第四話 平尾丸

 いつか盛源から聞いたことがある。

「兄者は体こそ弱かったけど、兵法が不器用やったわけではないんや」

 九郞左衛門郷家は病弱故に兵法を諦めたが、医術を志す以前は父治部左衛門景家より中条流を厳しく仕込まれており、幾人かの門弟を指南して立派に育てた兵法者であった。

「姉上には不器用やったとしか云わんかったと思うが、兄者の兵法は位が高かったよ。位が高いというのは………まぁ、姿がええんやな。立ち姿が綺麗とか、歩く姿が綺麗とか。然ういうのが兵法には大事でな。それを生まれ持っとった。ほやから兵法も上手やった」

 兵法の話であったが、此で千代は九郞左衛門郷家のどこに惚れたのか合点した。先づ立ち姿に惚れ、その所作に惚れたのだ。九郞左衛門郷家は立居振舞が美しい男だった。


「平尾丸という」

 千代は端坐する美童を千代に紹介した。

「故あって親父の養子にしたんや」

 親父とは冨田治部左衛門景家のことだ。病床の身だが未だ冨田家の家督である。

 盛源は白く濁った目で平尾丸を

「今年で幾つやったか」

「守札には天廿三とあります」

 平尾丸が答えた。

「というと……七歳ななとせか」

(?)

 千代は引っ掛かった。奇妙な云い方である。言葉通りに受け取れば平尾丸は天文二十三一五五四年生れの七歳だということになるが、とても然うは見えない。先づ平尾丸の容貌が七歳ではあり得ないし、普通「今年で幾つ」と歳を聞いているのなら、その答えは「七歳になりました」であろう。だから歳の話とは思えなかった。

 容貌から察するに十三四歳より下にはなるまい。上はあり得る。まさか七つと云われて信じる者はおるまい。単に背恰好が大きいということではなく、その落ち着いた佇まいが甚だ大人びている。背恰好は十三四だが、十五と云えば十五、二十と云えば二十、二十五といえば二十五に見える。

「まぁ、あんまり詮索はせんといたってや」

 呼吸で思案を気取られたか、盛源は千代に釘を刺した。

「人に知られたないことがあるでの、知らん方がええ」

「はぁ」

 釈然としないが盛源が云うので受け容れた。

 千代は改めて平尾丸を見た。

(せやけど、ほんに綺麗な御子やな…)

 平尾丸というと『伊勢物語』である。千代は商家の生れだが相応の教育を受けている。『伊勢物語』を好み、十五で家出した時も『伊勢物語』を携えて越前に来た。『伊勢物語』の昔男は夙に在五中将…つまり在原業平に擬えられるが、平尾丸とは在五中将の幼名である。此の子の名に相応しい響きである。

「で…」

 盛源がいう。

「請けてくれるかな」

「はぁ」

 千代は平尾丸に見蕩れて迂闊にも生返事で請けてしもうた。

(…………っ!)

 須臾の間があって千代は漸く己の迂闊に気付いた。

(この方が、お聟さん?)

 まさか平尾丸が天文二十三年生れなわけはあるまいが、平尾丸が若いということは間違いない。寧ろ二十七にもなる媼に宛がうとは考え憎い。要は養育を恃まれたのだ。曾て盛源は九郞左衛門郷家の兵法の「位」について話してくれた。立居振舞は兵法の才である、というような話だった。千代から見ても平尾丸は尋常ではない。立居振舞が兵法の才を示すなら、平尾丸の天稟は希有のものだ。名人になる。だから旅の途次に見出して引き取って来たのだろう。千代の聟にするというのは盛源なりの思い遣りであろう。本当ならば冨田家を去らねばならぬ千代に冨田家に居て良い理由を与えようとしている。そういうことだろう。

 盛源が千代のことを平尾丸に紹介している間、然様な思案に耽って千代はぼんやりと平尾丸を見る。

(ほんまに綺麗な御子…)

 盛源を見る平尾丸の横顔の、其の精緻な造作に惚れ惚れした。盛源は先程兄者の隠し子ではないから安心せよとと申したが、この容貌ならば誰も然様なことは疑うまい。立居振舞こそ九郞左衛門郷家を思わせるが、姿形は似ても似つかぬのである。紛うことなき美童である。背は既に五尺151cm近くに達し、生前の九郞左衛門郷家と既に同じくらいある。女子にしては背が高く五尺一寸154cm程ある千代とていずれ遠からず見上げることになろう。さぞ凜々しく逞しい若武者になるに違いない。

(……あれ?)

 何やら胸が高鳴ってきた。千代は九郞左衛門郷家に一目で惚れるような女だ。美男を美男とは思うが殊更に美形を珍重しない。其れなのに胸の高鳴りが止まない。何故か。

(あ、そうか)

 直ぐに解った。矢張り居住まいである。

(殿が其処に坐ったはるんや)

 千代は九郞左衛門を殿と呼んでいた。姿形は似ても似つかぬのにその居住まいは殿そのものである。美形なのに立居振舞が殿そっくりだった。

(前世の行いがええから、生まれかわらはったんかも)

 あろうことか、この類い希なる美童に冴えない小男の面影が重なった。

(どないしょ、どないしょ、どないしょ、どないしょ…)

 あらぬ考えを打ち消そうとするも、胸の高鳴りはどんどん大きくなる。

(どないしょ、どないしょ、どないしょ、どないしょ…)

 不意に盛源の声が聞こえた。

「元服したら、其方は姉上のむこや」

「はい。心得まして御座る」

 平尾丸が頷いた。

(えええええええええっ!)

 平尾丸が諾したことに千代は慌てた。

(こんな子が、こんな子が、こんな子がぁっ!)

 顔から耳まで紅潮するのが解った。

(うち、何考えてるの? そんなん、ないって!)

 養育を恃まれただけなのに、更にあらぬことを思い描いている。

「ほな、姉上。早速やけど、今日から頼むよ」

「は、はいぃっ!!」

 平尾丸に見蕩みとれて素頓狂に喚いてしもうた。


 あの後どういう遣り取りがあったか憶えていない。気付くと先に通り庭に降りた平尾丸が差し出した手を取って下駄を履こうとしていた。そして手を引かれて盛全寺の門を潜って通りを渡り、冨田屋敷に入って家人に見られながら己の住まいに向うている。

(手、手ぇ握ってる…)

 三十路に近い後家が顔を真っ赤にして美童に手を引かれて歩いている。剰りの居た堪れなさに息が詰まる。気を失いそうだ。本当はそんなに離れていない筈なのに平尾丸を先導する川崎鑰之助の背中が遙か遠くに見えてしまう。助けて欲しいが声が出ない。

(この先どうなってしまうん?)

 手を引かれるまま奥に進むと庭先に女中の於瀧がいた。

「あら嬢さんお帰りやす。どないしはったんだすか、赤い顔して」

「あの、その…」

 千代が言い淀んでいると、於瀧は平尾丸と千代を交互に見て何かを察した。

「ははぁ~、そうだっか。へぇ~、そないな…」

 於瀧は意地悪そうに笑うて背を向けた。

「~~~~っ!」

 更に血が上るのが解った。

「えーっ」

 裏の方で男児の声が聞こえた。

「後家様おらんのかよー」

 三段崎兵介だろう。

「煩い。こないな擦り傷で来るなっ!」

 於松の声だ。千代の許には毎日誰かが訪ねてくる。些細な傷を口実に千代に構うて貰おうとする者が後を絶たない。裏を覗くと三段崎兵介と青木七郎三郎がいた。

「あっ、後家様や」

「あっ…」

 二人が千代を見つけた。そして平尾丸に目を留めた。

「おいおい、御院さんの御息女に無礼やろ」

 川崎鑰之助は二人の於松に対する態度を咎めた。

「お、おう…」

 二人は返事しながらも平尾丸に釘付けになっていた。

「其方ら、どないした」

 川崎鑰之助が訊く。

「お、お…」

 青木七郎三郎が口籠もる。

「そ、其奴、何処のもんや」

 三段崎兵介がやっと訊いた。

「ああ、平尾丸や。九郎左様の名跡を継ぐ後家様の許嫁やぞ」

「い、許嫁!」

 川崎鑰之助があっさり答えたのに対し、青木七郎三郎と三段崎兵介と於松は呻くように喚いた。

「~~~~っ!」

 千代は剰りの恥ずかしさに顔を覆ってその場にしゃがみ込んでしもうた。


 酷い目に遭うた。青木七郎三郎と三段崎兵介が何か言いたげながら言葉少く早々辞去したのに対し、於松は日が暮れ始めるまで居坐って、川崎鑰之助と千代と平尾丸に彼や是やと一頻ひとしきり訊ねた。千代は気もそぞろで何を訊ねられたのかさっぱり憶えていない。兎も角恥ずかしかった。

「兄嫁様」

 鑰之助は千代のことを兄嫁様と呼ぶ。

「…………」

「兄嫁様、兄嫁様?」

「は、はいっ!」

 またぼんやりしてしもうた。

「平尾の荷物は此処に置いておきます」

「はい」

「では、これくらいで帰ります」

「えっ…」

 千代は驚いたが、川崎鑰之助が帰るのは当然である。川崎鑰之助は盛源の従者なのだ。盛全寺に住んでいる。

「ええな、兄嫁様と暮らせるとはなぁ」

「うん」

 川崎鑰之助の言葉に平尾丸が頷いた。堪らなく可愛い返事だった。

「此処で、一緒に、暮らす…」

 改めて、平尾丸を見た。本当に美しい子だった。


 川崎鑰之助が帰った後、千代と平尾丸は於瀧が作った夕餉を食う。

「へぇ、御隠居様の御養子に」

「うん」

 於瀧は於松と同じように次々質問し、平尾丸ははきはき答えている。

「実の御父上様はどんな御方ですやろか」

「知らん」

「まさか、何方かの隠し子とかやあらしませんやろな」

「こ、これ、於瀧っ!」

 千代はやっと於瀧を制した。

「そないな不躾な訊き方ありますかいな。無礼ですよ」

「せやかて嬢さん、気になりますやろ。御言葉聞いてみなはれ」

「御言葉?」

「越前訛りがおまへんがな」

「越前訛り」

 云われて見れば平尾丸には越前訛りがなかった。千代と於瀧の言葉に近い。京か近江か摂津か、その辺りの言葉に聞こえる。

「それに、ほれ」

 於瀧が平尾丸をじっと見る。

「…………」

 千代も平尾丸を見たが、直ぐに恥ずかしくなって顔を背けた。於瀧はよくこんな美しい子を恥じ入ることなくじっと見詰められるものだ。

「この御方が御公家なり公方様の御落胤やー云われても、驚かしませんやろ」

「そんな…」

 まさかと思いつつも、然うかも知れないと思うた。少なくとも平尾丸の母親は相当な器量であろう。身分ある人が国一番の美女を探し求めて生ませないと斯様な子は出て来ないと思う。この子の美貌は尋常ではない。

 其れでも於瀧をたしなめねばなるまい。

「御院さんが何も仰有おっしゃらんのやから、仰有らんなりの訳がおありなんやろ。うちらが彼や是やと詮索するもんやない」

「それはそうでしょうけど、わてらが気になるもん、他のもんも気にするでしょう。わてらが詮索せんでも、他の誰かがするんちゃいますか?」

「それもそやろけど、他の人はどうでもええの。うちらがするかせんかや。若様かて、そんな誰も彼もから根掘り葉掘り聞かれるの、お嫌やろ」

「お嫌だすか?」

 於瀧は殊更に平尾丸の方に顔を向けて訊ねた。

「そんな訊き方せぇへんの!」

 於瀧を叱りつけて、この話は終った。


「ほな、わてはお暇しますさかい、お二人とも御機嫌よう」

 夕餉を終え、後始末も終えて於瀧は宵五つ午後八時頃に辞した。於瀧は千代の住まいの直ぐ隣の小屋に住んでおり、毎日これくらいに辞する。翌朝も明六つ午前六時頃に来るだろう。この七年そうやって千代は夜を一人過ごしてきた。だから忘れていた。

(しもた。お身体を拭うて差し上げな)

 困った。於瀧を帰すのではなかった。

 日々の習慣である。千代は何時も於瀧が辞してから身を拭い、口を漱いで、少し本を読んでから寝る。然し今日からは平尾丸がいる。平尾丸の身を拭い、平尾丸がいる此の家で己の身も拭わねばならない。見るし、見られる。

(どどどどうしよう…)

 今からでも於瀧を呼ぼうかと一瞬は考えたが、ふと於瀧に何と云われるかを考えた。

「なに照れてはりますのん。七つの御子やおまへんか、にやにや」

 於瀧は時々意地悪をいう。於瀧だって信じてはおるまいに、面白がって平尾丸を七つ子扱いしそうである。

(於瀧め、態とさっさと帰ったな)

 これは落ち着いて大人びた美童と七年独り身の「とうさん」を二人きりにして面白がっているに違いない。なんと憎たらしい。

 盥に湯を注ぎ、水で埋めて微温湯ぬるまゆを作りながら平尾丸を見る。きちんと綺麗に坐って待っている。灯台のほの明りが浮かび上がらせた横顔は飽くまで端正だ。一分の隙もない。

(やっぱり気後れすんなぁ)

 こんな美しい子が九郞左衛門郷家のように坐っている。九郞左衛門郷家のよう、というのがいけない。こんな美しい子なのに、九郞左衛門郷家を思わせる。

(いやいやいやいやいやっ!)

 二十七の後家が何を考えているのか。聟とは建前に過ぎぬ。盛源は千代に面倒を任せたのだ。飽くまで世話役である。平尾丸の御世話を仕る。ただ其れだけだ。

「お、御身をお拭い差し上げますんで、こっ、此方へ…」

 平尾丸を促した。

「うん」

 やけに可愛い返事が堪えた。

 平尾丸の前に傅いて結び目を解く。

(ふんふん…)

 どう見ても子供ではない。若いは若いがこれで天文二十三年生れはない。

「~~~~」

 千代は理窟を考えた。天文二十三年生れとは、きっと親元を離れた歳なのだ。

 とはいえ千代は今から身を拭う。

(…………)

 九郞左衛門郷家しか知らない千代には少々荷が重い。

(ええぃっ!)

 思い切った。

(うわっ)

 絶対に嘘である。天文二十三年生れのわけがない。若いことは若いのだろうが、十三四歳という見立てすら怪しい。嘘でも建前でも、これで通用すると思うた阿呆は何処の誰だ。千代とて脱俗したわけではない。七年何もなかったからこそである。きっと今の千代は過剰である。仮に何処かの家に奉公することになれば年頃の若様の御世話をすることもあろう。然様な時に腰元女が斯様に周章するものか。御役目として御世話するだろう。

(えい! えいっ!)

 千代は羞恥に耐えて何とか御役目を果たした。先日作ったサボンを用いた。平尾丸はサボンの泡を珍しがっていた。


 終えて先に平尾丸を床に就かせると、千代は於瀧の小屋を訪ねた。平尾丸がいる家で己の身を拭うことにとても耐えられそうになかったからだ。案の定於瀧に嗤われた。

「なーにを照れてはりまんの。御世話するだけでんがな」

「他人事やと思うて!」


 身を拭うた後、離れ家に戻る。

「申し訳御座いません。その……明日からはお側を離れませんので…」

「うん」

 心なしか平尾丸は千代にだけ言葉が少い気がした。

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