第八話 富田弥六郎

 一乗谷は谷である。東南西を山に囲まれて、南と東の山の間を流れ下る一乗川に南と西の山の間を流れ下る鹿俣川が注いでいる。そしてやや東に寄りながら一乗川が東西の山間を貫いて北の足羽川に注ぐ。東から西に流れ下る足羽川の北岸にも山があるので、四方を山で囲われた天然の要害になっている。

 日下部氏流朝倉家は五代当主心月宗覚教景の頃から此の地を本拠として居館を構え七代英林孝景が城戸が設けて南北十五町程の街を築いた。一乗川と鹿俣川が交わって二町ほど流れた辺りに築かれた南の城戸を上城戸、一乗川が足羽川に注ぐ二町手前辺り設けた北の城戸を下城戸という。城戸の内側を城戸ノ内と呼んだ。城戸ノ内で栄えた街はやがて城戸の外に溢れ、やがて城戸の外にも家屋敷、寺社、店々が建ち並ぶようになり、一乗谷は大いに栄えた。


 永禄三一五六〇年水無月初旬の昼下りである。

「迷惑かける」

 平尾丸は申し訳無さげに童子を一人、襟首を掴んで引き摺って来た。

「あらら…、御怪我は」

「させてへんと思う」

 これで五度目になる。

 上城戸の外は新町と呼ばれている。文字通り新しい町だ。一乗川の東側を東新町、西側を西新町という。鹿俣川は西山の際を北に流れて一度東に折れ、三十餘間程でもう一度北に折れて一町半程で一乗川に注ぐ。その南北一町半程は長雨などで川が溢れると流されてしまうので河原のままにしてある。冨田家初代の九郞左衛門長家入道慈源居士はこの河原を兵法修行の道場とする許可を得て、その南側に屋敷を構えた。此が今の冨田屋敷である。千代と平尾丸が住うている曾ての九郞左衛門郷家の居宅は屋敷の母屋と道場の間にあり、西に空いた濡縁側から北を覗くと半町ほど先に一本松が見える。岸十郎を吊した一本松である。

 岸十郎を一本松に吊し上げた件は岸鍋八が人目を避けて事に及ぼうとした為すぐには広まらなかった。岸鍋八も卑怯を辨えていたのである。然し決して衆目に触れなかったわけではない。幾人かは岸十郎が吊されるのを見た。人の口に戸は立てられぬもので、じわりじわりと風聞は広まった。とはいえ見目麗しい平尾丸の容貌から、多くは俄に信じられぬようで、事の真偽を千代に尋ねる者がちらほら現れた。千代は他家の面目のこともあるので「さてね」とごまかしたものの、岸十郎が蟄居の上廃嫡された。多くの者は風聞を事実と捉え、やがて平尾丸がどれ程の腕前かと確かめんとする者が現れるようになった。それで今日は悪童二人が平尾丸に喧嘩を売って一人が気絶することになったらしい。

 恐る恐る平尾丸の後に着いてきたもう一人の悪童は千代にぺこりと頭を下げた。千代は微笑して会釈し、再び平尾丸に向き直る。

「此度は如何なさいましたか」

「腕捻っただけでは諦めてくれんで…」

「仕方のない事で御座いますね。ささ、こちらに」

 千代は叱らない。喧嘩沙汰は褒められないが平尾丸も一応は気を使うている。極力相手に怪我をさせぬよう手加減している。きっと千代に二度と土下座させぬ為だ。その気持ちを汲んで叱らないようにしている。

「今日はどのようになさって」

「締めた」

「どのくらい」

「きゅっと一息」

 それで直ぐに蘇生しなかったので連れ帰ったということらしい。

 気絶した悪童は増井甚内という。着いてきた悪童は毛屋猪介。どちらも其れなりの身代の家の子で、確か当年十歳くらいである。体つきは十歳なりの人並み、二人共平尾丸より随分小さい。この背恰好で平尾丸に挑むのだから甚だ無謀である。して平尾丸には武芸がある。既に盛源より幾つかの伝を授かっている。愚かなことだ。

(なんで男の子って…)

 呆れながらも増井甚内の様子を検める。平尾丸のいう通り怪我はないようだ。鼻に指を宛がうと息もある。

「…………」

 呆れた。瞼がぴくぴくと動いていた。狸寝入りである。恐らく絞め落とされたのは本当だろう。然し直ぐに蘇生した。にも関わらず空寝して引き摺られてこられた。平尾丸に簡単に捻られたことを恥じ、然しどう面目を保ったものか判らず嘘寝でごまかしたという辺りか。

(全く…)

 千代は呆れながらも活を入れてやる。坐らせて背中に膝を宛がい両肩を掴んで

「えいっ」

 胸を開いてやる。我ながら下手な芝居だった。

「っっっ…」

 増井甚内は息を吹き返すふりをした。

「お気付きになりましたか?」

「…………」

 辺りを見渡している。白々しい演技だが気絶していたことにしておいてやる。

「…………」

 仕上げだ。千代は増井甚内の前に回って顔を近づけた。

「お名前は?」

 千代はにっこり笑って問う。

「~~~~っ!」

 増井甚内は見る見る顔を赤くした。

「お名前は?」

 もう一度問う。

「………増井……甚内」

 やっと答える。

「御屋敷は何処に御座いまするか?」

「………丹生」

「丹生の何処?」

「……真光寺」

「御父上は何方様で?」

「増井…五郎左衛門」

「御兄弟はおられまするか?」

「……姉がおる」

「よう御出来になりました」

 千代はさらりと増井甚内の前髪に触れた。

「増井様を御願いしましてよ?」

 毛屋猪介にも笑いかけておく。二人は覚束おぼつかない足取りで帰っていった。

「……はぁ」

 千代は大きく溜息を吐いた。どっと疲れた。

 斯様にすると悪童が少しだけ善い子になって帰る。要は誘惑したのだが、近頃こういうあしらいいを用いることが増えた。平尾丸の所為である。

「済まん」

 平尾丸が申し訳無さげに謝った。

「おやめなされ」

 千代は抱き締めて頬摺りしごまかす。平尾丸に謝られると切なくて泣きそうになる。いつか大事になるのではないか、いつか大怪我をするのではないかと気が気でない。心配の剰り時には文句を云いたくもなる。然し姿を見るとほだされて何も云えなくなる。だから遣る瀬ない。

「ほんま、憎らしい人」

 平尾丸が一乗谷に来て十月とつき程、……あの夜から八月やつき程になる。

「千代は何時でもお前様の味方に御座いますれば、どうか御気兼ねなされませぬように」


 冨田屋敷を西に出て鹿俣川に架かる橋を渡り山際を南に歩くと盛源が住う盛全寺の山門があり、北に行くと富田民部丞吉順の屋敷がある。紛らわしい事この上ないが、一乗谷には朝倉家の客分である兵法名家の冨田家とは別に朝倉内衆譜代衆の富田家がある。冨田はトダ、富田はトンダと読む。富田トンダ家は出雲源氏佐々木氏流というから伊勢平氏の冨田トダ家とは血縁はない。身代は富田家が遙かに大きく、冨田家は足羽郡浄教寺に四千石程であるのに対し富田家は坂井郡兵庫郷の他に多くの飛地を知行して総石高は二万石に及ぶ。先代の民部丞吉信が朝倉九代貞景(天澤居士)と十代性安斎宗淳の左右を離れぬ側近中の側近として能く仕え、当代民部丞吉順も十代性安斎宗淳と当代左衞門督義景に近侍して能く励んだ故である。

 兎も角、上城戸の外の東西の新町に冨田トダ富田トンダが住んでいる。


 翌日の昼過ぎ頃である。

「奥方! 戻ってきたわ!」

 焼いた竹が爆ぜるような大声が冨田家の離れ家に響いた。

「まぁ、弥六様やないですか」

 千代が富田弥六郎の声を聴いたのは文月以来、殆ど一年ぶりであった。

「久しぶりやの」

「また一段と大きうならはって」

「ほうかの? 己ではわからん」

 此程童子髪が似合わない童子は他に居なかった。富田弥六郎は富田民部丞吉順の嫡男である。当年齢十歳にして身丈は既に五尺半167cm程にも達し、膂力は五人力という怪童である。顔こそ童子そのものだが、肩幅は広く、胸板は厚く、腰は括れ、足首は細く、如何にも剽悍な容貌で、恰も怒り肩の虎か狼が二足で立ち上がったようである。

「心配しておりましたよ。御元気そうで何より」

「ほら、うらが殴ったからの、俺は元気やわい」

 富田弥六郎は中条流の門弟ではないが度々たびたび千代を訪ねてくる。怪我を口実に会いに来る子は新町に幾人もいるが、富田弥六郎は堂々と「顔を見に来た」と宣うて「美人は見飽きん」「惚れ惚れする」などと面映いことを言い残して帰る。此程直截に千代を煽てる者は他におらず、初めは揶揄からかわれているのかと思うたが、やがて正直に好意を表しているだけだと解り、次第に千代も弥六郎を可愛いと思うようになった。今では弥六郎に懐かれていることを嬉しく思う。

 千代とて初めは富田弥六郎を懼れていた。当然である。齢十歳にして既に身丈は五尺半に達し、容貌は二足で歩く虎か狼である。其の容貌に似合うて性質は剽悍もしくは獰猛、度々たびたび人を殴るなどして騒動を起して誰からも懼れられていた。千代の許にも富田弥六郎に殴られたという者がちらほら来るので、なんて乱暴な子だろうかと思うていた。そんな千代の見る目を変える切掛は一昨年の初秋のことであった。富田弥六郎が突然小林次郎の襟首を掴んで放り投げて怪我をさせたことがあった。小林次郎は内衆小林新介の次男で弥六郎とは同じ年頃の子である。近所のことだったので千代が呼ばれて駆け付けた。冨田屋敷を出て少し北に行った心月寺の山門の少し東、道端で蹲る小林次郎から二間ばかり離れた草叢に富田弥六郎が立っていた。千代は怖いなと思いながら小林次郎の具合を診た。幸い軽い擦り傷があるだけだった。持参の膏薬を塗って手当てを済ませた。然し突然放り投げるとは甚だ乱暴が過ぎる。とても看過出来ぬ。此は問い質さねばなるまいと、少し怖じ気付きながらも勇気を揮うて弥六郎に詰め寄ろうと近付いた。すると富田弥六郎は千代を見遣ることなくしっしと手を払うた。なんと無礼な仕草か。千代が武家の出ならば然様に怒ったであろう。然し千代は商家の娘である。其程気にならなかった。其れより草叢の中を睨み付ける弥六郎の目が気になった。弥六郎が睨む先を能く見ると弥六郎は左手に持った木の枝で草叢の中の何かを抑えつけていた。その刹那だった。千代をしっしと払うた右手を閃かせ、弥六郎は草叢の何かを掴んで掲げた。其の何かを見て千代は肝を冷やして尻餅をついた。蛇である。毒蛇の頭を掴んでいた。富田弥六郎はやっと千代の方を顧みて、にっかり笑うと毒蛇を掴んだまま何処かに駆け去っていった。

 富田弥六郎の姿が見えなくなってから、千代は漸く己を落ち着かせ、気を取り直して小林次郎に事情を訊いてみた。次郎が草叢で用を足そうと駆け出した所、突然後ろに引っ張られて気付くと地べたを舐めていたという。周囲で見ていた者にも訊いてみた。皆一様に突然小林次郎の体が宙を舞うて地に落ちたというばかりであった。誰も草叢の毒蛇には気付いておらず、富田弥六郎が毒蛇を捕まえたことすら解っていなかった。どうやら剰りにも小林次郎が高く遠くに放り投げられたので皆その事ばかりに気を取られていたらしい。

(もしかして、今までの騒動も、斯様なことやったんやないかしら)

 千代は然様に考えて、富田弥六郎が乱暴狼藉に及んだと聞こえても無闇に懼れるのをやめた。そして新町の出来事であったなら出来得る限りは関わった者見た者に話を訊きに行くことにした。結果、二月ふたつき程の間に十件騒動があり、千代が事情を把握出来た八件の中で富田弥六郎が理不尽に人を傷つけたことは一度もなかった。千代の富田弥六郎に対する見方が全く変わった。

 同じ頃から富田弥六郎の無闇な悪評に「然し悪い御方ではない」と付け加えられるようになった。千代に事情を問い質されて、どうやら自分が助けられたらしいこと、庇うて貰うたことに気付いた者がいたからだ。その者らの所為だろう。やがていつも独りだった富田弥六郎の傍にぽつりぽつりと同輩の子の姿が見えるようになった。そして或る日、富田弥六郎が小林次郎に連れられて遊びに来た。挨拶もなく、顔を見るなり弥六郎はこんなことを申した。

「奥方は器量やの。閉月羞花というんやったかの」

 難しい言葉を使うたことに驚いたものだ。

 富田弥六郎がとお一月ひとつきも一乗谷を離れることになったのは、青木隼人佐の家人を殴ってした為だった。青木隼人佐は年寄衆に名を連ねる朝倉譜代の重臣である。その家来の面目を潰したとあっては如何な富田民部丞の嫡男とはいえ只事では済ませられなかった。富田民部丞は直ぐに青木隼人佐を訪ねて謝罪したそうだ。廃嫡するとまで申したらしい。然し青木隼人佐は道理を辨えた人物である。如何に大柄とはいえ十歳の童子に伸される家来の方こそ言語道断であるとし、伸された家人に切腹を命じた。厳しすぎると思うたが、千代は後で知った。その家来は平素より奉公人を罵る癖があり、其の時も聞くに堪えぬ言葉を使うて奉公人を悪罵していたそうだ。剰りに剰りだったので、もし弥六郎が殴っていなければ、己で刺すか、刺そうとして及ばず返り討ちにされていたであろうと悪罵されていた奉公人から聞いた。恐らく其れも汲んでの青木隼人佐の仕置きだった。斯くして弥六郎は廃嫡を免れたが、富田民部丞は弥六郎に蟄居を命じ本貫地の坂井郡兵庫郷に押し込めた。恐らくは件の家来の縁者による仕返しを警戒してのことだろう。弥六郎も素直に従うたようだ。腹違いの妹に初めて会うのだと嬉しそうに谷を発った。千代が平尾丸と引き合わされる一月ひとつき前の出来事だった。


 其の富田弥六郎が一乗谷に帰ってきた。

「ん?」

 富田弥六郎が平尾丸に気付いた。

「見ん顔やの」

 普通一乗谷の子弟は六七歳になると大圓山心月寺に通うか預けられて手習いを学ぶが、先日の岸兄弟の騒動で平尾丸は和尚より謹慎させられている。だから寺に通えない間は千代が平尾丸に手習いを教えていた。今日は出居で平尾丸相手に『伊勢物語』を講釈……のつもりで千代が千代なりの解釈を交えつつ気儘に喋るのを、平尾丸は綿毛か羽毛のようにふわりと端坐して機嫌斜めならずに聞いていたところだった。其所に富田弥六郎が現れた。

「何奴や」

 富田弥六郎の悪い癖だった。態と顎をしゃくって平尾丸を見下した。

(あ~…)

 千代は頭を抱えた。

「そっちから名乗るんが筋やろ」

 平尾丸も悪い癖で応じた。少し目を伏せて横目に富田弥六郎を見た。

「なにぃ?」

 富田弥六郎は顔を顰めた。

 これは拙い。

 千代は先手を打った。

「あーきーまーせんっ!」

「っ!」「っ!」

 二人はビクッと肩を震わせ目を瞠って千代を見た。

「あきませんよ」

 千代はにっこり笑うて二人に笑いかけた。

「ね?」

「……うん」「……おう」

 良かった。未然に防ぐことが出来た。

「………また来る」

 この日は富田弥六郎が悄悄と帰って何事もなく治まった。


 …このまま治まろうわけはなかった。

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