​第二章:狂乱のカウントダウン

​第二章:狂乱のカウントダウン


​1. 砂漠の軍記:サイラスとシャヒーンの死闘

​市場まであと二日。砂漠は牙を剥いた。

「クソッ、アラーよ、今日だけは眠っていてくれ!」

サイラスは、喉の奥から這い出す砂を吐き捨てた。シムーン(毒風)が吹き荒れ、視界はわずか三歩先まで。ラクダたちの長く重い睫毛には、砂の礫(つぶて)が容赦なく叩きつけられている。

​「カピタン!ラクダの足が止まった!このままじゃ予言の刻(とき)に間に合わねぇ!」

シャヒーンが、目出し帽の隙間から血走った目で叫ぶ。彼の愛鳥である鷹が、嵐を避けて彼の肩で震えていた。

​「止めさせるな!止まればそこが墓場だ!ダネシュに約束したんだ、市場の奴らが拝んだこともねぇような『極北の青い絹』と『東方の龍の香』を届けると!この荷があれば、あの市場(バザール)は真の宝物殿になる!」

​サイラスは、ラクダの首筋を強く叩いた。

「動け!この砂漠を越えれば、酒と、肉と、そしてジャレの見た『運命』が待っている!死にたくなければ歩け、歩き続けろ!」

その時、サイラスの脳裏には、まだ見ぬ市場の喧騒と、あの「王女」の優雅な横顔が、蜃気楼のように揺らめいていた。


​2. 市場の変貌:ダネシュとイナズの「戦場」

​一方、バザールは不眠不休の戦場と化していた。

​「おい、そこの荷をどけろ!そこにはイレム妃殿下の注文した、金糸の絨毯を敷くんだ!」

ダネシュの喉は、指図のしすぎで枯れ果てていた。彼は市場の地図を広げ、どの位置にどの店を配せば、王女と王の視線が最も美しく交差するかを計算し尽くしている。

​「ダネシュ、あんた落ち着きな。サフランの値段が三倍に跳ね上がってるよ」

イナズが、額の汗を麻の布で拭いながら呆れたように言った。彼女の店には、近隣の部族から運び込まれた無数の山羊の肉や、色とりどりの果実が山積みだ。

​「イナズ、これはただの商売じゃない。予言の日、ここは世界の中心になるんだ。……見てみろ、あのカビールたちの様子を」

​市場の影。

物乞いの長老カビールは、仲間たちを集め、市場の入り口から宮殿へ続く道を、素手で磨いていた。

「汚れた道に、王女の輿(こし)は通せん。……我らにできるのは、砂の一粒すら彼女の靴を汚さぬようにすることだ」

彼らの濁った瞳には、施しを求める欲望ではなく、奇跡を待つ者の聖なる輝きが宿っていた。


​3. 闇の旋律:蛇使いシャハブの「牙」

​そして、市場の最も暗い路地裏。

シャハブは、誰にも見られぬよう、一匹の巨大なキングコブラと対峙していた。

​「……いいか、相棒。予言の刻に吹く笛は、祝いの歌じゃない」

​シャハブが笛を唇に寄せ、短く、鋭い旋律を奏でる。それは音楽というよりは、獲物を追い詰める野獣の唸りだ。蛇が鎌首をもたげ、妖しく身をよじらす。その鱗は、薄暗い路地で紫色の光を放っていた。

​「ホセインの剣が王女を守ろうと、俺の笛が風を裂けば、運命の糸は切れる。ジャレの婆さんが見たのは、平和なパレードか、それとも血塗られた変革か……楽しみだな、おい」

​彼は「流れ星」の名に相応しい不敵な笑みを浮かべ、闇に溶けた。


​4. 宮殿の静寂:王女ニルファルの祈り

​その夜、宮殿の奥深く。

王女ニルファルは、バルコニーから遠い市場の灯りを見つめていた。

侍女のインジが、彼女の長い黒髪を真珠(インジ)の櫛で梳かしている。

​「……インジ。市場のざわめきが、ここまで聞こえるわ」

​「皆様、王女様をお迎えする準備に余念がないのです。……ジャレの予言は、今やこの街の律動(リズム)となっております」

​ニルファルは、胸元に下げた「睡蓮(ニルファル)」の細工が施されたペンダントを握りしめた。

「皆は私の『姿』を見たいのでしょう。けれど、誰が私の『心』を見てくれるというの?……三日後、私はただの飾り物として、あの市場を通り過ぎるだけなのでしょうか」

​「王女様……」

​そこへ、重い金属音が響いた。

護衛官ホセインだ。彼は鎧(よろい)のままで膝をつき、力強い声で告げた。

​「王女様、ご安心を。予言がどうあれ、私のシムシャール(三日月刀)が貴女様への道を守ります。市場の喧騒も、不穏な影も、私がすべて斬り伏せましょう」

​ニルファルは微かに微笑んだ。だが、その瞳には、決まった運命を拒むような、小さな、けれど消えない火が灯っていた。

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