第5話「小さな勘違い」

 観光シーズンの空港は、人で溢れ返っていた。

「ねえ、あれ何?」

「ちょっと……あの人、どうしたの?」

 人だかりができ、ひそひそと声が広がる。

「放せ! 今すぐ放せ、このクソ野郎!!」

 レオが激しく暴れる。

 身体の下にあるキャスター付きの椅子が、ガタガタと震えた。

「うーん……到着ゲート、どこだっけ。

 確かスタッフはこっちだって言ってたんだけどなぁ」

 クルスは完全に無視したまま、周囲をきょろきょろ見回しながら歩く。

「おい! 聞いてんのか!? 今すぐ放せ!!」

 歯を食いしばるレオ。

 両手首は背中で固く縛られ、動けば動くほど苛立ちが募る。

 もし視線で人を殺せるなら――

 今、椅子を引いている男は、間違いなく原形を留めていない。

 周囲のざわめきは、さらに大きくなった。

 好奇心を抑えようにも――

 大柄な青年が縛られたまま荷物用の椅子に乗せられ、

 別の男にのんびり引きずられていく光景は、さすがに無視できない。

「こうでもしなきゃ、素直について来ないだろ?」

 クルスが振り返り、けろっと笑う。

「お前、引き受けるって言ったじゃん。

 男が一度口にしたこと、守らないとかダサすぎ」

「……考えるって言っただけだ」

 レオの声は、氷みたいに冷たかった。

「引き受けるなんて、一言も言ってない」

 もがいた足がクルスの脚に当たり、

 彼の腕の中にあった紫陽花の花束がぐらりと揺れる。

「おいっ!」

 クルスは慌てて花束を抱え直し、顔をしかめた。

「これ、朝早くから買いに行ったんだぞ?

 潰れたらどうすんだ」

「知るか」

 レオは唸る。

「今すぐ放せ。

 そのクソ花束抱えて、さっさと消えろ――」

「はいはい、そこまで」

 クルスは溜め息をつき、

 花の包み紙を一枚ちぎって、レオの口にねじ込んだ。

「口が悪すぎ。

 これ以上喋ったら、俺の花が枯れる」

「ん゛――!!」

「あとでクインに会うんだからさ」

 椅子を引きながら、続ける。

「その殺し屋みたいな顔、ちょっとは抑えろよ。

 怖がらせたら許さないからな」

 レオの目が赤くなる。

 だが口を塞がれているせいで、喉の奥から不快な音を漏らすだけだ。

 頭の中には、ただ一つ。

 ――この縄が解けた瞬間、こいつは終わりだ。

 ――――

 到着ゲートの前で、クルスはスマホを確認した。

「そろそろ出てくる頃だな」

 花束を抱え直し、一人ひとりの顔を真剣に見つめる。

 十人。

 二十人。

 そして、ふと。

「……やば」

 クルスが呟く。

「何年も会ってないからなぁ……

 今、どんな感じなんだ?」

 じわりと汗が滲む。

「背、低いか? 高いか?

 最後に会った時は、肩くらいの髪で……」

 それらしい女性を次々と目で追う。

「……あれ。クインって、レオと同い年だよな?」

 眉をひそめる。

「ってことは、高校はもう卒業?

 それとも、まだ学生?」

 レオは半目で横を見る。

 ――やっぱり、この男は役に立たない。

 その時。

 床が、かすかに震えた。

 クルスが顔を上げる。

 人混みの向こう。

 屈強な男の背後に、ひときわ目を引く――

 水晶みたいに輝く、プラチナブロンド。

 その色を見た瞬間、心臓が跳ねた。

「……いた」

 目が輝く。

「そうだ! この色、忘れるわけない!」

 彼はほとんど跳ねる勢いで手を振った。

「クイン! クイン! こっちだ!」

 一人の少女が振り返る。

 何度も手を振るクルスを見て、少し戸惑いながらも、こちらへ歩いてくる。

 そして――

 その姿がはっきり見えた瞬間。

 クルスも、レオも、固まった。

「……私を呼びました?」

 そう話しかけてきたのは、

 日焼けした肌に、がっしりした筋肉。

 肩幅も広く、全身から健康そのもののオーラを放つ女性。

 ――“お嬢様”のイメージとは、かけ離れている。

 レオは目を細めた。

 理由は分からない。

 だが、はっきりとした感覚があった。

 ――違う。

「……クイン、なのか?」

 クルスが戸惑いを隠せずに尋ねる。

「え? 私のこと、知ってるんですか?」

 首を傾げる彼女。

「……あ、ああ」

 クルスはぎこちなく笑った。

「ずいぶん……健康そうだね。

 ロンドンの食事、合ってたみたいだ」

「……は?」

「日焼けもしてるし」

 そう言って、花束を押し付ける。

「肌、綺麗だよ」

「……あ、ありがとうございます」

 彼女は戸惑いながらも受け取った。

「おい!」

 屈強な男が割って入る。

「何してるんだ?

 俺の彼女にちょっかい出すな」

「ちょ、ちょっと!」

 彼女が慌てて止める。

「多分、ファンだと思うから」

「どこがファンだ!

 どう見ても怪しいだろ!」

「……ファン?」

 クルスは目を見開いた。

「クイン、こいつと付き合ってるのか?」

「何言って――」

 男がクルスの襟を掴む。

「彼女から離れろ」

 空気が、一気に張り詰めた。

 ざわめきが再び広がる。

 レオは小さく舌打ちし、

 到着ゲートの方へ視線を投げた。

 ――遅い。

「……あ、クルス兄さん」

 その時。

 柔らかな声が、張りつめた空気を切り裂いた。

 全員が振り返る。

 レオも、顔を上げた。

 一人の少女が、こちらへ歩いてくる。

 細い身体。

 穏やかな顔立ち。

 静かな佇まい。

 それなのに、彼女が近づくだけで、

 周囲の時間が、ほんの一瞬、緩んだように感じられた。

「どうして、ここにいるんですか?」

 その声を聞いた瞬間。

 クルスは、完全に動きを止めた。

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