第8話 来るまでの時間

朝の病室は、相変わらず淡々としていた。

検温、回診、簡単な問診。

予定された動きが、滞りなく進んでいく。


恒一は、それを受けながら時計を見ていた。


まだ、早い。


澪が来るのは、昼を少し過ぎた頃。

もう分かっている。

毎日、ほとんど同じ時間だ。


それに気づいた時、 自分でも少し驚いた。


「……暇だな」


小さく呟いて、スマートフォンに視線を落とす。

通知は、ない。

仕事からの連絡も、今日は来ていなかった。


それでいい、と思った。

本来、休んでいる身だ。

連絡が来ないのは、健全な状態だ。


なのに。


「……まだか」


無意識に、また時計を見る。


窓の外は、いつもと同じ風景だ。

救急車のサイレン、遠くを走る車の音。

世界は、変わらず動いている。


自分だけが、少し立ち止まっている。


以前なら、 この時間は何も感じなかった。 一人でいることに、慣れていた。

誰かを待つという発想自体、ほとんどなかった。


待つというのは、 期待するということだ。

期待は、余計な感情を生む。 裏切られれば、落ち込む。

来なければ、理由を考えてしまう。 だから、必要なかった。 ――はずだった。


ベッドの横に置かれた椅子を見る。

昨日、澪が座っていた場所。


「……来るって、言ってたよな」


確認でも約束でもない、 当たり前のような一言。


それを、信じている自分がいる。


不意に、胸の奥がくすぐったくなる。落ち着かない。


「何やってるんだか、俺は」


自嘲気味に息を吐く。 怪我をしたのは、自分だ。 助けたのも、自分の判断だ。

それなのに、 気遣われて、心配されて、 毎日ここに来てもらっている。


申し訳なさは、確かにある。

でも、それ以上に――


静かでまるで時間が止まっているような病室が、 彼女が来ると、

あっという間に時間が進むようになる。 沈黙が、空白じゃなくなる。


時計の針が、少し進む。 ノックの音は、まだしない。

それでも、 さっきより、待つことが苦じゃなかった。


来るまでの時間を、 無駄だと思わなくなっている。

それが、少しだけ怖くて、 同時に、悪くないとも思っていた。


「……まあ」


恒一は、天井を見上げる。


「来なかったら、その時だ」


そう言い聞かせるように呟いて、 もう一度、時計を見る。

昼を、少し過ぎた頃。 病室の外から、 聞き慣れた足音が近づいてくる気がした。

恒一は、 気づかないふりをして、 ほんの少しだけ、息を整えた。

――待つ、という行為が、 こんなにも静かに心を動かすものだとは、

今まで知らなかった。

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推しじゃない君を、好きになるまで ごろりん @Golorin

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