一乗谷追憶

後家様編

第一話 後家様

 冨田の屋敷の外庭で左官の次郎兵衛は土鍋をかき混ぜていた。

「そない覗きこんだらいかんざ。毒気、もろうてまいますで」

「えー」

 女は不満げに声を上げた。

 この女は屋敷の主冨田与五郎景政の兄嫁である。七年前に夫冨田九郞左衛門郷家に先立たれて後家になったが実家に帰らず冨田家屋敷の離れ家にすまうている。近隣の人々には器量と奇行で知られ今日も左官の次郎兵衛と毒気が出るような何やら怪しげなものを作ろうとしている。左官の次郎兵衛も見物する紺屋こうやの平次と蒟蒻屋こんにゃくやの孫太も後家が何を作ろうとしているかは判っていない。

 始めに声を掛けられたのは紺屋の平次だった。後家様は灰汁と石灰が欲しいと訪ねて来た。灰汁と石灰は藍の染料を作る為に使うものだ。だから紺屋を訪ねたのである。然し…。

「分けるだけでしたら別に構いはせんのやけども、灰汁も石灰も、危ない物で御座ぇまする。火ぃ掛けりゃ毒気立ちますし、素手で触れりゃ肌ぁただれてまいます。目ぇ入ったら、めしいてしまいますで。そないなもん、御手に触れさすわけにも参りませぬ。いったい何にお使いなさるおつもりで御座ぇまするか」

 後家様の話は聞いても半分も解らなかった。然し平次は後家様を手伝うことにした。後家様の指図に従うて何やら作ろうとしたが巧くいかなかった。平次は悄気る後家様を励まして蒟蒻屋を訪ねた。蒟蒻を固めるのにも灰汁か石灰を使う。蒟蒻屋なら後家様が望む何かが出来るかも知れなかった。然し蒟蒻屋の孫太も巧く出来なかった。平次と孫太は悄気る後家様を励まして左官の次郎兵衛を頼った。左官も石灰に寸莎すさ、糊、砂などを混ぜて漆喰を作る。左官なら後家が望む通りに出来るかも知れなかった。

 次郎兵衛は灰汁の上澄みに石灰を加えた汁に少しづつ油を加えて攪拌する。

「紺屋に蒟蒻屋、いつまで居座る気や」

「言うまでもない。見届けるまでや」

「同じや」

 平次も孫太も用は済んでいる。手が必要な作業でもない。暇なわけでもなし、帰ればいいのに居坐って作業を見守っていた。

 三人ともこの後家様相手でなければこんなに親切ではなかっただろう。後家とはいえ武家の奥方様である。まさか下心を抱こう筈もないが小鳥が囀るような声は耳にするだけで心地よい。何であれ構うていたかった。

 次郎兵衛は後家様の指図の通りに油を注ぎ、暫くかき混ぜた。

 すると…

「おお?」

 平次と孫太が目を見開いて声を上げた。

 油にとろみが生じて叢叢と沸き立ちはじめた。

「やた、やた、はじまった!」

 後家様が歓声をあげる。

「左次さん有り難う! 紺平さん有り難う! 蒟孫さん有り難う!」

 後家様が飛び跳ねて喜んでいる。

 暫くかき混ぜた後、左官の次郎兵衛は指図通り鍋のトロトロを小さな壷に移し替えて盥に張った水に浸した。

「これで一晩おいたら出来上がり!」

 壺を指差し声を張って堂々と宣うた。

「巧う出来ましたやろかの」

「多分!」

 多分なのか。

「やった、やった、やった」

 後家様は小躍りしている。確か二十六七にもなる筈だが恰も十六七の小娘のようないとけなさである。三人とも何を手伝わされたのか未だに判らないが後家様が喜んでいるから其れで良かった。眼福であった。

 パッと振り返った後家様はお日様のように笑う。

「もし明日お暇やったらおいでになって! お礼するから!」

 輝くかんばせで三人を誘うた。

「勿論やて」

「是非とも」

「必ずや」

 三人とも我先と返事した。

「ところで奥方はん」

 漸く平次が切り出す。

「なぁに?」

 後家様は嬉しそうに目を細めて口元を綻ばせている。

「いったい何を拵えておいでやったんでござりましょか」

 三人は肝心なことを未だに知らなかった。

 後家様は綺麗に並んだ白い歯をにっと見せた。

「サボンよ!」

 サボン…?


 サボンとは今でいう石鹸のことである。鉄炮と同じ頃に南蛮より伝来している。我が国では大変高価なもので餘程富裕でないと手にする機会すらない。主に下剤として用いられたが後家様───千代は堺の薬種商人の娘で子供の頃に触れる機会があった。サボンを用いて手を濯いだことがありその気持ち良さが忘れられずいつか自分でもサボンを作りたいと考えていた。奇しくも亡夫冨田九郞左衛門郷家も生前は下剤としてサボンを作ろうと考えており幾度か二人で試作したことがあった。それも九郞左衛門が亡くなって暫く頓挫していたが、ふと今になって発起して試作を再開したのである。


「あとちょっとやったのにね、惜しう御座いましたね」

 亡き夫に向けて呟いた。二人で仕上げられなかったことは残念であるが久しぶりに九郞左衛門を身近に感じられたこともあり千代は嬉しかった。

「この盥、小さかったかな」

 サボンを冷やすために張った水が温い。

「まぁええか、明日には冷えてるやろ」

 水を入れ替えても良いのだが下手に触ると失敗しそうな気がした。完璧ではないかも知れないがそのままにしておこう。九郞左衛門は何事も程々が良いという人だった。九郞左衛門に倣って満足し、明日の試用を楽しみにその日は早く寝た。


 翌日。

 三人が揃ったので千代は壷を開けた。

「やっぱり、ちょっと緩いかな」

 木篦で掬うと、とろりと流れた。

 千代が子供の頃に触れたサボンは蝋のような塊だった。これは軟膏のようである。然し失敗ではない。予想通りである。抑も南蛮渡来のサボンと同じ材料は揃えられない。過去の試作でこうなることはある程度解っていた。要は水と混ぜてからである。

「待っとくんね」

 平次である。木篦のサボンを手の甲に乗せようとした千代を制した。

「灰汁と石灰やざ」

「知ってる」

「知ってるやありましぇん。爛れてまうざ」

「せやから試すんやん」

「試すって、何を」

「サボン」

「サボンて、なんなんで」

「手ぇ濯ぐもん」

「手ぇ?」

 そう云うて千代は再びサボンを手の甲に乗せようとする。

「あーあーあーっ!」

 三人が慌てて制する。

「ほんならうらで試しとくんね」

 平次が腕を差し出す。

「平次、ずるいざ!」

「ほうや! うらの手で試すんやざ!」

 孫太と次郎兵衛も腕を出す。

「えっ、でも…」

 千代は躊躇う。

「奥方はんの玉の肌を爛れさせたらいかんざ!」

うらの汚い手で試されるがええざ!」

 次郎兵衛が木篦を握りサボンを刮ぎ取った。

「あっ、こやつ!」

 平次が抗議する。

「手に塗ったくればええんでしょか」

「う、うん、水で濡らして……」

 千代が驚きながらも指図すると次郎兵衛はサボンを掌で伸ばして水を掬って摺り合わせた。すると泡が立った。

「おおおおおお…」

「なんや、こりゃ」

皀莢さいかちみたいやざ」

 三人は見たことがない泡立ちに驚いている。

「やった、泡や!」

 千代は両手拳を握って喜んだ。 

「大丈夫? ピリピリせぇへん?」

「ぬるぬるして、何やら妙で御座ぇまするの」

 次郎兵衛が一頻り手を泡に塗れさせた後に千代が柄杓で水をかけて泡を流すと次郎兵衛の汚い手がつやつやに輝いていた。

「ほぉ~」

「ほぉ~」

「ほぉ~」

 三人は陽光に照らされて輝く次郎兵衛の手に感心しきりである。

「やった! サボン!」

 千代は恐らく日本で初めて石鹸を作ることに成功した。


 千代の父は尾和四郎左衛門という。堺南荘の貿易商尾和屋の主人である。同名の高祖父初代四郎左衛門が名の知れた豪商で、彼の一休宗純禅師に参禅して祖渓宗臨の号で知られ応仁の乱で焼失した紫野龍宝山大徳寺の再建に尽力して名を高らかしめた。所が尾和屋は宗臨の子の二代四郎左衛門…則ち千代の曾祖父の代で傾き祖父の代には戦禍で店が焼け一度は堺から阿波に退転している。失意の内に亡くなった祖父の跡を嗣いだ父は大層苦労したらしいが阿波国平島荘古津で生まれた千代が七歳になる頃には店を立て直して妻子を堺に呼び戻した。以来尾和屋は初代の威勢には遠く及ばずとも其れなりの商家として地歩を確かにし、見目麗しく生まれた千代は名家の令嬢として皆に愛され程々に不自由なく育った。

 そんな尾和屋にある時一人の男が訪ねてきた。越前住人冨田九郞左衛門郷家である。冨田家は兵法の名家で九郞左衛門はその長子であったが、生来体が弱く早くに兵法を諦めて家督と道統を弟に譲り医方を志していた。尾和屋を訪ねたのは尾和屋が薬種商人だったからである。薬学を学ぶために堺に遊んで縁あって尾和家に辿り着いたのである。四郎左衛門は九郞左衛門に離れ家を宛がうて九郞左衛門の学問を扶けた。九郞左衛門は尾和屋で六年過ごした。

 九郞左衛門は風采の上がらぬ男だった。短身痩躯、肌は浅黒く髭薄く、如何にも貧相な容貌で口が裂けても美男とは云えなかった。兵法の心得もあるにはあったが荒事を好まず人と争うくらいなら頭を下げてしまう。およそ武士らしからぬ男であった。だから人に侮られることが多く褒めるところがあるとすればいつもニコニコしていることくらいなどと云われていた。所があろう事かそんな九郞左衛門に千代は恋をした。

 九郞左衛門が尾和屋を訪ねた時、千代は通り庭にいた。九郞左衛門が張りのない掠れた声で「御免」と呼ばうのを耳にして奉公人より早く「はい」と返事した。ただそれだけのことだった。千代九歳、九郞左衛門二十歳の春である。以来六年間、千代は憚ることなく九郞左衛門に懐いて傍に侍り細々と世話を焼いた。歳が離れていたし何より九郞左衛門の風采である。千代が九郞左衛門に惚れていようなどとは誰も思いも寄らぬ。九郞左衛門すら富家の令嬢が戯れに異邦の客人に構うているだけだと思い込んでいた。然し千代は本気だった。必ず嫁ぐと決めていた。そんなこととは露知らず、父四郎左衛門は千代が十一歳になる頃から幾つか縁談を持ちかけている。勿論千代が請けるわけはなく悉く断った。理由も正直に述べた。然し四郎左衛門は断る口実だとしか思わなかった。些か気儘に育てすぎたと軽く考えていた。

 九郞左衛門が留学を終えて越前の一乗谷に帰った後、四郎左衛門は己の考えが甘かったことを思い知った。九郞左衛門が去ると千代は間を置かず手代二人と腰元女一人を伴って家出した。漸く千代が本気であったことを理解し父は慌てた。

 押し掛けられた九郞左衛門は困った。九郞左衛門は己をよく知っている。とてもそんな柄ではない。千代に惚れていると直截に告げられて、やったと喜べる程お目出度くは出来てはいなかった。目を輝かせて見つめる器量の娘を前にして九郞左衛門は連日言葉を尽くして翻意を促した。曰く、我も木石に非ず、女子に慕われて悪い気はしないし、惚れている、娶って欲しいと望まれて嬉しくないわけがない、況してや其方のような器量の娘である、幸甚の至りである、だが己を知っているつもりである、こんな御日様みたいな娘と釣り合うわけがない、望めば何処にでも嫁ぐことが出来る娘ではないか、器量は勿論、家柄良く、人柄も善く、躾が行き届いていて教養もある、それは我とて憎からず思うが、これだけの娘、どんな男でも深く愛するに決まっている、それが何故に自分なのか、云々。

 それに対して千代は堂々と宣うた。曰く、お前様は跡目を譲られたとはいえ名家のお生まれに御座いまする、一方尾和は少々財があるとはいえ所詮は商家、勿体ないと仰有る道理は御座ない、望めば何処にでも嫁ぐことが出来るのならば、何故お前様に嫁いではならぬのか―。千代は残念ながら器量だけの娘ではなかった。たちが悪かった。

 四郎左衛門は年に三度か四度越前を訪れて千代に堺に帰るよう懇願した。曰く、冨田は名家であり、九郞左衛門様の人柄も申し分ない、冨田にも九郞左衛門様にも何の不満もない、娘を嫁がせることが出来ればそれは名誉なことである。然し越前は些か遠い、年に何度かしか会えぬとは、幾ら何でも酷すぎる、云々。然様に涙ながらに訴えた。こんな調子で千代が翻意するわけはなかった。曰く、父様は御身の幸せの為に娘を側に置いておきたいと申される、然し娘の幸せは越前に御座いまする、冨田様のお側に御座いまする、父様は常々吾子の幸せを願うと仰有るが、吾子の幸せを蔑ろにして御身の満足を得ようとなさっている、父様の嘘吐き、いけず、わからず屋、云々。千代は優しい娘であるが父には容赦がなかった。

 この繰り返しで四年が過ぎ、倒頭四郎左衛門が折れた。娘に嫌われ憎まれるより娘が遠くで幸せに暮らしている方がましだと諦めた。それに千代も十九になる。十九といえば些か薹が立ちすぎた。その器量は衰えるどころか益々輝きを増し会う人会う人を蕩けさせたがその歳になるまで操を通したのである。このまま嫁にもやらず無為に時を過ごして盛りを逸するのは勿体ないと思うた。父親としては娘の望むようにさせてやるしかなかった。

 九郞左衛門は四郎左衛門より諦めが悪かったが翻意した四郎左衛門に押されて断ることが難しくなった。更に弟の冨田五郎右衛門隆家までが嫁取りを奨めはじめた。次第に四面楚歌の様相となり、衆寡敵せず一月ひとつきほど踏ん張ったものの遂には陥落するに至った。後日九郞左衛門は千代にこんなことを云った。

「尾和殿が是非と頭を下げられた時、儂は決まりが悪うて思わず逃げ出した。部屋を出て一息つくと、青い空にぽっかりと雲が浮かんでたよ。このまま蓄電しようかと考えた。然しこの体で牢人できようか、きっと難しかろうと怖じ気づいた。なまじ医方など囓ったばかりに斯様な思案に及ぶ。武士らしからぬ臆病よ。まことに情けなや」

 すると千代はこう述べた。

「お身体の御蔭でお前様が戦さに取られることはないやろし、長くお家をお空けになることもないでしょ? 御身を臆病と仰有いまするが臆病故に此処に留って下さいまする。せやから臆病なお前様が良い。ずっとお側にお仕えしたい」

 その餘りの面映ゆさに九郞左衛門は頭を掻き毟った。九郞左衛門が千代の軍門に降ったのは将にこの時であった。


 然し九郞左衛門は婚礼の後に程なく死んだ。突然死んだ。


 千代は二十歳で後家になった。九郞左衛門が亡くなった時千代は身籠もっていた。閨事はたった三度しかなかったがそれで充分だった。然し九郞左衛門を亡くした悲しみが過ぎて千代は体を傷めた。そして大事な子を流した。医者は二度と子を宿すことはなかろうと述べた。

 千代は床から出られなくなった。病を得たわけではない。いうなれば気落ちである。堺に戻ることも出来ず、何をするでもなく、ずるずると冨田の屋敷に居坐って、九郞左衛門と過ごした家で、ただ起きては泣いて、寝て泣くだけの日々を過ごした。

 この間に冨田の家督と道統は九郞左衛門郷家の長弟五郎右衛門隆家から次弟与五郎政家に移っている。元々五郎右衛門隆家は目が悪く、千代が嫁ぐ頃には殆ど失明していた。故に与五郎に跡目を譲り出家して名を盛源と改め冨田家の菩提寺である盛全寺の住持になった。家督を継いだ与五郎政家は名を景政に改めた。

 盛源と与五郎は度々床に伏せる千代を訪ねたが二人は千代を慰めるでなく励ますでもなく、また疎んじたり苛立つようなこともなく、姉上御加減如何ですか、今日は佳い天気に御座いまするぞ、今朝は寒う御座いましたな、などといった具合、何言か掛けて長居することはなく帰っていった。時折与五郎が萎れた花を摘んで来たが、やがて立花が巧くなり普通の花を持ってくるようになった。

 盛源には亡妻との間に儲けた二女がある。姉は於松、妹は於竹という。於松は千代より十、於竹は十一若い。二人は美しい伯母によく懐いた。九郎左衛門の死後も二人は殆ど毎日のように伯母を訪ねあれやこれやと囂しくし世間話をした。このときばかりは千代も愛想で笑うことがあった。

 堺から連れて来た二人の手代は九郞左衛門との婚礼を終えると直ぐに帰していたが、腰元女の於瀧だけは残って身の回りの世話を続け九郞左衛門が亡くなった後も居残った。於瀧も何も云わずただ千代によく仕えた。千代は何不自由なく過ごすことが出来た。

 春が過ぎ、夏が過ぎ、秋が過ぎて、冬が過ぎ、また春が過ぎる内、千代の胸中で激しく渦巻く思いが徐々に和らいでいった。勿論悲しいことに変わりない。毎日辛い。けれども打ち伏して悶えるような辛さではなくなった。のろのろとでも床から這い出して日中縁側に坐る程度のことは出来るようになった。

 とはいえ茫漠とした穴を覗き込むような寂寥は消えない。冨田屋敷の外では毎日門弟が集まっては兵法を稽古している。暫く見ることがなかった師の美しい兄嫁に門弟どもは色めきだったが千代はその様子を箱の中から覗くような気分で眺めていた。

 そんな頃である。与五郎の妻が男の子を生んだ。産湯を使って間もない赤子を与五郎は真っ先に離れ家の千代に見せに来た。与五郎は嫁取りが遅かった。兄が二人いたし、実は千代に惚れていた。とはいえ兄嫁とどうにかなろうとは考えず近くで見るだけで満足していた。そして気付くと三十を過ぎていた。嫁を取ったのは千代に子を抱かせてやる為だった。何せ九郞左衛門の弟である。どこかしらは兄に似ている。きっと子も九郞左衛門に似るだろう。それが責めてもの慰めにはなるまいか。そう考えた。四年も費やしたが妻は男の子を生んでくれた。千代の御蔭で跡取りが出来た。冨田家も安泰である。そんなことを告げられた。赤子を抱いた千代の目からポロポロと涙が零れた。与五郎は慌てたが、千代は赤子に頬摺りして、ありがとう、ありがとうと云った。

 それからである。千代が姉妹に手を引かれて出歩くようになった。臥せるうちに足腰が相当弱っていたようで、始めはよたよたとしていたが、次第に足取りが確かになった。それに伴い失せていた明るさも戻り、少しづつ笑うようになった。七回忌を迎えて千代は初めて九郞左衛門の墓に手を合わせることが出来た。六年経って漸く九郞左衛門の死を受け容れたのである。もし転生しているなら逢いたいと願うた。

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