第七話 平尾丸 四

 意外や千代はすっきり目覚めた。昨夜は何時頃眠ったか判らないが、早うはなかったと思う。然し寝足りぬことはなく、疲れてもいない。寧ろ生気が漲っている。今日一日何をしようか気が逸る程だった。

 今朝も側には平尾丸がいた。

(お目覚めになったら…)

 心配しながら期待している。息を潜めて揺するか否かを迷う。

 分かっている。堀河帝の中宮篤子内親王も寵を受けた。然し十九も年嵩では流石に御子は成せなかった。だから大納言藤原実季女苡子を女御に迎えた。次の鳥羽帝は女御に生ませた御子である。他にも幾人かの典侍を側に置き、華厳院僧正や最雲法親王を生ませた。出自は知らされておらぬが平尾丸はきっと貴い筋の人である。いずれは務めを果たさねばならぬ。だから孰れは誰かに譲らねばならぬ。もしその時嫉妬に狂うて六条御息所の如くなっては目も当てられぬ。今は綺麗だ何だと煽ててくれるが所詮は手種てぐさ(てなぐさみ)であろう。こんなおうななどどうせ直ぐに飽きられる。だからあまり耽溺してはならない。きっと後が堪える。

「もう直ぐ於瀧が来ますから」

 やっと遠慮願うて赦された。


 朝四つ頃。平尾丸を兵法の稽古に送り出し、於瀧が飯炊きの支度を始めたのを見て、千代は出居で薬種の確認を始めた。

「…………」

 於瀧の眼差しが痛い。どうも気付かれている気がする。於瀧は千代が生まれた時から千代に仕えている。千代を知悉している。気付かぬわけがない。

「もし…」

 外から気弱げな少女の声が聞こえた。冨田与五郎景政の下女である。

「はぁい」

 於瀧が濁声で応じた。

(助かった…)

 於瀧がこの場から去り、千代は胸を撫で下ろした。何を知られたからとて何があるわけでもないが、流石に閨事ねやごとを知られるのは恥ずかしい。とても居た堪れぬ。

とうさん」

「ぅわあぁあっ!」

 直ぐに戻ってきた於瀧の声に驚いて思わず叫んだ。

「…………」

 於瀧は眉一つ動かさぬ。

「は、はははは…」

 於瀧を顧みて笑ってごまかそうとするが、ごまかせるものか。

「…………」

 於瀧の眼差しが痛い。矢張り気付かれていると思う。

「……旦さんから御文が届いてまっせ」

 於瀧が封書を差し出した。

「……御文?」

「そうだす。御文だす」

 旦さんとは千代の父尾和四郎左衛門のことだ。これは父から娘に宛てた手紙である。千代は受け取った手紙の封を解いた。

「ちよや しばらくあえず すねてはないか そくさい息災か」

 なんという書き出しかと思うた。

「…………」

「なんだんのん」

 黙読する千代に於瀧が訊ねた。

「今年はもう来やはらへんねんて」

「あら、お珍しい」

 其れだけ云うと於瀧は飯炊きに戻って行った。

 尾和四郎左衛門は千代が十五で越前に押し掛けて以来毎年四五回ほど訪ねてくる。商売の用もあるが千代の顔を見に来ているのだった。それが今年は卯月に一度来たきりである。「かわち河内たかつき高槻のことにて」忙しいそうで、中々暇がないらしい。葉月望日頃に「開冬神無月までにはあひたし会いたい」と報せがあったが、「それもかなわじ」という。越前は北国である。そろそろ霜がり雪がりはじめる頃である。越前の雪は深い。今来ないなら来年如月明け迄は来るまい。だから今年は一度きりということになる。それを於瀧は「珍しい」と云うた。

「あ~あ」

 千代は大きく体を伸ばした。少し気が楽になった。父に会わなくて済む。父のことは決して嫌いではない。愛されていることは解っている。大事に育てられた恩も辨えている。ただ娘とはいえ二十七の後家に「千代や。暫く会えず拗ねてはないか」などと書いて寄越す父である。些か辟易している。また結局は商いのついでであろうという思いもある。例えば千代が十五で九郞左衛門の許に押し掛けた時に千代を追うて来越し、千代を説得せんと暫く在越したが、其の間も三国湊できっちり商売していた。此度こたびにしても、会いたい会いたいと綴りながら「河内と高槻の事」とやらで忙しいらしい。別に商いのついででも構わないが、序でなら序でと云うて欲しい。其方の為と云われてものぎの如く引っ掛かる。父の言葉を素直に呑み込めない。だから父と会うと辛い。

「はぁ」

 殊更に大きな溜息を吐く。

(親不孝な娘)

 親不孝の自覚はある。心配ばかりかけた。我儘ばかりであった。よく見棄てず何時までも気に掛けてくれるものだと思う。優しい父だ。それでも反りが合わない。正直あまり会いたくない。疎ましい? 煩わしい? 違う。会わせる顔がない。

(なーんで、巧いこと付き合われへんのかなぁ)

 千代は父からの文に返事を書いたことが殆どない。つい餘計な事を書いてしまう。然う思うから書かない。然し前回の葉月望日頃の文には返事をしたためた。盛源か与五郎景政が報せてはいたと思うが一応千代からも平尾丸のことを報せておかねばならぬと思うたからだ。「冨田家御養子ニくろうざ九郎左御名跡ごみょうせき継セン為再嫁セよと御院様申レ是ヲ諾す」とだけ書いた。敢てカナではなく真字まなで書いた。

(行違いになったかな)

 先程届いた父の文に平尾丸のことは何も書いていない。日付は「八二十八」とある。葉月二十八日なら未だ盛源か与五郎景政、そして千代が宛てた文は届いていなかっただろう。文を送るなら盛源は盲僧に託する。千代も盲僧か遊行僧に託する。一乗谷から堺までは急いでも四五日程、あちこち寄道するであろう僧なら一月二月ひとつきふたつきは掛かるだろう。行違いになったか、二月経った今でも未だに届いていないか。

(あんなことになったて知らはったら、どんな顔しはるやろ)

 昨夜と今朝のことを思い出す。敢てああなるように己から誘うたのではないかという気もする。あんな可愛い若子を、我が娘が褥に誘うて我が物にしたなどと聞いて、父はどう思うだろうか。

 父との間柄について反省するところは幾らもある。然し先に悪かったのは父の方だといううらみもある。千代が未だ冨田九郞左衛門郷家と出会う前、家の近くに於秀という五歳年嵩としかさの娘がいた。京から逃れてきたと云うていた。鷹揚で、賢く、優しい人で、様々なことを知っており、千代はよく構うて貰い、様々なことを教わった。千代にとっては有り得べき女子の手本であった。然し父は千代が於秀と会うことを喜ばなかった。他に何も云わない父であったが、千代が於秀と関わることだけは嫌がり、時に厳しく咎めることがあった。千代は構わず於秀の許に通おうとしたが、於秀が察して遠慮した。もう来ない方が良いと告げられて、以来会うてくれなくなった。此が父に対する最初のわだかまりである。

 今なら解る。於秀の家は熱心な法華宗徒であった。於秀の家は本阿弥という。多分公方足利幕府の同朋衆だった本阿弥家である。初代妙本が刀剣奉行として足利尊氏に仕え、以後刀剣の研ぎ、拭い、目利きの三業を家職とした家だ。名から察せられる通り元々は時宗を信心したらしいが、嘉吉元一四四一年、三代妙大の時、公方義教普光院が赤松満祐邸に御成の朝に公方が帯ようとした脇差が鞘走り、替りに持ってこさせた脇差もまた鞘走るということがあった。そのとがで勘気を蒙った妙大は入牢させられ、禁獄はなんと二十二年にも及んだという。その獄中で同じく入牢させられていた久遠成院日親上人と邂逅して以後本阿弥家は法華を信心するようになったとか。於秀の父は多分本阿弥家七代光心である。光心が京より堺にことになったのは、法華一揆の大将の一人であったからだ。天文五一五三六年如月十一日、宗論に於いて延暦寺の僧侶が一人の法華宗徒に論破されたという風聞に端を発する騒乱に於いて、叡昌山本法寺の壇越であった光心は信徒を率いて延暦寺と争い敗れた。この騒乱は下京全てと上京三分一を焼き、柳営幕府は三箇条の禁令を発して法華宗を洛外に追放している。多くの法華宗徒が堺に逃れて本阿弥家も堺に落ち延びた。

 娑婆に常寂光土の実現を目指す法華宗は蓄財を悪徳としなかった。故に商人の間で流行したが、尾和四郎左衛門は一休宗純禅師に帰依して家財を擲ち大徳寺の再興に尽力した祖渓宗臨の曾孫である。当然自身も大徳寺九十世大林宗套に帰依する檀那である。禅を天魔と誹謗する法華と相容れるわけがなく、また多くの商売敵が移住してきたのだから商人としても色々あったようだ。本阿弥家は同十六一五四七年まで堺に住んだ。京の街を焦土と化すような奴の娘の許に愛娘が通うているのだから、父としては気が気でなかっただろう。実際於秀は仏法に話が及んだ時だけ厭味のような事を云うた。仏法の話にさえ及ばなければ良い人だったので、千代は自然と仏法の話だけは避けた。其所だけは嫌だった。父は於秀に唆されて千代が法華に転ぶことを怖れていたのだと思う。当然の危懼だったと思う。

(それに法華に転んでたらこっちに来られやんかったかも)

 然う考えるならば、後知恵ながら父は千代の将来を守ったことになる。冨田家は初代慈源居士が円戒国師真盛上人に帰依して以来の天台律宗であった。天台は法華の敵である。於秀はきっと九郞左衛門郷家を好まなかっただろう。あの時疎遠になっておらねば九郞左衛門郷家との恋はなかったかも知れない。ならば九郞左衛門郷家との日々は父の御蔭である。感謝しなければならぬのか。父は正しかった。然し理窟では未だ飲み下せないでいる。未だ割り切れそうにない。


 考え事をしながらでも手は勝手に動くもので、千代は程なく仕事を終えた。

(さーて、なにしよか)

 平尾丸が稽古を終えて戻ってくるまで暇になった。稽古で誰か怪我しない限り用事はない。平尾丸が来てから千代は随分と手が空くようになった。千代は盛源に平尾丸の世話を頼まれたが、平尾丸は実に手の掛からない子である。何事でもあっと云う間に済ませてしまう。千代が手伝う隙がない。それどころか千代の事さえ手伝おうとし、断る前には済ませてしまう。御蔭で遊ぶ余暇すら出来た。

(久しぶりに、笛吹こかな)

 父のことを考えたからか、笛と思うた。笛は父から習うた。袋から一節切を取り出す。父に贈られたものだ。時折手入れの為に触れるが、九郞左衛門郷家が亡くなってからはすっかり吹くことがなかった。音曲を奏でる気にならなかったからだ。今吹こうと思うたのは、久しぶりに女になったからかも知れない。

(なんか、やらしいかな)

 歌口に唇を当てて、あらぬ事を考えた。

「~~~~~~~~」

 曲は何となく『紫恋慕』にした。一休宗淳は能く尺八を吹いたらしい。この曲は一休宗純作と云われている。曲名の「紫」は一休禅師が後土御門天皇の勅命により住持に任じられ再興に尽力した大徳寺がある紫野のこととされる。順うて「紫恋慕」は「大徳寺の開祖大燈国師を恋い慕う」と解されることが多い。然し紫野は彼の紫式部が生まれた地であり、また賀茂斎王(斎院)の御所紫野斎院もある。酒色を好み齢七十を超えても傍らに愛人を置いたという一休禅師のことだ。実は艶っぽい意味を込めていたのかも知れない。ならばあらぬ事を考えながら吹いても罰は当たるまい。然う思うて少し気分を入れて息を使う。

「~~~~~~~~」

 七年ぶりの割には能く吹けているのではないか。

(御院さんがもっと御上手やったら、御一緒するんやけどな)

 一休禅師の愛人とされる森侍者は鼓を打って歌うことを生業にした瞽女だったようだ。薪村の酬恩庵で禅師の一節切に合わせて鼓を打って歌う様を思い浮かべる。

(御院さんとは男女が逆になるね)

 指が解れて息の調子も整うてきたので拍子を早めようとした、その刹那であった。

「嬢さん」

 笛の音が於瀧の濁声に絶たれた。

「…………」

 折角興が乗ってきたのに、残念である。

「……どないしたん?」

 気を取り直して何事か於瀧に訊ねる。

「御機嫌のとこ悪う御座いますけど、旦さん来やはりましたで」

「はぁ?」

 全く油断していた。聞き違いかと思うた。


 千代は母屋の様子を遠巻きに覗う。

「…………」

 奥の間からぼそぼそと男の声が微かに聞こえる。盛源と与五郎景政、そして父の声だ。

「なんや話し込んではりまんなぁ」

 於瀧は興味無げながら千代に付合うて話し声に耳をそばだてている。

 いつもは盛源らへの挨拶などそこそこに、急いて千代と会いたがる尾和四郎左衛門だが、今日は千代に会わず盛源と与五郎景政と三人で長々話し込んでいる。

「……なにをお話しやろか」

 何の話か聞き取れはせぬが、恐らく平尾丸のことだろう。年内には来られぬと報せが届いた直後の来訪である。きっと行違いで届いた盛源か与五郎景政か、或いは千代の文を読んで翻意したに違いない。嫁いだとはいえ千代は尾和の娘である。再嫁となれば尾和家に断りがあって然るべきだ。冨田が勝手に決められることではない。

「お静かでんな」

「そやね…」

 於瀧のいう通り三人の話し声はやけに落ち着いている。実は父も昨年春頃から千代の身の置き所について按じていたようで、来訪する度に手代の名を口にして千代の気を覗う素振りがあった。もし満更でもないようなら堺に連れ帰って其の手代と添わせるつもりだったのだろう。千代を娶った手代は孰れ番頭になり暖簾分けもあったかも知れない。商売を大きくする手管である。その目論見が外れるならば、商人尾和屋四郎左衛門としては損である。面白くはあるまい。だから言い争いにならないかと危懼していたが、然うはなっていない……ようだった。一安心である。

「…………」

 然しその静けさが深刻げでもあった。父の声があまり聞こえてこず、殆ど盛源が喋っている。口が商売道具の父を黙らせるような話なのか。

(そら、御子ということもあり得るかも)

 千代は平尾丸をやんごとなき生れの御方と思い込んでいる。天皇や将軍の御落胤だったとしても驚きはしない。娘がそんな貴人の養育を任されたと知って、父はどう思うだろう。高祖父祖渓宗臨は一休宗純に帰依して私財を擲った人だ。些か信心が過ぎて曾祖父の代には商売が傾き、祖父の代には店を失うた。父の代で何とか持ち直し、今は堺の貿易商としては中の中か少し上といったところか。一休禅師は後小松天皇の御落胤と伝わる。再び貴種との縁が生じたことを、父は名誉と思うか畏れ多いと思うか厄介と思うか。

「おおい、姉上」

 盛源の声だった。

「其所におるんやろ。おいで」

「っ!」

 驚いた。盛源がいる奥の間から千代が居る庭先までは凡そ十二三間、然も千代は物陰に隠れていた。盲人の盛源は気配を察して目明きのように振舞うが、此程離れた物陰の人の気配まで察するとは、目明きの者より餘程能く

「は、はいっ、只今!」

 わたわたと慌てて縁側から母屋にあがり、奥の間の戸を開けた。

(……)

 父の眼差しに怯んだ。哀しげな目であった。

「…………」

 父は暫く何も云わなかった。盛源も与五郎景政も何も云わなかった。

「……千代」

 漸く口を開いた父は、

「聟殿に、ようお仕えするんやで」

 と云うと、また黙ってしもうた。

 そして程なく稽古を終えた平尾丸が来ると、なんと父が外縁に下座して、

「どうか娘を何卒可愛がって下さいまし」

 と額を床に擦り付けた。父の振舞に千代は思わず仰け反って後に手を着いた。

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