いたいと云えばさぞ喜ぶことだろう。父とて亀若丸の物怖じをおもんぱかった故に自ら兵法を教えているのだが、父も下手ではないものの決して上手くはなく、とても巧く指南できているようには見えない。況して父は亀若丸に甘い。亀若丸が可愛い。目に涙を溜めた亀若丸を強く打てない。一合打って亀若丸が逃げてしまうと稽古はお終いになる。これで上達するわけはない。そろそろ斎藤兵部少輔も悩み始めている筈だった。

 於菊は亀若丸の手を引いて父の部屋を訪ねた。

「ほら、早く仰有い」

「……兵法を習いに道場に通いとう御座いまする」

 於菊に促され、亀若丸は於菊に言い含められた通り父に申し出た。

「おおっ!」

 案の定、斎藤兵部少輔は相好を崩して喜んだ。狙い通りだ。所が。

「然し何故道場に通う。招けば良かろう」

 師範を招くと云いだした。

「父様、よう御座いまするか?」

 透かさず於菊は口を挟む。

「うん? どうした?」

「思いまするに、於亀が上手にならぬはてて様の所為かと」

「ぬ?」

「於亀は未だちいそう御座いまする。そら父様に打たれては怖いに決まってます」

「……ふむ」

「抑も於亀には同輩がおりませぬ。家中に似合いの家来もおりませんし、父様がお許しにならんでお外にも能う出やれへん。うちでキィとばっかり遊んでまする。そら女々しいなっても仕方ない。父様が甘やかすからです」

「ぐぬ…」

 於菊は敢て父を責めるように云うた。

「其れでもこないだ父様の堂々たる武者姿を見せてもろて、そら喜んでましたから、於亀かて腰抜けやあらしません。矢張り男の子です。祖父様や父様みたいな立派な武士もののふになりたいと思てやる。ほんなら、いつまでもキィとばかりやのうて、同じ年頃の男の子と遊んだり、競うたりせなあかんのと違いまするか?」

「…ぬぅ」

 責められた後に「堂々たる武者姿」「立派な武士」などと煽てられ、斎藤兵部少輔も満更ではない。於菊にとっては実に容易い父親である。

「於亀、どない?」

 於菊は亀若丸に微笑みかけて意見を促す。

「か……亀は同じ年頃の輩と共と稽古しとう御座いまする」

 どうやら亀若丸も姉の口添えを喜んでいるようだ。先程まで不安げだった面持ちがパッと輝いている。道場通いは姉に云わされたことだが今の口添えでその気になったらしい。狙い通りだった。於菊にとって家族は容易い。

「どないですやろか」

 とどめだ。

「そろそろ於亀を独り立ちさせてみては」

 於菊は最も可愛い笑みを作って父を蕩けさせた。

「………せやな、其れが良かろうな」

 於菊の謀み通り亀若丸は中条流に入門することになった。

 於菊にとって浮世は容易い。

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