第4話「学校へ向かう途中」

Korin――長い歴史を持つ古都。

 他の大都市によくある、押し合いへし合いの喧騒とは違って、

 この街には、どこか不思議なほど緩やかな空気が流れている。

 人々はコーヒーを片手に歩き、

 通りの真ん中に設置された巨大な広告スクリーンの前で足を止め、

 仕事へ向かう途中でも、のんびりと雑談を交わす。

 人通りは多い。

 それでも、誰一人として急いでいるようには見えなかった。

 それが、初めて Korin を訪れる人間を驚かせる理由だ。

 大都市でありながら、この街の時間は、想像よりもずっと遅い。

 そんな人波の中に、ひときわ浮いた存在があった。

 ――ユウ。

 少し乱れた黒髪。

 肩には、ぺしゃんこになったバックパック。

 彼はまるで自動運転の機械みたいに歩いていた。

 俯いたまま、視線は携帯型ゲーム機に釘付け。

 親指が、休みなくボタンを叩く。

 画面の光が、集中しきった顔を照らして――感情は、ほとんど読み取れない。

 人との接触を避ける動作は、完全に反射と惰性だ。

 人が進めば進み、止まれば止まる。

 曲がる方向も、流れに従うだけ。

 ときどき、ぶつかりそうになった人が睨んでくる。

 ……けれど、ユウは気づきもしない。

 その時。

 通りの広告スクリーンから、突然大音量が響いた。

『本日限定!

 大人気コミック 『Widiland (ワイディランド)』、特装限定版発売!』

 派手な効果音と、テンションの高い司会の声。

 街のざわめきが、一気に色づく。

『さらに!

 《Widiland》初の専用ゲーム、先行プレイ解禁!

 数量限定! 関連グッズも盛りだくさん!』

「見てよ。Widiland、今日だって」

「行くしかないでしょ。何ヶ月待ったと思ってるの」

 周囲がざわつき始める。

 ――ユウだけが、違った。

「Victory!」

 広告が終わるのと同時に、ゲームの効果音。

 画面の中で、ラスボスが倒れる。

 その瞬間、ユウは今日初めて顔を上げた。

 高層ビルの隙間から射し込む陽光が、正面から差し込む。

 思わず、目を細める。

 下宿からここまで、ほとんど画面から目を離していなかったせいで、

 昼の光がやけに眩しい。

 そこへ、一台のバスが通り過ぎる。

 車体いっぱいに貼られた――《Widiland》の広告。

「……ウィディランド、か」

 ユウは小さく呟いた。

「買うべき……なのかな」

 嫌いではない。

 むしろ、好きな部類だ。

 けれど、あの人混みを想像した途端、気持ちは萎える。

 体格的に、軽くぶつかられただけで吹き飛ばされそうだ。

 ポケットの中で、スマホが震えた。

 取り出す。

 ――メール。

『ユウ、どこにいる?

 もう会場入りしてないとおかしい時間だぞ』

『今日は論文審査だろ。どういうつもりだ』

 その直後、着信履歴がずらりと並ぶ。

「……なんだこれ」

 頭が、まだぼんやりしていた。

 連日の夜更かしで、思考がうまく噛み合わない。

 また、着信。

 表示された名前を見て、嫌な予感が走る。

「やっと出たか、この馬鹿者!」

 耳が痛くなるほどの大声。

 ユウはスマホを少し離した。

「何回かけたと思ってる! 今どこにいる!」

「……うるさいな」

 ユウは小さく呟く。

 向こうは構わず続ける。

 そこで、ようやく思い出した。

「あ……そうか。今日、論文審査」

 論文自体は、一ヶ月前に提出済みだ。

 その後、ゲームに集中したくて通知をほぼ全部切り、

 曖昧なアラームだけ残していた。

 ――「学校」。

「今、向かってます」

 平坦な声で言う。

「向かってるじゃ済ま――」

「大丈夫です。すぐ行きます」

 通話を切った。

 小さく息を吐き、ユウはバス停へ向かう。

 ……が。

 目の前で、目的のバスがゆっくりと発車していった。

「あ……あれか」

「ちょっとー! 待ってくださーい!」

 背後から、甲高い声。

 金髪の少女が、ユウの横を風のように駆け抜ける。

 髪が頬をかすめ、甘い香りが一瞬だけ残った。

「運転手さん! 待ってくださいー!」

 必死に叩く。

 ――バスは、止まらない。

 残されたのは、荒い息と、立ち尽くす背中。

 ユウは、その光景を一秒だけ眺めてから思った。

「……喉、強いな」

 心の中で。

「先生より音量ある」

 バスは完全に見えなくなる。

 少女は、手を半端に上げたまま立っていた。

「……まあ、いいか」

 ユウは背を向ける。

「次、待てば」

 ベンチに座り、再びゲーム機を起動。

「……あと三十分で十一時なのに……」

 背後から、焦った声。

 ユウはちらりと視線を送る。

 少女は頭を掻きむしり、明らかに切羽詰まっていた。

「遅れたら……ニア姉に殺される……」

 そこへ、一台のタクシー。

「ここです! ここ!」

 少女が手を振る。

 急ブレーキ。

「Korin国際空港まで! 急いでください!」

 飛び乗る。

「お、運がいい」

 運転手が豪快に笑った。

「俺のあだ名、〈空飛ぶ棺桶〉だからな!」

「……え、棺桶?」

「しっかり掴まれよ!」

「ちょ、待って――!」

 タクシーは猛スピードで走り去った。

 ユウは、それを見送りながら、

 いつの間にかポーズ状態になっていたゲーム画面を見下ろす。

「……やっぱ、うるさい」

 親指を動かし、再開。

 人の流れは、変わらず続いていく。

 誰も気づかない。

 今すれ違った二人が――

 また、出会うことになるなんて。

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