第2話 生活に入り込む音

午前中の病室は、やけに静かだった。

テレビもつけず、恒一はベッドの上でスマートフォンを耳に当てている。


「……はい。診断書は今日中に提出します」

『無理はするなよ。引き継ぎは、回復してからでいい』

「分かりました。ご迷惑をおかけします」


いつもと変わらない、仕事用の声。

感情を切り離した、よそ行きの自分。


通話を終えた瞬間、力が抜ける。

スマートフォンを胸の上に置いて、天井を見上げた。


長期休みの連絡を入れる相手がいる。

それだけのことなのに、少し疲れた。


――コンコン。


「失礼します」


ノックのあと、ドアが静かに開いた。


「こんにちは」


昨日と同じ声、同じ調子。

朝霧澪が、当たり前のように病室に入ってくる。


「あ、今……電話してました?」

「ちょうど終わったところです」

「お仕事ですか?」

「会社に。しばらく休む連絡を」


澪は、ほんの一瞬だけ表情を曇らせた。


「……ごめんなさい、私のせいで」

「気にしないでください、2週間もすれば退院できますし、最近忙しかったのでいい息抜きになりますよ」  


本当かどうかは、自分でも分からない。  

澪は椅子に座り、持ってきたコンビニ袋を足元に置いた。


「今日も来てくれてますけど……」  

ふと、恒一は口にしていた。

「そちらこそ、お仕事とか問題ないんですか?」  


探るつもりはなかった。  

ただ、純粋な疑問だった。  

澪は少しだけ間を置いてから、あっさり答えた。


「今、仕事してないんです」

「……そうなんですか」

「はい。だから、時間だけはたくさんあって」  


言い訳でも、言い繕いでもない。  

事実をそのまま置いただけの口調。


「じゃあ……」

「無職、って言うとちょっと重いので」  

澪は苦笑した。

「自分では“充電中”って思ってます」  

充電中。 その言葉が、妙にしっくりきた。


「充電中ですか、良い言葉ですね…でも連日来るのって苦じゃないですか?」

「放っておけなかったので」  


あっさりと、でも逃げない目で言われて、返す言葉が見つからなかった。


「……あれはあくまでも不慮の事故ですよ。そこまで気にせずに保険会社に任せてしまっても良かったと思いますけど、朝霧さんって義理堅い方なんですね」

「自分じゃよくわからないですけど、友達には変わってるってよく言われます」  


澪は笑って、袋から小さな紙パックを取り出した。


「今日はカフェオレです。病院の売店、種類少なくて」

「気にしなくていいのに」

「でも、相馬さん、甘いの飲みそうな顔してます」

「初対面で分かります?」

「二日目なので」  


昨日よりも、少しだけ軽い会話。  

言葉の間に、余計な沈黙が挟まらない。


「……仕事してないって、不安じゃないですか」  

気づけば、そんなことを聞いていた。  

澪は一瞬だけ視線を落とし、すぐに肩をすくめる。


「不安ですよ。でも、今は立ち止まらないと、嫌いになりそうだったので」

「何を?」

「……いろいろと…ですよ」  


それ以上、澪は言わなかった。  

恒一も、踏み込まなかった。  

代わりに、カフェオレに口をつける。

「……甘いですね」

「でしょう? 病院、糖分が足りないですから」  


その言い方が妙に断定的で、少しだけ笑ってしまった。  

仕事の電話を切った直後の病室に、 澪の声が残る。  


生活の外側にあったはずの他人が、  

少しずつ、音を立てて入り込んでくる。  

それが不思議と、嫌じゃなかった。

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