第十一話 源長 二

 伊勢平氏冨田家が如何なる経緯で越前の住人となったかは詳らかでない。同国丹生郡織田荘劔神社神主平親真の母方の曾祖父が伊勢平氏流冨田姓の祖冨田進士三郎基度であったので、その縁であろうという。家祖冨田九郞左衛門長家入道慈源は年僅か十五にして戦場に赴き、以来朝倉家に頼まれて度々出陣して一方の大将を勤めたものの生涯仕官しなかった。齢五十の頃より新庄山崎家に寄宿して山崎右京亮昌巌より中条流平法を学び九年没念して印可を授かった。その後を継いだのが曾孫の冨田治部左衛門景家である。祖父治部左衛門景重、父九郞左衛門景恒が早くに歿した為、曾祖父に付いて平法を学ぶものの曾祖父慈源が永正六一五〇九年卯月二十四日行年九十六歳で歿した時には年僅か十九、平法未熟故に宗家山崎右京亮同中務丞兄弟に付いて修行して、天文十八一五四九年に齢五十九にして漸く印可を得た。この時山崎兄弟は共に齢八十に達しており、その為か予め裏判をした目録を朝倉左金吾宗滴居士太郎左衛門教景に預けて宗滴居士を介して治部左衛門景家に印可を授けている。然様な事であったので、治部左衛門景家は己の印可を義理許しと自嘲した。

 兵法は判らぬが、千代は決して義理許しなどではなかったと思う。身体不如意で立居ままならず、苛立つこともあっただろうに、決して声を荒らげることはなく「有り難う」「嬉しいよ」ということが多い人だった。中条流は「平法」と聞く。治部左衛門景家が「平らか」でなければ誰が「平らか」なのか。治部左衛門景家の手足が震え始めた初めの四年、床から出られなくなった終いの二年は少し手伝うたが、徐々に弱る間の六年を千代は看取らなかった。己のことばかりで治部左衛門景家を顧みなかった。其れでも冨田家に居られたのは治部左衛門景家の御蔭であろう。主に治部左衛門景家を看取った於清も、乳飲み子を抱えながら手伝うた伊都も、きっと千代に含む所があっただろうに、厭味一つ云われなかった。治部左衛門景家の御蔭だと思う。

 其れなのに、薄情な女である。治部左衛門景家が亡くなった十八日の夜から骨を拾う二十三日まで、千代は只々寂しうて、哀しうて、只管ひたすらに泣いていた。傍目には治部左衛門景家の為に泣いているように見えただろうが、違う。己の為だ。己の為に泣いていた。不義であり、不忠であり、不孝である。初七日、二七日、三七日と時を経て、徐々に落ち着きを取り戻しているが、其れでも未だ寂寥に囚われる。

 あれから与吉郎長家…源長とは一言も口を利いていない。源長は七日毎の中陰法要に訪れる。葬送は禅律念仏僧の沙汰、中陰法要は顕密僧の沙汰で、葬儀は天真派の曹洞宗寺院大圓山心月寺で修されたが、中陰法要は天台宗真盛派に属する盛全寺で行うている。盛全寺の住持は冨田盛源だが、盛源は全くの盲人故に決して短いとは云えない観音経の讀誦は難しい。よって導師は源長が務める。だから七日毎に会うているが、源長に避けられている。千代も声を掛けられないでいる。

 源長は千代と関わると苦しむと云うた。初めは受け容れ難く、どうにか仲直り出来ぬものかと色々と思案を巡らせたが、源長の態度に打ち拉がれる内、最早どうにもならぬと諦めつつある。葬送の時にも下火の時にも泣く者は幾人かいたが、治部左衛門景家の為に集まる人々の様子は概ね明るい。果たすべき事を果したからだ。治部左衛門景家も長患いから解放されたからだ。苦しまず穏やかに亡くなったであろうことを言祝ことほぐ人が多かった。於清らも悔いがないという。悔いを残したのは千代と源長だけだろう。それでも源長は導師を務められる。此程の供養はあるまい。愈々いよいよ悔いを残すのは千代一人となろう。


 永禄四一五六一年卯月六日、満中陰を迎えた。

「呪詛諸毒薬 所欲害身者 念彼観音力 還著於本人…」

 源長が観音経を読誦する背後で盛源が船を漕いでいる。偈文で十二遍繰り返される「念彼観音力」は眠気を誘う。然し斯様に堂々と居眠りする人は珍しい。流石は盛源というべきか。毎度のことながら……否、毎度のこと故、於清や伊都、他の平五郎成家や川崎鑰之助も声を殺して笑うている。千代だけが笑うていない。今だけではない。この四十九日の間一度も笑うていないと思う。法要を終えた源長は此度こたびも御斎を断って帰るという。此も千代を避ける故か。与五郎景政は引出物と箱に詰めた御膳を持たせて見送りに出た。千代も此に順うた。然し見送るしか出来ない。遂に話す機会を得られなかった。これが今生で見る最後の源長……否、与吉郎長家かも知れない。まるで僧衣を掛けた衣桁のような後ろ姿を見送った。涙が零れた。


 四十九日の精進潔斎を終えて、千代は平尾丸の求めに応じた。本当はそんな気分ではなかったが、平尾丸には四十九日も辛抱させた。申し訳ない。

 平尾丸は逸ることなく丁寧である。気落ちを察して慰めているのだろうか。

 共に暮らし始めて一年半程になる。少し背が伸びたであろうか。富田弥六郎のように大柄な子は他にもいる。然し平尾丸は些か大人び過ぎている。十四五歳くらいに見えるが、もっと大人に見える。

「なぁ、想い合うてたん?」

「っ!」

 不義を咎められたような気がした。何のことかは明らかである。

「ん?」

 平尾丸に咎める様子はなかった。優しげに微笑んで千代の返事を待っている。

「………いいえ。でも、友垣やと思うてました」

 与吉郎長家とは友人だった。少なくとも千代はそのつもりだった。男女の垣根を越えた友人のつもりでいた。まさか想われているなどとは思いも寄らなかった。然うかも知れないと考えるようになったのはつい最近のことだ。其れも確信はなかった。治部左衛門景家が亡くなったあの日に漸く確信に至った。

「せやけど、大事な時にお助けでけへかったから、そやから…」

「恨まれてると思う?」

「は、はい…」

 声が震える。

「仮に此が逆さまやったら、恨む?」

 平尾丸の調子は飽くまで穏やかだ。

「……逆さま?」

「例えば儂が助けてやれんかったら、儂のこと恨む?」

「そんな、若様をお恨みするやなんて」

「ほな、兄上は恨む?」

「恨ましません」

「ほな、ええやん」

「あっ…」

 剰りのことに身を屈する。平尾丸は千代を優しく抱き寄せる。

「うぅっ、あっ…!」

 苦し紛れに握った平尾丸が鉄火のように熱かった。

「離さんといて」

「はい…」

 これではどっちが大人か判らない。まるで小娘みたいに扱われている。

「っ…」

 大波が押し寄せた。大波は暖かく千代の胸に空いた茫漠とした虚無を満たし、四肢の隅々にまで染みた。

 未だ黄昏終刻午後九時より早い。夜は未だ未だ長い。


 爽やかな朝だった。久しぶりに能く寝た。昨夜は鶏鳴正刻午前二時くらいまで起きていたが不思議と堪えない。平尾丸と戯れた翌朝はいつも然うだ。何もないよりも目覚めが良い。本当に不思議である。すっきり目が醒める。

 隣を見ると平尾丸が居ない。先に起きたようだ。

「あ~っ」

 体を起こし、体を伸ばす。

「はぁ~~~」

 強張りがちな背や肩が軽い。すっかり解れている。暗く沈んだ気も晴れている。

「ふぅ」

 さて、朝の支度をしよう。早くしないと於瀧が来る。取り敢えず肌着を着直した。

「お早う御座います、若様」

 台所を抜けて庭に下りると平尾丸がいた。既に身支度を終えて盥に水を張っている。千代の為の水である。

「あきません、若様がそんなんなさっては」

 平尾丸の手から水を張った盥を取り上げる。

 ちゅっ。不意を突かれた。

「まっ、まだ口を漱いでません!」

 直ぐに顔を背けたが、平尾丸の手が千代の顔を平尾丸の方に向ける。

「んっ…、ん…、んっ…」

 手が塞がった千代は拒めない。平尾丸の成すままである。

「あっ、あきません」

 平尾丸の手が肌着の上から触れて、流石に其れはと一歩下がった。

「もうすぐ於瀧が来ます」

 云うやいなや…

「若様、嬢さん、もうお目覚めですか」

 於瀧の濁声が聞こえた。


「元気そやの。ひっで嘆いとったで心配したざ」

 富田弥六郎である。昨年平尾丸との喧嘩で心月寺を追い出されてから千代が手習いを教えている。平尾丸だけなら未だしも他家の御跡目まではと固辞したが富田民部丞に押し付けられた。忌中の間は遠慮願うたので今日は四十九日ぶりの手習いである。

「御心配をお掛け致しました」

「物憂げな後家様も良かったが、やっぱぁ笑うとる方が優に勝るわ」

 この子は本当に堂々と面映いことを云う。

 二人の手習いを見ながらふと思う。

(弥六殿も、うちのこと好ましう思うて下さってたんやな)

 平尾丸と弥六郎が殴り合うて大怪我をした翌朝の事だ。つい居眠りをした千代の寝顔を見ながら二人は話していた。何を話していたか思い出す。

(なんでこんな大年増に、こないな御子方が…)

 面映ゆうて二人の顔を見ていられない。後に回って立って手習いを見る。

(お可愛らしいな)

 二人共身柱元の毛が跳ねた様子が良い。

 少し落ち着いて考える。もし平尾丸が来るより先に、何かの巡り合わせで弥六郎が平尾丸と同じ事を求めてきていたら、果して平尾丸と同じように受け容れただろうか。

(よう断らんかも)

 この一年程を顧みて思う。この千代という女子は実は相当に多情なのではないか。今からでも、何かの拍子で弥六郎に求められたとして、断るだろうか。自信がない。更に遡ってみる。例えば………与吉郎長家とはあり得たのだろうか。越前に来て初めの四年、九郞左衛門郷家に拒まれていた頃に、何かの拍子に与吉郎長家に口説かれたとして、或いは強引に迫られたとして、果して断っただろうか。

やぶさかやなかったかも)

 九郞左衛門郷家にしても、与吉郎長家にしても、口が曲がっても美男とは言い難い。九郞左衛門郷家は狸に似ていたし、与吉郎長家は蟷螂に似る。何方かというと何方も醜男の類だ。然し千代は人の美醜を問わない。姿勢良く落ち着いた佇まいの人を好む。千代は九郞左衛門郷家の姿勢正しく落ち着いた佇まいに惚れた。平尾丸を受け容れたのも姿勢正しく落ち着いた立居振舞に絆されたからだ。決して美童だからではない………こともないが、重んじたわけではない。飽くまで立居振舞の美しさ故である。では与吉郎長家はどうだろう。腹違いとはいえ流石は九郞左衛門郷家の弟である。姿勢良く落ち着いた人だった。昨日の法要でも美しく背筋を立ててふわりと坐る後姿が美しかった。もし九郞左衛門郷家より先に出逢うておれば、或いは与吉郎長家を恋い慕うたやも知れぬ。然う考える程には憎からず思うていた。あの四年の間にもし求められておれば、あり得たかも知れない。

(悪いことしたなぁ…)

 与吉郎長家は千代を好ましく想うていた。その事を今は疑うていないが、あの頃は少し年嵩の親切な殿御としか思うていなかった。だから九郞左衛門郷家の弟という気安さもあって様々なことを話している。如何にしてつれない九郞左衛門郷家を口説こうかと意見を求めたこともあった。それも二度や三度ではない。今想えば酷い話だ。想う相手から繰り返し「御手前様には目がありませんことよ」と聞かされていたわけだ。強引に迫るどころか口説くことも難しくしていただろう。

 八年経って、二人はどうなっただろうか。恋い慕うて遂に添い遂げた夫と死に別れ、忘れ形見の子まで流した千代は、悲嘆に明け暮れて六年も床に伏していた。然し治部左衛門景家、五郎右衛門隆家、与五郎政家、於清、伊都、於松、於竹、千代之助、川崎鑰之助、三崎玉雲軒など、様々な人々に気に掛けて貰い、なんとか立ち直って、医者の真似事を始め、富田弥六郎や小林次郎などに構われて、平尾丸を迎えた今、千代は満たされている。恵まれていると思う。片や与吉郎長家はどうだろう。右目と兵法を失うた後、新たな兵法を模索して、一年程は稽古に励んでいたが儘ならず、遂に挫折して浄教寺の奥に隠栖した。人を近づけず、傍には下女の母娘二人が仕えるのみ、あの様子では其の母娘とも碌に口を利いていない。何時訪ねても千代は門前払いにされ、同輩の半井久左衛門や他の者とも会うていないという。盛源は能く判らないが、与五郎景政は困っているようだ。

(やっぱり、良うないよね)

 失うたものは戻ってこない。然し空いた穴は孰れ埋まるものだ。どれ程大きなものを失うても誰かが少しづつでも埋めてくれる。何の気ない親切、何の気ない愛想、何の気ない戯れの中の其処此処に九郞左衛門郷家と流した子がいる。良観房忍性上人はあらゆるものの中に文殊菩薩を見出した。明恵房高弁上人は毘盧遮那仏を見出した。同じよう……とは違うかも知れぬが、人と会う度、千代は九郞左衛門郷家と巡り逢う。流した子と巡り逢う。居ないからこそ全ての出来事の中に亡夫と亡子を見る。

 一人にしてはいけない。与吉郎長家を一人にしてはならないと思う。


「嬢さん」

「…」

 於瀧の濁声で思案を断ち切られた。

「お客だっせ」

「お客?」

「浄教寺からお使いだすわ」

「っ!」

 浄教寺から、ということは源長…即ち与吉郎長家である。

「ちょっと失礼します」

 平尾丸と弥六郎に断って、席を離れた。

 使いは源長の下女だった。母娘の娘の方である。歳は十七八頃だったか。伏し目がちで物憂げな女子である。於染はぺこりと頭を下げて小さな箱を差し出した。

「これは?」

「姉上様にと」

「うちに?」

 癖のある縦に長い手で「贈る宛なき不用の品 返礼不要」と記した目録が添えてある。

「開けていい?」

「どうぞ」

 中には蛤の香合が入っていた。

「うわぁ…」

 見事な細工である。内が淡い紅色に塗られ、其処に金彩で歌が記してある。

「こんなん、ええんですか?」

「はい。薬入れにでもせよと仰せでした」

「有り難う御座います。一生大事にすると伝えて…」

 途中でふと思い付く。

「少々お待ち下さる?」

「はぁ」

 於染を待たせて部屋に上がり、平尾丸と弥六郎の横を抜けて文机に向かう。

「うーん、こんなもんかな」

 木札に返歌を認めて、戻って木札を先刻茹でた筍に添えて於染に渡す。

「もう灰汁は抜いてありますから、どうぞお持ちを……あっ」

 思い付いて、餅を包む。

「これは其方に。独り占めにしなさい」

「は、はい…」

 於染は眩しげに目を細め、頬に季節外れの紅葉を散らしながら餅を受け取った。


 於染を見送り終えて、戻った千代は香合を平尾丸と弥六郎に見せびらかした。

「好う御座いましょう? ふふーんっ」

「どしたん、これ」

 平尾丸が問う。

「与吉様が下さったんです」

「ええやん。軟膏入れるのに丁度ちゃう?」

「然うなんです。然うします。えへへ」

 千代は込み上げる笑いを辛抱しない。

「この歌は?」

「前にお教えしましたよ?」

 弥六郎の問いに答えてやらない。

「古今集やで」

 平尾丸が答えた。

「流石若様!」


 蛤の香合が如何なる品かは明らかだった。香合に記された歌は

「春来れば宿にまづ咲く梅の花 君が千歳のかざしとぞ見る」

 である。古今和歌集第七巻賀歌に収められた紀貫之の「本康親王の七十賀の後ろの屏風に詠みて書きける」歌である。つまり冨田日源…治部左衛門景家の古稀を祝う為の品である。然し祝う前に治部左衛門景家が亡くなった。つまり「贈る宛なき不用の品」なった。其れを千代に寄越してきた。

 何故千代に寄越してきたのであろうか。千代は思う。治部左衛門景家が亡くなったあの日、与吉郎長家は平尾丸に「尽くして貰え」と云うた。つまり言祝ことほいでくれたのだ。そして蛤の香合をくれた。蛤は夫婦和合を表す縁起物である。穿うがち過ぎかも知れないが、此は祝儀の品だったのではあるまいか。だから「返礼不要」とはあったが、千代は丁度今朝平尾丸と弥六郎が取ってきた筍に返歌を認めた木札を添えて返した。

「今更に 何を煩う 竹の子の うき節しげき よとて物な思ひそ」

 これは凡河内躬恒が「物思ひける時、いときなき子を見てよめる」歌、

「今更に なに生ひいづらん 竹の子の うき節しげき よとは知らずや」

 の本歌取である。千代が先程捻り出した。凡河内躬恒が「今更何故に生まれてきたのか、斯様に辛いことばかりの世だとは知らないのか」と詠んだ歌を「何を悩んでいるのか、斯様に辛いことばかりの世だけれども、心配しないで」と替えたのだ。

 与吉郎長家は今も思い悩んでいる。今も苦しんでいる。然し心配は要らない。何故なら少なくとも与吉郎長家は千代の事を気に掛けている。蛤の香合は其の証だ。千代も与吉郎長家のことを気に掛けている。互いを想い合うている限り与吉郎長家は独りではない。ならば孰れその思いが与吉郎長家の空隙を埋めるだろう。以前の間柄とは違うかも知れないが、孰れまた笑い合うことも出来るようになる。だから千代は其の日を待つ。愉しみで仕方がない。其の時は皆で餅つきなど出来ると良い。

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