第1話 夜の私は、少し息がしやすい(B)

 SoraがJoinしてきた。


 ワールドの空気が、ほんの少しだけ引き締まる。いや、引き締まるというより――Ameが勝手に姿勢を正すせいで、こっちまで「ちゃんとしてる人が来た」気分になる。


 黒が基調のアバターが、目の前にすっと現れた。


 細身で背が高く、肩のラインがやけに綺麗で、黒いロングコートの裾が水面の反射を拾って揺れる。胸元には控えめな装飾、指先は白いグローブ。顔立ちは整っていて、目元がすっと涼しい。女子校の廊下にいたら、二秒で女子が倒れるタイプの王子様だ。


 そして本人は、真面目そうな声で、当然のようにボケる。


「こんばんは。二人ともお疲れさま。……ここ、座れるSit判定がしっかりしたワールドだね。私の職場の安物の椅子ももう少しまともならいいのに」


「比較対象がOLすぎる」


 私は思わず突っ込んでしまう。Soraは社会人だ。平日は普通にOLをしている。VRTalkにログインするのは、仕事を終えた夜の時間帯が多い。なのに、疲れた様子を見せず、いつもすらっとしているのが逆に怖い。


 Soraは私の突っ込みに、澄ました顔で頷いた。


「椅子は大事だよ、Bell。腰が壊れたら何もできない。姿勢も悪くなる。そして、万事は腰から来る」


「そんな名言みたいに言うな」


 Ameがすかさず乗ってくる。


「アタシ、Soraのそういうとこ地味に好きだよ。おもろいし」


「地味に、ね。派手に好きだと困るから、地味にというのは助かるよ」


「困るの?」


「困る。私は大人気だからね、取り合いになられると困る」


 Soraは澄ました顔でさらりと言い放った。

 私は知っているが、Soraがモテるというのは本当のことだ。

 ただし、条件付きだが。


 Ameが、口元を押さえて肩を揺らす。


「モテるのは女の子限定でしょ。男の方は少ない上に変なのしか寄ってこないじゃん」


「はっはっは、それを言われると痛い。本当に痛い」


「最近いい人いるの?」


「マッチングアプリで知り合った人とデートしたんだ」


「おお、いい流れじゃん」


「会話に違和感があったから問い詰めたらプロフィール詐称してた」


「わぁ最高に面白い。それでどうしたの?」


「プロフに載せてた編集済みの顔に近くなれるようにしてやった」


「そっちも詐欺だったんだ。意外とフィジカルなとこアタシ好きだよ」


「ありがとう。いやはや整形というのは難しいものだよ。逆効果になってしまった」


 たぶんそういうとこが原因じゃないか? という言葉は潔く飲みこんだ。

 とりあえずは拍手喝采ものだ。


 私は静かに笑いながら、少し場所を空けた。Soraはすっと歩いてきて、音もなく腰を下ろす。アバターの動きが妙に洗練されていて、座るだけで“王子様が座った”感が出るのがずるい。


「で、今日は何の話をしていたんだい?」


「たんてーきっさ。Bellが探偵さんして、アタシが店員して、探偵喫茶を開店するところ。今日はBellが喋りたい気分の貴重な夜だからね。」


「なるほど。探偵喫茶。……探偵喫茶? うん、Ameはやっぱり面白いね。メニューは?」


「“疑い”と“和解”」


 Ameが胸を張る。胸を張る内容じゃない。どういうことかなんもわからん。Ameの中でよくわからない完結のしかたをしてる。


 Soraは真面目な顔で頷いた。


「健全だね。疑って、和解して、明日も仕事。社会人に必要な栄養素が全部入ってる」


 あの雑な説明でわかるんだ……。

 てか、社会人に疑いとか必要なんだ……。


「最後の一言で全部社会人向けになるのすごい」


 Ameはニコニコと笑ってそう反応した。そこなんだ。


「仕事は生活の骨格だからね。骨格が折れると、恋も仕事も死ぬ」


「恋の話、急に入れてくるじゃん」


 Ameがにやにやしながら言うと、Soraは一拍置いてから、涼しい目で返した。


「恋はしてるよ。理想の恋を目指して邁進中だ」


「それは理想と恋してるの。いちばん難易度高いでしょ」


「でも理想は裏切らない。現実の男は裏切るけどね」


 Ameが小さく拍手した。


「言葉の刃がメイドインブラック」


「Ameも口は悪いけど、刺す場所は選ぶ。私は刺す場所を選ばない。そこが違いだね」


「違いが怖い。堂々と言えることなのそれは」


 私は笑いながらも、Soraのその“理屈っぽさ”が嫌いじゃなかった。むしろ、こういう場面ではありがたい。Ameが勢いで喋り倒して、私が間で息継ぎして、Soraが結論を出す。三人で一つの生き物みたいな夜がある。


 Soraは視線をワールドの周囲に巡らせた。ネオン、水面、Lo-fi、座れる判定の優秀な椅子。


「ここ、いいね。静かだし、視界に情報が少ない。集中できる」


 私と全く同じ評価だ。妙にウマが合うのが私とSora。そんなこんなで割と長い付き合いになっている。


「同感。でも何に集中するつもりなの?」


「それはもちろん、会話にさ。じっくり喋りたい気分なんだろう、Bell。君が今日“喋りたい夜”なのは、Ameがさっき言ってた。理由は?」


 Soraの目が、すっと私を捉える。

 圧はない。けれど、逃げ道がない。


「気分だよ、気分。そういうとき、誰でもよくあるでしょ」


「Ameが言ってた。『Bellの喋りたい夜は貴重』って」


「言ったね。実はアタシもそんな気分の日なのだ」


「Bellは一人でいるのも苦では無いタイプだからね。だから特別に喋りたいということは、何かあったということだと思う」


「怖っ。なんでわかるの」


「Bellは観察対象として興味深いからね。私は大体のことはわかるんだ。というか、Bellはわかりやすい」


「観察対象って言うなし。私は珍獣か何かか」


 Ameが笑いながら、私の肩を軽くつつく。


「ほらほら、Bell。Soraが真面目にいじってる。今日も平和だねぇ」


「平和って言いながら、全員で私を囲ってるじゃん」


「囲ってないよ。守ってる」


「言い方が急に王子様」


 私が言うと、Soraはほんの少しだけ口角を上げた。


「女子校で王子様をやっていたからね」


「言ったな。自分で言ったな」


「事実だからね、はっはっは」


 Ameがすかさず、意地悪く言う。


「でもSora、王子様としては満点でもお姫様としては落第じゃん」


 Soraは間髪入れずに返す。


「嫌だな、お姫様になるつもりはないよ。強く、気高く、美しくありたいからね」


「その結果が物理Photoshopか」


 私の突っ込みに、Ameが指をさして笑った。


「Bellのツッコミ、切れ味良い。今日当たりの日」


「当たりの日って何。ハズレの日があるってことか」


「ときどき自分の世界に入って出てこないじゃん。でも今日は当たり。アタシ、得した」


 得したと言われると、悪い気はしない。前半が余計だが。


 Soraはそこで、ふっと真面目な顔に戻った。

 ――いや、Soraはだいたい真面目な顔だ。温度が一段下がる時は、もっと真面目になる。


「ところで、“面白い噂”を仕入れてきたんだ。今日はそれを話題として提供しようじゃないか」


 Soraがメニューパッドを操作する仕草をした。VRTalkの中からでも、外部SNS――TwiX――は確認できる。便利だ。便利すぎて、現実の机でスマホを開くよりも現実味がある。


「面白い噂? Soraにしては珍しいタイプの話題だね。噂とか好かなそうなのに」


「噂っていうか、まだ断片なのだけどね。言い回しが妙に具体的なんだ。あと、同じ文言が違うアカウントからコピペされてるのが気になった。拡散というより、投下に近い」


「うわ、理屈っぽ」


「褒め言葉として受け取る」


「受け取るんだ」


 Soraは淡々と続けた。


「VRTalkに、人間と見分けがつかないAIユーザーが静かに紛れている――という噂。真偽は不明。でも『不明』の割に、変に“それっぽい”言い方をしている投稿がある」


 Ameが身を乗り出す。


「え、待って。人間と見分けつかないって、何それ。逆に見分けたくなるやつじゃん。Bell、探偵さん案件だよ、マジで」


「まだ噂だし、見分けるとか以前に、いるかどうかも分からない」


 私はそう言ったが、胸の奥がわずかに冷えた。

 VRTalkは、私が息をしやすい場所だ。そこに“人間と見分けがつかない何か”がいると言われたら、それだけで空気が変わる。


 Soraは私の反応を、見逃さない。視線が一瞬だけ柔らかくなる。


「面白そうだろう?」


「面白いと怖いの半々かも。ただ、気になる。居場所の話だから」


「うん、居場所の話か。そうだね、ここは大切な友人を繋いでくれる居場所だから」


 Soraの声は真面目だった。真面目すぎて、逆にAmeがむず痒そうに肩をすくめる。


「うわ、急にちゃんとした話。もうちょい軽く考えようよ、ただの噂でしょ」


「Ameは軽い空気のほうが好きだもんね。そういうタイプ」


「タイプもそうかもだけど、軽くしてると救われる人がいる。Bellとか」


 Ameはさらっと言って、私の方を見た。

 その目が一瞬だけまっすぐで、私は少しの間、返事を失う。


「……そうかも?」


 Soraが、そこでわざとらしく咳払いをした。


「はいはい。マジメな空気はここまで。探偵喫茶の主催はAmeだからね。まずは情報を整理してみよう。私がホワイトボード役をやる」


「ホワイトボード役って何」


「頭の中にホワイトボードがある女。私はそういう女」


「男が寄り付かん理由がわかった気がする」


 Soraは涼しい顔で、TwiXの投稿をいくつか共有する。短い文面。断片。言い回しの違い。温度の違い。どれも確証はないのに、視線が吸い寄せられる。


 Ameは投稿を眺めて、唇を尖らせた。


「うーん、でもさ。こういうのって、だいたい釣りじゃん? 釣りだったら、本気で考えるだけ損」


「損でも、考えるのは好きだな。推理ゲーム好きだし」


「好きなのは知ってる。だからアタシは、Bellが損しないように隣でうるさくしてる」


「それ、フォローなの?」


「フォロー。アタシなりの」


 Soraが、淡々と結論を置く。


「今日のところは、断定しない。噂は噂。でも、噂が広がる理由は観測できる。人は“見分けたい”ものがあると、勝手にゲームにする」


 Ameがぱちっと指を鳴らす。


「ゲームね。やっぱそうじゃん。ね、Bell。探偵さん、こういうの好きでしょ」


「好きだけど……VRTalkここが好きだからこそ、あんまり雑にしたくない」


 私の言葉に、二人の視線が重なる。

 いつものチルワールド。いつものLo-fi。いつもの雑談。なのに、そこに小さな針が混じった。


 私はもう一度、TwiXの画面に目を落とした。


 VRTalkにAIユーザーがいるらしい。

 人間と見分けがつかないらしい。


 ――らしい、らしい、らしい。


 確証なんて、どこにもない。

 それでも、私はその文面から目を離せなかった。


 夜の私は、少し息がしやすい。

 だからこそ、その息が、少しだけ止まりそうになる。


 少しだけ、嫌な予感がした。理由はわからない。

 ただ、いつもの夜が、いつものままでは終わらない気がした。

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VR探偵Bellは電気人間を告発できるか? 〜AIユーザー事件と、ユルくてチルい夜の雑談〜 おすかー @0sc4r_N4

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