A-02・3
「……え?」
「何、今の声。えっ?」
「二階に、いたんですか? 人が。それならなんですぐに話さなかったん――」
ちがうっ、と、小谷くんが叫んだ。目を大きく見開いて、懸命に身振り手振りで否定する。
「人なんてそんなのいなかったってっ! なあっ」
「い。いなかった。間違いないです。二階にあったのは書庫みたいな書斎みたいなところと、寝泊まりできそうな客室が二つと、それから今いる大会議室みたいな広間しかなかったっ。ちゃ、ちゃんと見た。トイレだって。無人だった」
「わ、私も見ました。女子トイレも。給湯室も、い、異変はなかったです。トイレットペーパーも古くて、ましてや人なんて……」
でも、なんでだろう、と、小さな声で御坂さんが呟く。ぶるぶると小刻みに震え、青ざめながら言うのだ。――でも、あの、生活感はあったような気がするんです。
給湯室も、本棚も、書斎の様子も。何もかも古びて、長年放置されているモノそのものの様子なのに、ふとしたところに感じる配置も。ああ、ここで生活してるんだって。毎日じゃなくても、頻繁にここに来て、ここで過ごす人がいるんだって。
日焼けして劣化したトイレットペーパーや、汚れた歯ブラシや、錆び付いたカトラリーや、汚れっぱなしのカップを、そのまま使って――。
「今日は譁ー蜈・繧さんも菴穂ココ縺譚・縺ヲ繧から、一緒に繝代Ρ繝シ繧偵b繧峨>縺セ縺励g縺??」
近づいてきている。
声が。
話す内容の一部は聞き取れて、一部はまったく聞き取れないのが奇妙だった。あの、第一……とか書かれていたプレートを見た時によく似ている。得体の知れないおぞましいものが、すぐそばにあるという感覚。
六人全員が、足に釘でも打たれたように固まって、無言で扉の方を見ることしかできなかった。まずい。このままでは。隠れなくては。逃げなくてはと、そう思うのに、動けない。
「それでは皆さん蟶ュ縺ォ蠎ァ縺」縺ヲー」
がちゃり。扉が開く。
ひゅっ、と、隣で凪咲ちゃんが息を飲む音が聞こえた。
「莉頑律縺薙◎繧?縺励#縺輔∪に叶えてもらえるといいわね」
「そんなに荳頑焔縺いくかしら」
「でも髫」縺ョ迴ュの人は郢ュを謗医°縺」縺って聞いたけど」
「人によるんだわ、縺阪▲縺ィ縺ュ」
ぞろぞろと、中に入ってくる。十人くらいだろうか。全員女性、のように思えた。何かを期待するような、楽しげですらある声音で談笑しながら、次々と部屋の中に入ってきて、次々と
まるで彼女らは私たちの姿が見えていないかのようだった。
――いや、違う。まるで、ではなく、実際に見えていないのかもしれない。
なぜなら十人くらい入ってきた彼女たちは、皆、目も鼻も口もなかったからだ。
「は、羽田さ……」
いや、目も鼻も口もない、というよりは、ぼんやりとぼやけて見えていると言えば正しいだろうか。私はやや近視で、いつもコンタクトをしているけど、遠くの人の顔はこんなふうに見える。目も鼻も口も判別できない――そういう感じだ。
近いのに。
「と! とにかく、逃げないと……」
中野さんが引き攣った声を上げたその瞬間、だった。
テーブルについていた女性たち――のようなものが、一斉にぐるりとこちらを見た。
「ひっ」
目がないのに、視線がバチバチとぶつかっているのがわかる。思わず後ずさり、足が動くことにほっとした。
「やだ、あなたたち譁ー縺励>繝。繝ウ繝舌? 気づかなかった。螢ー繧偵°縺代※くれればよかったのに」
「あら、逕キ縺ョ子もいるの縺ュ。もしかして諱倶ココのために繧上*繧上*逾磯。に縺阪◆縺ョ?」
「それにしては縺壹>縺カ繧楢凶縺?ー励′縺吶kけど……」
ぞろぞろと顔のない女たちがこちらに近づいてくる。私達は一歩一歩後ずさる。熊を前にした気持ちだった。熊に出会った時、背中を見せて逃げては殺されるらしい。
だがどうせ、背中を向けようがあとずさりながら逃げようが、襲われて殺されるのは同じなのではないか。相手が熊でも。のっぺらぼうでも。
――はは。私は何を考えてるんだろう。
「まあなんでも縺?>縺倥c縺ェ縺」
「そうね。縺薙%縺ォ譚・縺滉サ・荳翫?どうせみんな莉イ髢薙↓縺ェ繧んだから」
「あなたたちも一緒にお迎えしましょうよ」
その言葉だけ、妙にはっきりと聞き取れて。
私は、そしておそらく他の五人も、震え上がった。
「にっ……逃げろおっ」
誰かが叫び、一目散に走り出す。
女たちに捕まれば終わりだ、と思った。根拠はないが、仲間に迎え入れられてはいけないと強く感じたのだ。
一緒に迎えるとは、なんだ。何を迎えるというのだ。迎えてどうするというのだ――。
「あっ」
「米津さんっ」
つまづいたのか、それとも転んだのか、米津さんの短い悲鳴が響いたような気がした。そして、その名前を呼ぶ声。米津さんは逃げ遅れてしまうのだろうか。誰かが助けたのだろうか。仮に、逃げ遅れたならどうなるのだろう。
私は誰がどこに逃げたかなど気にする暇もなく、我武者羅に扉へと向かった。そしてそのまま廊下を走り、出口へと急ぐ。入る時には裏手の窓を利用するしかなかったが、出る時ならば鍵を開けられる。
「えっ。どうして騾?£繧九s縺ァ縺吶°」
「あなたたちだって、ここにいるということは、つまり縺薙%縺ォ譛帙s縺ァ来たんでしょ?」
「ねえ、ねえっ? ねええっ」
「繧?縺励#さまが宿ってくださるのに」
顔なし女たちの声が少しずつ理解できていくのがおそろしくてたまらなかった。
いや、むしろ、理解できるようになった方がおそろしくないのだろうか。人は理解できないものを怖がるという。だから――。
がしっ。
瞬間、肩を掴まれる。
「ひっ。ひいい」
捕まった、あののっぺらぼうに。いやだ、いやだと暴れながら後ろを振り向く。
やはりそいつは顔がない、のっぺらぼうだった。
――だが、女ではなかった。上等そうなスーツを着た男だった。
「え……?」
呆然としていると、男が喋った。
どこか、真に迫った声だった。
「魅蜈・繧峨l縺ヲしまった」
「あっ? ひ、いやっ。やだ、はなしてよっ。いいいいいい」
「縺ゅs縺ェ繧ゅ?蟋九a繧べき縺ァ縺ッなかった。諱ィ縺ソ縺ィ蟶梧悍縺梧キア縺吶℃繧」
「きもちわるい! きもちわるいいいい」
「蠖シ繧峨??を逕溘?縺薙→縺ッ蜿カ繧上↑縺??縺ォ、蠖シ繧峨?縺昴≧鬘倥▲縺ヲ繧?∪縺ェ縺」
「何言ってんのかわかんないからあっ」
怖い。怖い。怖い。怖い。やっぱり怖い!
あののっぺらぼう女たちとは話している内容が少し違うようだった。
この男はもしかして私と会話をしようとしているのだろうか。だが、ところどころ断片的に聞き取れるのがなおさら気持ちが悪い。これ以上彼の声を耳にしたくなかった。
「どうか蝗壹o繧後※縺励∪縺」縺迥?迚イ閠に豁」縺励″死を」
「離せってばあ!」
力ずくで自分の後ろに立つなにかを蹴りつける。ちょうど腹に当たったようで、ぐふ、と息を詰める音がして、肩を掴んでいた手の力が緩まる。
思い切り地面を蹴った。すぐそこに扉がある。つんのめりながら走る。
「はあっ」
なんとか鍵を開けて外に脱出する。
転がるように彼岸花の花畑に出れば、女たちはもう追ってきてはいなかった。
正面玄関の方へ逃げたのは私だけらしい。みんなは二階に逃げたのか、大窓の方へ逃げたのか。それとも隠れているのか。どうなったのか――。
……私は、一人で逃げてきてしまった。
米津さんに何かあったのかもと思ったのに。振り返らずに走って……。
「……やっぱり、霧が晴れてきてる」
正面に出たので、裏手にあった建物は見えない。しかしあの時見た山は、たしかにビルの後ろに聳え立っているのがわかる。
よくよく見れば、山の中腹には鳥居のようなものが見えた。……神社が、あるのだろうか。こんな異界に。いるとしたらどんな神様なのだろう。願えば元の世界に帰してもらえるのだろうか。
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