第4話 頼られる声、心配される距離
四日目の朝は、少しだけ慌ただしかった。
看護師の回診が早く、検温やら点滴の確認やらで、病室の出入りが多い。
その合間を縫うように、恒一はベッドの上でノートパソコンを開いていた。
事故に合ったのに、壊れていなかったのは不幸中の幸いだ。
会社から預かっていた業務用の資料を、念のため見返している。
――ピロン。
通知音。
画面に表示されたのは、職場の番号だった。
「……はい、相馬です」
『悪い、入院中なのは分かってるんだけどさ』
電話口の声は、同じ部署の先輩だった。
『相馬が進めてた案件の資料で、どうしてもわかんないところがあって……』
「ああ……それ、少し分かりにくいんですけど…」
恒一は、言葉を選びながら説明する。
無意識に、仕事用の声に切り替わっていた。
『なるほど。そういうことか、助かる』
「いえ。あと、確認なんですけど――」
話している途中で、病室のドアが静かに開いた。
「……あ」
澪だった。
コンビニ袋を片手に、入っていいのか迷うように立ち止まる。
恒一は、片手でスマートフォンを耳から離し、小さく口を動かした。
「……すみません、今、電話で、どうぞ入ってください」
澪はうなずいて、音を立てないように椅子に座る。
『相馬? 誰か来た?』
「いえ、大丈夫です。続けますね」
数分ほど、やり取りが続いた。
資料の場所、手順、注意点。 説明しているうちに、体よりも頭のほうが疲れてくる。
『ありがとう。本当に助かった』
「いえ……お大事に、じゃなくて……」
言い間違えに気づき、少しだけ間が空いた。
『はは。俺が言えた立場じゃないけどゆっくり休めよ』
「ありがとうございます」
通話が切れる。
スマートフォンを置いた瞬間、どっと力が抜けた。
「……お仕事、大変そうですね」
澪が、遠慮がちに言った。
「いえ、聞かれただけなので」
「頼りにされてるんですね」
その言葉に、恒一は少しだけ戸惑った。
「どうでしょう。ただ、詳しいだけですよ」
澪は、コンビニ袋からペットボトルを取り出し、テーブルに置く。
「でも、入院中なのに電話が来るって……」
そこで言葉を切り、視線を上げた。
「無理、してませんか?」
真正面からの問いだった。
「体も、ですけど……精神的にも」
一瞬、答えに詰まる。
頼りにされている。 必要とされている。
それは、悪い気はしない。
でも同時に、 切り替えきれない自分がいることも、確かだった。
「……大丈夫です」
そう答えたものの、声は少し遅れた。
澪は、それを聞き逃さなかった。
「無理してる人ほど、そう言うんですよ」
「経験談ですか?」
冗談めかして言うと、澪は少しだけ笑った。
「まあ……はい」
それ以上は踏み込まない。 けれど、目は逸らさない。
「相馬さんが、ちゃんと休めるように」
静かに、でもはっきりと言った。
「私が、邪魔だったら言ってくださいね」
「邪魔、ではないです」
即答だった。
自分でも驚くほど、迷いがなかった。
「……むしろ」
言いかけて、止める。
澪は、続きを急かさなかった。
「来てくれると、助かります」
少し遅れて、そう付け足す。
澪の表情が、ふっと緩んだ。
「じゃあ、今日も来て正解でしたね」
そう言って、椅子に深く腰掛ける。
しばらく、他愛のない話をした。
病院食の味、売店の品揃え、外の天気。
会話は、特別なことを何も含んでいない。
それでも、 電話のあとに残っていた仕事の緊張が、 少しずつ溶けていくのを感じた。
帰り際、澪は振り返って言った。
「明日も、来ますね」
それはもう、確認ではなかった。
恒一は頷く。
「……お願いします」
ドアが閉まり、病室に静けさが戻る。
仕事の電話が鳴ったあとでも、 その静けさは、冷たくなかった。
頼られる声と、心配する声。
その両方が、まだ胸の中に残っている。
恒一は、目を閉じる。
――休む、ということの意味を、 少しだけ考え始めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます