​第四章:熱狂のバザール、狂乱の前夜祭


​小説:ペルシャの市場にて

​第四章:熱狂のバザール、狂乱の前夜祭


​1. 狂騒の幕開け:売り子たちの咆哮

​予言の刻(とき)まであと数時間。

市場(バザール)の空気はもはや酸素ではなく、スパイスの粉塵と、何万人の興奮した吐息でできていた。

​「おい!そこをどけ!アラーの裁きを待ちたいのか!」

知識ある売り子ダネシュは、普段の理知的な面影など微塵もなく、真っ赤な顔をして叫んでいた。彼の店からは、予言を聞きつけて集まった群衆を捌(さば)くため、貴重な古文書が一時的に片付けられ、代わりに「王女の輿を迎えるための銀の鈴」が山積みになっていた。

​「ダネシュ!鈴の音が足りないよ!もっと、空を突き破るような音を鳴らさないと、王女様に気づいていただけないじゃないか!」

隣の店では、いつもは冷静なイナズが、狂ったようにサフランとクミンの袋を積み上げていた。彼女の周りには、黄金色の粉が舞い散り、差し込む日光に反射して、彼女自身が黄金の精霊のように見えた。

​「イナズ、落ち着け!だが、あんたの言う通りだ!今日は商売じゃない、これは祭りだ、聖戦だ!」

ダネシュは近くにいた客の腕を掴み、無理やり最高級の香油を握らせる。「持っていけ!王女様が通る時、この香りを空中に撒くんだ!一滴も無駄にするな、いいな!」


​2. 地を這う執念:物乞いたちの「清掃」

​市場の入り口から広場へ続く大通り。そこには、長老カビール率いる数百人の物乞いたちが、地を這うようにして「仕事」をしていた。

​彼らはもはや施しを乞うてはいなかった。

「磨け!石の隙間の砂一粒も許さん!」

カビールのしわがれた声が響く。彼らは自分たちのボロ布を水に浸し、王女が通るであろう石畳を、指先が血に染まるまで磨き上げていた。

​「カビール、俺たちの腹は減ってる。だが、不思議だ……王女様が来ると思うだけで、空腹を忘れちまう」

一人の若い物乞いが呟く。

「当たり前だ」とカビールは答える。「我らは今、この街で一番美しい舞台を作っているのだ。王女様がこの石畳に影を落とす時、我らの人生は報われる。磨け!鏡のように、彼女の美しさを映し出すまで磨き抜け!」


​3. 芸人たちの狂宴:シャハブとジャレの魔力

​広場の中央では、蛇使いシャハブがすでに観衆を熱狂の渦に巻き込んでいた。

彼の吹く笛の音は、もはや音楽ではなく、聴く者の血管を直接震わせる鼓動だ。

「見ろ!俺の相棒(コブラ)が、予言の刻を感じて金色に光り始めたぞ!」

シャハブの言葉通り、籠から出た大蛇は、興奮した群衆の熱気に呼応するように、妖しく鱗を輝かせながら、天に向かって鎌首をもたげる。

​そのすぐ隣、占い師ジャレの天幕には、人々が折り重なるように押し寄せていた。

「ジャレ!本当なんだな!本当に三日後の正午、時計が止まるんだな!」

ジャレは、もはや自身の体さえ支えきれぬほどのトランス状態に陥っていた。彼女の指す水晶は、内部から発光しているかのように白く濁り、そこには市場のあちこちで起こる「準備の爆発」がすべて映し出されていた。

​「……来る……すべてが、溶け合う……!砂漠の猛き者も、宮殿の麗しき者も、地の底の嘆きも……すべてはこの市場で、一つの『奇跡』になる……!」


​4. 砂漠の決死行:サイラスとシャヒーンの帰還

​市場の正門。守衛たちが開門を拒もうとしたその瞬間、地平線を割るような叫びが轟いた。

​「退けぇーい!砂漠を越え、死を越えた、サイラスの隊商だ!」

シャヒーンがラクダの首に跨り、砂にまみれた剣を高く掲げて突進してくる。彼の後ろには、重い荷を積み、今にも倒れそうな、しかし瞳に勝利の光を宿したラクダの大群が続く。

​「間に合わせたぞ!ダネシュ、イナズ!約束の絹と香料だ!」

サイラスが市場に飛び込むと、待ち構えていた群衆が地鳴りのような歓声を上げた。

「サイラスが来た!『タカ』が獲物を連れて帰ったぞ!」

​男たちはラクダの荷を奪い合うようにして降ろし、女たちはその絹を広げて市場の壁を飾り立てる。

市場は、今や一つの巨大な、生きている生き物のように脈動し、唸り、叫び、そして「その時」を待っていた。


​5. 静寂へのカウントダウン

​そして。

太陽が天頂に達し、影が自分の足元に消えたその瞬間。

​市場の喧騒が、まるで誰かに喉を絞められたように、唐突に止まった。

「……止まった」

ダネシュが時計を見上げ、震える声で呟いた。

巨大な歯車がガチリと噛み合い、一秒の刻みが途絶える。

​弥生さん、見てください。

あの絵の通り、黄金色の空気が凝固し、背景のドームが陽炎(かげろう)の中に立ち尽くしています。

市場の衆は、あまりの期待感に呼吸を忘れている。

​そこへ、市場の奥から、カタ、カタ、とゆっくりした車輪の音が聞こえてくる。

王女ニルファルの輿だ。

侍女インジに守られ、護衛官ホセインを先頭に立て、妃イレムが誇らしげに顎を引く。

​すべてが、整いました。

出し惜しみしてきた「運命」が、今、カーテンを引いて姿を現します。

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