第九回:第四の毒、黒い誘惑

「……黒井、先生?」


屋上のフェンス際、風に白衣をなびかせて立っていたのは、保健医の黒井レイだった。 彼女は学園で「保健室の魔女」と噂される人物で、その私生活は謎に包まれている。


「佐藤くん、そんなに震えてどうしたの? 三人の可愛い飼い主たちに、少しは自由時間を貰えたのかしら」


黒井先生は妖艶な笑みを浮かべ、指先で一枚の「紙」を弄んでいた。 それを見た瞬間、俺の心臓は跳ね上がった。


それは、俺が協定を結ぶ前、誰にもバレないように密かに書き溜めていた**『ヤンデレ脱出計画・逃走ルート私案』**のメモだった。


「あ……それは……!」


「ダメよ、佐藤くん。こんな危ないものを持ち歩いてちゃ。もしあの三人にこれを見られたら、あなたの『人生終了』どころか、物理的にバラバラにされちゃうわよ?」


彼女はゆっくりと歩み寄り、俺の耳元で囁いた。 その香りは、桜花の香水とも、美雪のお香とも、白鳥の甘い匂いとも違う。 脳を直接痺れさせるような、濃厚な「薬品」と「煙草」の混じった大人の香り。


「ねえ、私と取引しない? そのメモを黙っておいてあげる代わりに、放課後、保健室に来なさい」


その時、ポケットの中の三台のスマホが、これまで聞いたこともないような激しい警告音を鳴らした。


『翔太くん、心拍数が異常上昇しているわ。屋上に誰かいるの!?(桜花)』 『穢れの反応が最大値です! 翔太、今すぐそこを離れなさい!(美雪)』 『先輩、浮気ですか? 浮気ですね? 殺しに行きますね!(白鳥)』


「あらあら、もう追っ手が来たみたい」 黒井先生は楽しげに目を細め、メモを自分の白衣のポケットに仕舞い込んだ。 「彼女たちが来る前に決めて。私に弱みを握られたまま『協力者』になるか、今ここで全てをバラされて、あの三人に解体されるか」


階段を駆け上がる激しい足音が聞こえる。 それは、獲物を追う三匹の猛獣の足音だ。


「……行きます。保健室に、行きますから!」


俺がそう答えた瞬間、屋上の扉が爆発したような勢いで開いた。


「翔太くん!!」 「翔太!!」 「先輩!!」


三人が同時に俺に飛びつき、俺の全身を検分し始める。 桜花は俺の瞳孔の開きをチェックし、美雪は俺の服の乱れを確認し、白鳥はカッターナイフを黒井先生に向けた。


「黒井先生、私の翔太くんに何の用かしら?」 桜花の言葉には、校内の全監視カメラを掌握する者の威圧がこもっている。


「あら、ただの健康診断よ。佐藤くん、最近お疲れみたいだから」 黒井先生は余裕の笑みでかわし、俺にだけ見えるようにウインクをした。


三人のヤンデレによる「鉄の管理」に、大人の余裕という「毒」が混ざり込んだ。 俺の生存ゲームは、もはや学生同士の恋愛沙汰では済まない領域へと突入していく。

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