小説 ペルシャの市場にて

velvetcondor gild

​第一章:黄金の砂と銀の予言

​小説:ペルシャの市場にて


​第一章:黄金の砂と銀の予言


​1. 砂の海、隊商の咆哮


​太陽が地平線を焼き切り、空が煮えたぎる金の色に染まる頃。

ペルシャの心臓部へと続く「死の沈黙」と呼ばれる砂丘を、一列の影が切り裂いていた。若きリーダー、サイラスが率いる大隊商(キャラバン)である。

​「……シャヒーン!砂の歌が変わったぞ。あとどれほどだ!」


​サイラスが、顔に巻いたターバン(カフィーヤ)の隙間から、ひび割れた声で叫んだ。彼の纏う外套(アバヤ)は、砂漠の過酷な旅を物語るように、裾がボロボロに擦り切れている。だが、その肩に掛けられた金の刺繍だけは、西方の陽光を跳ね返して眩く光っていた。

​斥候のシャヒーンは、ラクダの背に立ち上がるかのような軽やかな身のこなしで、遠くを見据えた。彼の瞳はまさに「タカ」そのものだ。

​「カピタン、風の中にクミンの匂いが混じりやがった。あの砂丘の向こう、青い陽炎が揺れてる場所が市場(バザール)だ。……だが、妙だな」

​「何がだ?」

​「砂漠の鼠(ネズミ)どもが騒いでやがる。……『三日後、すべてが揃う』と。バザールの占い師、あの老婆ジャレがとんでもねぇことを口走ったらしい」

​サイラスは、ラクダを操る手綱(タズィー)を強く握りしめた。

「……ジャレか。あの女の予言は、砂漠の雨より正確で、毒蛇の牙より鋭い。シャヒーン、隊員どもに伝えろ!『喉を鳴らすのは市場(バザール)に着いてからにしろ。予言の刻(とき)に遅れる者は、砂の下で永眠することになる』とな!」


​「御意(アッ・ラーフ)!」


シャヒーンが鋭い口笛を吹くと、ラクダの群れが一斉に唸り声を上げた。「ザッ、ザッ、ザッ、ザッ……」。あの音楽の冒頭そのままの、重く、力強い足音が砂海に響き渡った。


​2. 市場の喧騒と、震える水晶

​ところ変わって、市場の最深部。

そこは、色彩と匂いと、人間の欲望が沸騰する大鍋のようだった。

​「さぁさぁ、寄ってらっしゃい!ダマスカスの薔薇水(ローズウォーター)だよ!ニルファル様のような高貴な御方が通る道には、この香りが必要だ!」

​売り子のダネシュが、革張りの古書を脇に抱えながら、通行人に声を張り上げる。彼の店には、天文学の地図から秘密の薬草まで、あらゆる「知識」が乱雑に、しかし誇り高く並んでいる。

​「ダネシュ、口を慎みな。王女様の名前を安売りするんじゃないよ」

​隣でスパイスを商うイナズが、黒い布(チャドル)の隙間から鋭い視線を向けた。彼女の手は、目の覚めるような赤いパプリカと、黄色いサフランの粉で染まっている。

​「……それより聞いたかい?ジャレの婆さんのこと。今朝からずっと、あの水晶を抱えて震えっぱなしさ。まるでアラーの雷に打たれたようだったよ」


​その時だった。

市場の広場の中心、薄暗い天幕の中から、この世のものとは思えない低い叫びが上がった。

占い師、ジャレだ。

​彼女の周囲には、すでに群衆が集まっていた。物乞いの長老カビールが、しなびた手で彼女の天幕の裾を握り、息を呑んで見守っている。

​ジャレは、汗ばんだ額を水晶に押し当て、虚空を指差した。


​「……見えた……!砂が哭(な)き、

天の窓が開く……!


三日後の正午、市場の時計が止まる時!『睡蓮の王女』が銀の輿で現れ、『流れ星の蛇』が地を這い、そして『黄金の獅子』が民を跪かせる……!すべてのキャストが揃う時、ペルシャの地図は塗り替えられる……!」

​「……!?」

​市場が、水を打ったように静まり返った。


カビールが震える声で呟く。

「……三日後。我ら『地の底に棲む者』にも、光が落ちるというのか……?」


​「準備だ!」


​誰かが叫んだ。


「王女様がいらっしゃる!王様もだ!市場を掃け!最高の絨毯を敷け!ジャレの予言は絶対だ!この三日間で、一生分を稼ぎ、一生分の祈りを捧げるんだ!」


​3. 動き出す運命

​その喧騒を、少し離れた宮殿のテラスから冷徹に見下ろす影があった。

部族長の妃、イレムである。彼女の纏うシルクのドレスは、一歩動くたびに孔雀の羽のように色を変える。

​「……ふん。市場の鼠どもが踊っているわね。ホセイン、準備はできているのでしょうね?」

​背後に控える若き護衛官、ホセインは、腰に差した三日月刀(シムシャール)の柄に手を当て、深く頭を下げた。

​「はっ。王女ニルファル様の護衛、及びカリフ・レザ様の視察ルートの警備、万全にございます。……ですが妃様、あの予言……『蛇使い』については、不穏な風が吹いております」

​「構わないわ。蛇が舞おうと、王女の美しさが曇ることはない。インジ、王女に伝えなさい。三日後、彼女は『この世界の中心』になるのだと」

​「かしこまりました」

侍女のインジは、静かに一礼して王女の寝所へと向かった。その胸中には、誰にも言えない秘密の予知を秘めたまま。


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