第4話*Saki
実体がないんだから重量もないはずなのに、その刃の重さをちゃんと感じる。テクノロジーって怖ぇ。人間の脳も怖ぇ。立体映像の技術を応用したものだと一応の説明はされてるし、頭でもわかってるつもりなのに、目で見て実在が認識できている物体に実際には触れられないという現実に認知がバグる。もう「扱い慣れた」といってもいい武器なのに毎回この違和感を覚えて、でもいつの間にかそれを忘れて、対戦相手にこれを振るうときは本物の凶器を扱う気分になっている。
俺がよく選ぶのは、スティレットふうの細身の剣だ。剣状のものであれば全てそうなのだが、ヒルト部分には実体があって、ちゃんと手でつかむことができる。ブレード部分がその立体映像の技術を応用した高度なホニャララで、目で見ただけなら普通の刀身に見えるし光も反射するのに、さわれない。どういう原理でこんなことができるのかわからないが、大昔のホログラフィーなどとは全く違って、本当に本物の物体にしか見えないのがすごい。しかも、ヒルトだけではなく、その幻のブレード込みの重量を感じるし、相手の身体を斬ったり刺したりすると、刃が肉を切る感触も伝わってくる。相手の身体に刺さった分の刀身はちゃんと見えなくなって、本当に人間の体に刃が刺さっているみたいだ。身体の側も、アンリーシュで刺されるとちゃんと痛いし、体が刃物に傷つけられた実感がある。
「おい、サキ! 何してんだ!」
出番待ちのアリーナの控室で幻の刃を自分の腹に刺したり抜いたりしていると、カラフが血相を変えて飛んできた。
「あー、大丈夫大丈夫。ちゃんとオフにしてるから。ていうか接続したままこんなことするわけないだろ」
「やめろよ、もう……。心臓に悪い」
リーシュ状態のハンドラーは、ゲームの最中いつもこいつでブッ刺されたり叩き斬られたりするバーチャルな怪我に耐えてるわけだから、やはり安全な状態だと頭ではわかっていても、ぎょっとするのだろう。小さな子どもが精巧なナイフのおもちゃで遊んでいたら、たとえそれが切れない状態にしてあったとしても周囲の大人は一瞬驚くはずだ。今のカラフは、そういう気持ちだったのかもしれない。
「何してるんだ? 武器変えるのか?」
「いやー、なんか今更ながら不思議だなあと思って。武器の変更はしない」
今はオフモードになっているので、この刃物もどきで自分を刺そうが相手を斬ろうが誰もその痛みを感じない。ただ、刃物が対象物に刺さる感触は、オフモードにしてあってもヒルトを握る手にしっかり伝わってくる。
「これ、『繋いで』やると本当に痛いだろ? 現実の体には傷ひとつなくても、脳は体が傷ついたって判断してるんだよな?」
復習がてらに訊いてみる。ハウンドの俺より、ハンドラーのカラフのほうが詳しい。
「ホントに今更だな。そうだよ、実際の傷はなくても、脳が、身体が損傷されたと認識して痛みを感知してること自体は現実だからな。人間にとっては脳の知覚したことがすべてだから怪我してるって思い込むし、血が出てるって実感するし、痛い。まったく、誰がこんなの考えたんだか」
体性痛、内臓痛。メルケル細胞。H+受容体。侵害受容性疼痛に、神経障害性疼痛。学校で習った単語が、記憶の底からぼんやりと浮かび上がってくる。座学は退屈だったが意外と覚えているものだ。
「脳が『刺されて大出血している』と認識すれば、実際には傷一つないのにショック症状が出ることもある」
そうそう、本物の方は「循環血液量減少性ショック」ってやつだ。これもうっすらと思い出した。
「確か、アンリーシュのハウンドで、それで死にかけた人いなかった? やっぱりハンドラーの方が対応に慣れてるっぽいな」
「いや。死にかけたのはハンドラーにもいる。結構いるみたいだ」
ふと、上手く使えば完全犯罪ができそうだなんて考える。ちょうどそのタイミングで、まるで俺の心を読んだかのようにカラフが言った。
「もしそれで死んだとして、司法解剖とか行政解剖とかに回されると、俺らの場合は死因としてちゃんと特定されるらしい」
「そんなことまでわかんの? 原因不明の謎のショック死にはならないのか……」
「学校でそう習ったような気がする」
ゲームの開始時刻が近づいている。カラフにとっては我慢大会の始まりだ。カラフがあまり頑張らなくてもいいように、短時間で勝てればいいけど。
「今日、相手は犬舎の奴だろ」
今日は特にこちらから申請したわけでも相手から申し込まれたわけでもないので、対戦相手を知ったのは六時間前。一応データは確認したが、特に対策が必要そうな相手ではない。
「セレステ・ケンネルだな。あそこのスターハウンドには固定ファンが多くて、勝つと恨まれる」
犬舎のことについては、意外とハンドラーのほうが詳しい。そもそも対戦の申請関連はハンドラーが行うし、戦略を練るのも普通はハンドラーなので、ハウンドは自分の周囲の狭い範囲以外については疎いことが多い。
「えー、理不尽。今日の相手は? ファン多めだったり?」
「いや、何かイロモノっぽいぞ。通称『マッド・ハッター』だってよ」
「あ? 何だそれ。変な帽子被って登場か?」
電飾でピカピカの帽子や、非常識なデザインやサイズの帽子などを思い浮かべてげんなりする。
「いや、『マッド・ハッター』ってあれだろ、『不思議の国のアリス』?」
「ああ、そっちね。それにしても、何で犬舎の奴らって二つ名みたいなのを付けたがるんだよ。エクランの宝石のやつとか」
「俺に聞いても知らねえよ」
まあ、いくらハンドラーでもそこまで詳しくはないか。そういえば俺もエクラン・ケンネルのスカウトに声を掛けられたことがある。何だかねっとりした視線でジロジロと見られて、薄気味悪かった。息がかかるほど顔を近づけて俺の目を覗き込んできたスカウトに、「もし君がうんと強くなれば、エムロードかな」とか言われたっけ……。多かれ少なかれ、犬舎はどこも芝居がかっててウンザリだ。まあ、それで上手く話題作りして収益につなげたり、ファンのことも楽しませたりしてるわけで、商売上手であることは間違いないのだが。
「ま、勝利一択でしょ。負けるなんて選択ないし」
「お前、いつも言葉だけは威勢いいんだよなあ」
カラフが笑う。気負いなく、平常心を保っているように見える。うん。今日もイケそうだ。
「あ。『アリス』つながりでこっちもコスプレする?」
「今からじゃ間に合わないだろ」
「いや、あの帽子屋のお茶会って兎が出てくるだろ? ウサミミ着けるぐらいなら間に合うじゃん」
ゴミを見るような目つきでカラフが俺を見て、盛大にため息をつく。
「やめろ。気持ち悪すぎて俺がダメージ食らうわ」
「じゃあ、アリスとか。青いワンピースでも借りて」
「ルイス・キャロルの墓前で一〇〇回土下座してこい」
元々知り合い同士だった俺たちが、いつだったか、ほとんどその場のノリで適合率を調べてみると、何と七三%という嘘みたいな数値が出た。友人同士数人で遊びに行った帰り、食後アルコールも入って程よく出来上がった状態だったこともあり、そのままの勢いでペアリングと相成った。人によっては、登録のためにカラーを着ける行為がまるで神聖な誓いの儀式みたいに感じられるというが、俺たちは周りからはやし立てられながら、ゲラゲラ笑いながらの登録で、厳かさなど欠片もなかったのを覚えている。毎回大金を賭けてやるから絶対に負けるなだの、お前らそのまま結婚しろだの、賞金王になって俺らの老後を養ってくれだの、リゾートホテルを建てろだの、猫大好きだの、わいわいと陽気で無責任な言葉が飛び交う中で、気の置けない、しかも酒のせいでいい感じに盛り上がった仲間に囲まれての契約成立だった。
最初で適合率が七割越えというのはかなり珍しい。身近なところで知っているのは、自分たち以外には一組しかない。あっちは八割近かったらしいから更にすごい。ともあれ、初めから運よく高適合率のハンドラーと組めたこともあって、俺たちの戦績はかなり良いほうだと言える。勝率にして七割弱。犬舎の有名ハウンドにも引けを取らないと自負している。マスター、つまり俺のハンドラーになったカラフがまた負けず嫌いな性格で、一般的なハンドラーなら疾うに降伏宣言を出しそうな状況でも結構粘るのだ。「バーチャル満身創痍」みたいな状態でも、俺に飛んでくるのは泣き言でも恨み節でもなくひたすら攻撃の指示で、あまりの痛々しさを見かねて俺から降伏宣言を出したこともあった。降伏宣言は原則としてハンドラーが出すものだが、状況に応じてハウンドが宣言することもできる。俺としてはカラフの身体がもたないと判断しての宣言だったのに、後で殴られた。バーチャルではなく、リアルに。しかもグーパンで。
カラフは、黙っていれば有名犬舎のスターハウンドに勝るとも劣らない美貌の持ち主だ。なのに顔からは想像できないほど気性が荒い。結構、口も悪い。喧嘩っ早いうえに手も足も出る。そして、とにかく顔に言及されるとキレる。たとえそれが誉め言葉であっても。カラフに、「綺麗な顔だね」「イケメンじゃん」など声をかけた相手は、まさかそのコンマ数秒後に自分の顔面が鉄拳制裁を食らうなど思ってもみなかっただろう。すでに有名になっているので、今ではカラフの顔について口にする者は誰もいない。あと、「王子」という綽名も好きではないらしい。この綽名は別にカラフが(口さえ開かなければ)王子様然としているから、というわけではなく、彼の名前が有名なオペラに登場する王子と同じだからだ。
「アリス、駄目かぁ」
「お前、女装したいタイプだっけ?」
「別に。あ、でも、お金くれるなら何でも着る!」
「最低だな」
「最低チガウ。王子、オカネ、ダイジヨ」
「何で片言なんだよ。ていうか、王子って言うな」
うっかり王子呼ばわりしてしまって一瞬身構えたが、神業みたいな鋭い拳は飛んでこない。今日は機嫌が良いらしい。まあ、今から対戦するってときに自分のハウンドをぶちのめすなんてことは、さすがのカラフもしないだろうけど。
いつもどおりに軽口をたたきあっていると、いつの間にか対戦開始時刻の三〇分前になっていた。そろそろ準備するか。絶妙な硬さのソファから立ち上がり、伸びついでに入念にストレッチしておく。武具と防具を点検し、カラーを装着して、いつでもカラフと「ログイン」できるように調えて控室を出た。
通路を曲がると、対戦を終えて入れ違いに控室に戻ってくるハウンドたちが見えた。三時からのゲームだったらしい。もう五時半になろうとしている今、ようやく戻ってきたのだ。実は対戦自体が数分で決着したとしても、その後に意外と時間を取られる。ハンドラーの身体状態を平常に回復させる、通称「トリートメント」。対戦終了後のハウンドとハンドラー両者に義務付けられている検査、通称「メンテナンス」。場合によっては医療的処置。所定の書類への入力と提出。取材や撮影が控えているペアもいる。この時間にようやく控室に戻ってきたということは、彼らも取材や撮影に応じていたのかもしれない。背の高い女性と、彼女より頭二つ分ほど背の低い幼い顔立ちの少年。知らない顔だ。雰囲気から察するに、勝ったのだろう。何となく眺めていると、女性のほうと目が合ってしまった。
「お疲れ」
とりあえず、声をかけておく。カラフも、女性と少年に軽く黙礼した。
「は、はいっ、ありがとうございます! あのっ、頑張ってください! 応援してます! では!!」
すれ違うほんの一瞬の間に早口言葉まがいにまくしたてて、女性が勢いよく頭を下げる。心当たりはないが、向こうは俺たちを知っているのかもしれない。連れの少年のほうは逆に一言も発さず、すれ違いざまに目をこちらにむけたままペコリと頭を下げていった。カラーを着けているから、彼のほうがハウンドだ。
「知ってる?」
妙なテンションの女性と少し棘を含んだようにも見える物憂げな少年のペアが控室のほうに向かうのを見送りつつ、カラフに訊いてみる。
「いや。向こうは知ってる感じだったけど」
「あんたのファンかもよ」
「何でだよ。ハウンドでもないのに」
アリーナで実際に対戦相手と戦うハウンドには、ファンがついていることも多い。会場の観客は闘技場を取り囲む客席からハウンドの戦闘を観戦するし、配信用のカメラも闘技場をメインに撮影するので、ハウンドのほうがダントツに人目にさらされる。それだけ多くの人に見られている。顔が認知されている確率が高いのだ。一方のハンドラーは、ハウンドの対戦中は闘技場の外側にある専用ブースに居るので、あまり人目にもカメラの目にも触れない。「ゲーム」ファンであっても、ハウンドの顔は知っているのにハンドラーについては名前しか知らないという人がいるくらいだ。ただ、撮影のカメラはブース内にもあって、運営の判断でハンドラーが長々と映されることもある。数は少ないがいわゆる「有名ハンドラー」もいて――もっとも彼らは「ゲーム」絡みで有名になったというより、本職のほうで著名な人物であることが多いのだが――最近はコメディアンハンドラーと、料理家ハンドラーが話題になっていた。
とはいえ、有名人は大抵ハウンドのほうで、犬舎などは所属ハウンドのアピールに余念がない。ファンとの交流イベントを開催したり、需要があるのか不思議なのだが毎年(未だに紙媒体でも)カレンダーを出したりしている。犬舎はハウンドの肖像権なども管理下に置いているので、そういうことができるのだ。写真集を出したハウンドもいた。今どきそんなものが売れるのかと思ったら、重版がかかるほど売れていた。テレビや配信動画の企画にゲストとして参加したり、ゲームとは直接は関係ないスポーツイベントに出てみたり、有名犬舎のスターハウンドともなれば、もうほとんど芸能人の域だ。そんなハウンドの活用方法は犬舎によって方針が異なるようで、何人ものスターハウンドに病院を慰問させたり、高齢者施設で手伝いをさせたりして、「社会問題にも積極的に関わろうとする意識高い系犬舎です」アピールがすごいところもある。そこは、所属ハウンドが児童養護施設で子どもと交流しているところや、NPO団体の主催しているゴミ拾いイベントに参加しているところを撮影して、宣伝にも使っている。誰が見ても犬舎の下心が見え透いているのに、意外と社会的な悪評は立たない。「しない善よりする偽善」ではないが、どんな魂胆があるにせよ、実際に助かっている人がいるならまあいいということか。
一方、犬舎のハウンドとペアリングしているハンドラーは、ハウンドとは違って犬舎に正規雇用されている状態ではない。ただ、犬舎にいろいろと融通してもらえるし、ハウンドと一緒にイベントに出ればその分の給与も出るし、ゲームで得た賞金の分配については契約も結んでいるので、非常勤従業員や契約社員的な側面がある。たとえばエクラン・ケンネルなどは、観客受けを狙ってハンドラーもうまく使っている。もし、カラフが犬舎のスターハウンドのハンドラーなら、その犬舎の収益増大のためにさぞかし「活用」されることだろう。
「あんたほどの――」
顔なら、と思わず言いかけて、慌てて口をつぐむ。カラフほどの美貌なら、ハンドラーだとしても目立つはずだ。ハウンドよりも圧倒的に「映らない」からこそ余計に、チラリとカメラに捕らえられた一瞬が観衆の印象に残るのではないか。何もカラフが顔だけの存在だと言いたいわけじゃない。でも、人というのは最初に相手の顔を見てある程度の判断をするものだ。カラフの場合、まずはその顔で人の目を引く。そこから興味を持って注目してみれば、観客は、並み居るハンドラーを寄せ付けないカラフの忍耐強さや胆力に気づくはずだ。ハウンド捌きの巧妙さ、陽性な為人にも好感を抱くだろう。負けたときでさえ清々しい。ペアの俺が言うのも気恥ずかしいが、こいつにはスター性があると思う。
「何」
「いやあ、あんたならハンドラーでもファンがついてておかしくないかな、って」
「何で?」
「あー、そのー、カッコいいから?」
「疑問形じゃねえか」
「言葉、荒イ、ダメ。オンナノコ、コワガル」
「だから何で片言になんだよ」
雑談しながら「ログイン」を済ませる。今からは、この特殊武具が俺の体を傷つければカラフがその痛みを肩代わりするのだ。「マッド・ハッター」とやらがどういう戦法に出てくるのかはわからないが、とにかくできるだけ斬られも刺されもしないように、上手く立ち回ってやる。
「俺は、さっきの女性はお前のファンなんじゃないかと思うけどな」
ログイン後も緩い雑談が続く。まったく、緊張感のかけらもない。
「どうしてそう思う?」
「さっきから俺の顔について何か言いたいみたいだけど、お前の顔こそ少女漫画じゃないか」
「どこが」
「え? うーん……睫毛が長い」
「今、理由を探したな」
「けどお前、エクランからスカウトもされてただろ? あの顔面偏差値最強犬舎に」
「じゃあ、いっそのこと今から二人してエクラン・ケンネルの世話になろうか」
だらだらと話し続けているうちに、闘技場内の照明が灯され、カウントダウンのコールが始まった。カラフが、ブース内の専用チェアに座るのを確認してから、闘技場の西のエントランスに向かう。ほぼ正円の闘技場を挟んで正面に見える東のエントランス、あそこの人影が「マッド・ハッター」なのだろう。
「調子は?」
カラーを通じてカラフの声が聞こえる。
「万全。勝つよ」
「頼んだ」
東のエントランスの人影がゲートをくぐって向かってくる。俺も西エントランスから闘技場へ踏み出した。
*
ハウンド同士、お互いに闘技場の中央に進み、武具を脇に控えて一礼。観客席に向けて、もう一礼。名前から想像していたのとは違って、「マッド・ハッター」は妙な帽子も被っていなかったし、『アリス』関連のコスプレをしているわけでもなかった。その剣呑な目つきに、もしかすると「マッド」が本質で、注意が必要なのかもしれないと緊張する。はたして、電子音が対戦開始の合図を告げた瞬間にマッド・ハッターが鋭く斬り込んできた。嘘だろ、速い。一瞬、剣筋を見失いそうになる。
「気に入らねえな」
寸でのところで切っ先を躱したとき、妙に甲高い耳障りな声がした。金属的とでもいうのか、何となく不安感を煽るような声だ。
「避けるなよ。切り刻まれろ」
睨みつけてくる敵意剝き出しの視線が怖い。恨みと怒りに満ちた表情は、ホラー映画もかくやというほどの迫力だ。今までにいろいろな相手と対戦してきたが、こいつはちょっと違う。面識もないただの対戦相手に、どうしてこれほどの憎悪を向けられるのか。やっぱり「マッド」なタイプということか? 帽子は関係なかったのかよ――。
続く二手、三手を躱すのに精いっぱいで、こちらからはまだ一撃も振るえていない。マッド野郎はすばしっこく不規則な動きで俺の攻撃を右へ左へと誘導しつつ、思いもよらない角度から剣を突き込んでくる。剣というより、尖った棒だ。レイピアとも違う、アイスピックを巨大化したような、千枚通しを武器に仕立て上げたような形状の凶器だ。油断していたかもしれない。先入観から、相手を見くびっていなかったか? 驕りがなかったか? ここしばらく勝率を上げていたせいで、今回も当然勝てるものだと楽観しすぎていたのではないか?
「集中しろ!」
カラフの声が飛んできて、我に返る。
自惚れていた自分を反省したそのほんの一瞬、相手の剣先から意識が逸れたその一瞬の隙を衝かれた。
鳩尾から斜め下へ、千枚通しみたいな凶器に深々と腹部を刺された感触。
俺に痛みはないが、かなり深く刺されているはずだ。カラフの息遣いが乱れる。慌てて離れようとしたがマッドは逆に間合いを詰めてきて、剣――あれを「剣」と呼ぶのかどうかはわからないが――のヒルトを下方向に動かした。俺に刺さったままの凶器が、押し下げられた角度の分だけ体内で撥ね上がる。これが物理的に本物の武器なら、内臓を大きく損傷するような動きだ。滅多に声など上げないカラフが呻くのが聞こえた。不味い。これ、結構なダメージなんじゃないか――。
「馬鹿! サキ! 前見ろ、前!!」
とにかく対戦相手のことだけを見て、余計なことは考えない――わかっているつもりなのに、カラフが気になってどうしても集中できない。ようやく間合いを取ってこちらも剣を構え直そうとしたタイミングで、今度は喉を狙った一撃が襲ってきた。何とか両手を交差して、腕に付けた防具で鋭利な切っ先を受け止める。
「俺のことは考えるなよ。お前が気を遣ってくれるほど、こっちは困るんだからな」
「ごめん。痛い?」
「当たり前だろ。死にそうだ。今の、さすがにキツい」
いつもとは違って不規則な呼吸に遮られながらの返答だったが、カラフの声は少し笑っているようにも聞こえる。
「でもまだまだイケる。こっちは気にすんな」
「了解」
そうだ。気を散らすな。カラフなら大丈夫だ。――大丈夫だ。
確かに驕りがあったと思う。自分を過大評価していた――というより、相手を過小評価していた。犬舎のハウンドでも、「スター」と呼ばれるほどではない奴だからと、見くびっていたことは否めない。二つ名を笑いのネタにまでして、相手への敬意を欠いていた。大いに反省すべきだ。「マッド・ハッター」は強い。小柄な体格を生かした細かく素早い動き。俗に「反射神経が良い」といわれるタイプなのだろう、反応速度がとにかく早い。フェイントでこちらの防御を誘ったうえでの思いがけない角度からの突き。刺すことをメインに構成された、緩急のついた攻撃。巧みな武器捌き。動きの途中でも体勢を変えて急所を狙ってくる柔軟な体。ブレない体幹。ハンドラーとの連携も上手くいっているらしい。マッドの目も良さそうだが、恐らく俺の動きの癖などはハンドラーが把握して、マッドに攻撃のポイントを指示しているのだろう。何とか致命的な攻撃は防いでいるが、久々に何度も刺される羽目になった。数分の出来事のはずなのに、もう何十分も襲われっぱなしであるかのように感じる。
それでも何度か斬り込まれるうちに、腕の上げ方や足の踏み込み方、そして視線の動きから、マッドの剣筋が読めるようになってきた。まだ防戦一方ではあるが、防ぎながらも相手の隙を伺うだけの冷静さを少しずつ取り戻す。何故か本気の殺意をぶつけてくるマッド・ハッターは、どうやらあのレイピアともロッドとも言い難いアイスピックみたいな武器を巧みに操りはするが、手や足は使わないようだ。今までに何度も蹴りや突きを食らいそうな瞬間があったのに、そういう接触はしてこない。手足は使わない主義なのか、使えないのか、それとも不意打ちで使うつもりなのか。憶測は危険だが、観察を続ける暇も熟考する余裕もない。ここは、賭けに出てみるか――。
闇賭博の決闘とは違って、この正規の闘技場では、その一撃で相手に大きなダメージを――重傷を与えうる物理的暴力は制限されている。簡単に言えば、殴る蹴るには限度が設けられている。ここで行われる「対戦」とは、あくまでこの高度な科学技術を間違った方向に活かした武器で戦うことだからだ。ただし、殴り殺す、蹴り殺すみたいな暴力でなければ、多少は手足を使ってもいい。心拍や血圧、筋肉の緊張具合、角度や速度や生体電位などを総合した事前検知によって、肉体的物理攻撃が限度を超えそうなときは、警報音とともに体の動きが強制的に抑制される(やっぱりテクノロジーって怖ぇ)。つまり、システムが正常に機能している限りは闘技場で肉弾戦の殺し合いになることはない。ハウンドは、いわば「安心して」手足を使えるというわけだ。なお、強制制御されるとその後数十秒は身体が上手く動かせないので、場合によってはその間に切り刻まれることになる。
おそらく、マッド・ハッターは手足を使うことを戦法に取り入れていない。判断材料があやふやすぎて我ながら呆れるが、もう迷っている時間がない。最初に食らった一撃が不味かった。その後も押され気味で、いくらカラフでも今日はもう限界だろう。マッドが手足を使うこと、使われることを考えに入れていないものと仮定して、斬り合いになったら不意打ちで体勢を崩してやる。間合いを計りながら何度か斬撃を凌ぎ、あくまで斬り合いに徹するふうを装う。
「上から来るぞ!」
カラフの声。大きく振り上げられたアイスピックもどきを受けると見せかけておいてから姿勢を低くし、俺はマッドの体を掬い上げて投げ飛ばした。フジワラさんに教えてもらった「ジュードー」の「トモエナゲ」とまではいかなかったが、俺に投げられてマッドが大きく体勢を崩す。
「卑怯者!」
やはり手足を使うなど考えていなかったのか、マッドは暫し呆然とした表情を浮かべ、次いで吐き捨てるように叫んだ。卑怯なもんか。ルールの範囲内だからな。咄嗟に振り向いて立ち上がろうとしたマッドの足を、今度は横に払って転倒させる。マッドがほんの一瞬うつぶせの状態になったのを逃さず、その背中を足で踏んで、延髄めがけて剣を突き下ろした。獲物を仕留めた充足感。同時に、物理的実体がないものだとはいえ、仮にも人体に凶器を振るっているというのに、初めのころに抱いていた恐怖感や忌避感をほとんど失っている自分にぞっとする。人の首に剣を突き立てる、こんな行為に抵抗がなくなっているなんて――。
もちろん、マッドが俺の逡巡に気づこうはずはなく、彼は刺されても自分では痛みを感じないハウンドならではの反応で体勢を立て直してきた。怖い。純粋にそう思った。首を刺し貫かれても起き上がってくる人体に、本能的な恐怖を感じる。何度刺しても斬っても立ち向かってくる人の形をしたものなんて、ホラー映画のゾンビか何かみたいじゃないか。――俺も、相手からは同じように思われているのだろうが。
「また気が散ってるぞ! もう少しだから集中しろ!」
カラフに怒鳴られる。
「今だ。行け!」
その瞬間、今まで意識していなかった会場のすべての音声が一挙に耳に押し寄せてきた。
観衆の歓声、喚声。俺たちを応援してくれる声、マッド・ハッター側に大金を賭けている奴らの声。撮影用ドローンの飛行音。遠くでかすかに実況の声。観客席内を移動しながら警備にあたっている職員の、聞こえるはずもない会話。これも、遠くて聞こえるはずがない、飲食物を販売している売り子の声。マッドの息遣い。地上のカメラが対象物を追う機械音。アリーナの上空を通過していった飛行機の音。風。
「……おい、サキ?」
すべての事象を把握できているかのような全能感。体が軽い。周囲のものの動きが遅いように感じる。目に映る光景はやけに鮮やかで輪郭が際立ち、遠くの音までよく聞こえる。
「大丈夫か? どうした、お前――」
マッドの次の動きが手に取るようにわかる。右手を外側に払うように。次はその腕を上に振り上げ、垂直に下ろすと見せかけて鋭角に。俺の側頭部を狙っている。避ける。次は返す手で肩口から首にかけて斬りつけてくるつもりだ。これも避けて、逆手に持ち替えられた凶器の突きからも余裕で逃れる。一旦離れるマッド・ハッター。次は左から踏み込んでくる――。
自然と体が動いた。全ての斬撃を躱し、防ぎ、何故か周囲から浮き上がるかのように鮮明に見えるマッド・ハッターの無防備になった部分を狙って薙ぐ。払う。刺す。考えずとも、まるでそこを斬ることが予め決まっていたかのように剣が吸い込まれていく感覚。マッド側に賭けている観客の声は、ブーイングから悲鳴に変わっている。落ちくぼんだ目をぎらつかせ、幽霊みたいな顔をして何度も立ち向かってくるマッド・ハッター。何がそんなに憎いんだ? 俺、お前に恨まれるようなことした覚えないのにな。何も考えずにただ動かしているだけの腕が、確実にマッドの身体を傷つけていく。
「待て! やめろ!」
カラフの声に、我に返った。今日、二度目だ。改めてマッド・ハッターを見る。いつの間にそんなにボロボロになってんだ。俺がやったんだろうけど、実感がない。アンリーシュにさえしなければ、ハウンドはこの武器での痛みは感じない。ただ、今回は転倒させたり踏みつけたりもしたので、いつもよりはハウンドも疲弊しているように見える。それより、マッドのハンドラーだ。後半、俺はかなり容赦なくマッドを傷つけたと思う。しかも、間を置かずに何度も。ハンドラーの状態如何によっては、医療的処置が必要になるかもしれない。
「イーストサイドの降伏宣言を受理――勝者ウエストサイド」
西エントランスからの入場だった俺たちの勝ちを告げる機械音声が流れ、マッド・ハッターが武具を外して片膝を付く。俺は、マッドのカラーを外して持ち、まだ少し現実味のない不思議な感覚のまま姿勢を正して、ルールどおりに右手を上げて勝利を示した。
何とか勝ちはしたものの、前半は攻め込まれて防戦一方だった。いや、防ぎきれずにかなり斬られたし刺された。何より最初の一撃が強烈だった。マッド・ハッターと観客にそれぞれ一礼して、カラフのもとに急ぐ。今しがたまで感じていた浮遊感のようなものはすっかり消え去っていた。自分の足が廊下を走っている現実を、しっかりと自覚する。ブースに踏み込むと、まだチェアに埋もれているプラチナブロンドが見えた。
「生きてるか? カラフ」
「五回ぐらい死んだ」
「――ごめんな」
鎮静剤を吸入しているカラフを久しぶりに見た。額にはまだ汗がにじんでいる。痛みに耐えようとして自分の手で強く握りでもしたのか、腕に爪の食い込んだ痕がいくつも見える。外したカラーをカラフに渡してから、俺は頭を下げて詫びた。カラフにこれほどのダメージを与えてしまったなんて。
「正直、舐めてた。ホントごめん」
「いや、俺も甘く見てた。だって名前がアレなんだもんなぁ」
「アリスとか言ってる場合じゃなかったよな。ウサミミやめて正解だったわ」
「今日は反省会だな」
少し笑って、カラフが吸入器を外す。ようやく落ち着いてきたようだが、チェアから立とうとして再び座り込んだところを見るに、まだ体が辛いらしい。
「油断してた分、最初がヤバかった。何だよあれ、刺したまま動かすとか。マジで泣いたし」
「ごめんとしか言えねえ」
「謝んなよ。別にお前のせいじゃない」
「いや……俺のせいだろ」
痛みこそ感じないものの、内臓をぐちゃぐちゃに切り裂かれるような感じは俺にもわかった。あれが痛みを伴っているとしたら――地獄だ。拷問なんてレベルじゃないはずだ。俺がハンドラーなら間違いなく即その場で降伏宣言を出す。たとえ対戦開始後一〇秒だったとしても。
「そういうの、ナシにしようって決めただろ。お前のせいでもないし、俺のせいでもない。勝負は時の運。な?」
「気、遣ってくれてる?」
「違うって。それに後半は凄かったじゃないか。まさか踏みつけて首を狙うなんてな。処刑みたいでちょっとビビった」
「いや、あれは――自分でも後味悪かった。延髄を刺すって、あんなのもう人殺しの動作だ」
そうだ。人を踏みつけて、物理的実体がないとはいえ、その後ろ首に剣を突き刺した。あのときの自己嫌悪が不意に蘇ってきて、胃のあたりが重くなる。越えてはならない一線を越えてしまったのかもしれないという恐怖。焦燥。自分の倫理観がまだ人並であることを確かめたい。誰かに大丈夫だと保証してもらいたい。
「あれで降伏宣言が出ると思ったんだけどなぁ。あっちのハンドラーも相当イカれてる」
俺の胸中など知る由もないカラフは、ハンドラーのほうを気にしている。当然だよな。あれに耐えたうえで、更にハウンドに猛攻をしかけさせるなんて、同業者としては気になるだろう。名前は――何だっけ。事前にデータを確認したはずなのに、名前どころか性別すらよく覚えていない。やはり驕っていたのだ。もっと謙虚に、真摯になるべきだった。
カラフの復調を待つ間、さっきまでの対戦の続きを反芻する。あの突然の全能感。何もかもが見通せるような、すべてが意のままになるような感覚。自分を俯瞰している自分がいるようにも感じた。確実に相手を傷つける手ごたえを認識している一方で感じていた現実味のなさ。スポーツ選手が言うところの「ゾーンに入った」というやつなのか? あれが? そうではないような気がする。心の奥底には戸惑いや、恐怖に似た感覚が微かにあった。自分が自分でなくなるような、誰かに体を操られているような。自分の行為のすべてを、制止できないところからただ眺めているかのような――。
「頼む、今それやめてくれ。頭では『ログアウト』してるってわかってても、見たくねえ」
「あ、悪い」
無意識に、俺はまたスティレット状の武具で自分をつついていたらしい。カラフの表情が強張っている。本当に今日は迷惑をかけてばかりだ。まだこれから「メンテナンス」と書類提出が控えている。いつもはカラフ任せだが、今日は俺が代わりに事務手続きを済ませよう。それからちょっと美味しいものでも買って、今日は帰ったら慰労会兼反省会だ。俺は武具を所定の位置に戻し、カラフが立ち上がるのに手を貸した。
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