第6話 拒まれる町

 朝は、唐突に始まった。鐘の音だった。


 町の中央から、低く、重たい音が一度だけ響く。祝祭のものではない。時を告げるものでもない。ただ「知らせる」ためだけの音だった。


 目を覚ますより先に、体が起き上がっていた。反射に近い。寝ぼけはない。夢も見ていない。なのに、胸の奥がざわついている。


「……?」


 窓の外は白み始めているが、朝と言うにはまだ早い。夜と朝の境目。世界が、どちらに転ぶか迷っている時間帯だ。


 違和感は、音だけじゃなかった。静かすぎる。昨日の夜も静かだったが、それとは質が違う。音が「ない」のではなく、「抑えられている」感じだ。


 窓を開ける。通りに人影があった。しかも、昨日より明らかに多い。


 だが――おかしい。


 皆、同じ方向へ歩いている。同じ歩幅、同じ速さ。会話はない。視線も合わない。


 まるで、町そのものに引っ張られているみたいだった。嫌な予感が、はっきりと輪郭を持つ。


 装備を整え、部屋を出る。廊下の奥に、少女が立っていた。いつもより表情が硬い。


「起きた?」

「ああ。今の鐘、何だ?」

「分からない。でも……」


 少女は、階段の方をちらりと見る。宿の主人が、下で立ち尽くしていた。声をかけようとして、やめたような顔だ。


「外に出ない方がいい」


 主人の声は、低く、掠れていた。


「どうして?」


 問いかけに、すぐ答えは返らない。視線が、こちらの足元から、胸元、顔へと移る。


「町が……」


 言葉が、そこで途切れる。外から、別の音がした。木が折れる音。石が擦れる音。地面の奥から響く、鈍い圧。地鳴りではない。何かが「集まっている」音だ。


「……行こう」


 少女が言った。


「出るなら、今」


 止める理由はなかった。むしろ、ここに留まる方が間違いだと、体が叫んでいる。


 宿の扉を開け、外へ出る。空気が、明らかに違っていた。重くない。冷たくもない。だが、進もうとすると、押し返してくる。町全体が、こちらを拒んでいる。そう感じるほど、はっきりとした感触。


 噴水広場に、人が集まっていた。そして――噴水が、溢れていた。


 昨日まで、一滴も出ていなかった水。それが今は、石像の口から激しく噴き出している。


 だが、その水はおかしい。濁っていない。澄んでもいない。光を反射しない。水なのに、影の塊みたいだった。


「……何だ、あれ」

「魔力が……逆流してる?」


 技師たちが装置の周囲に集まる。だが、誰も触れない。触れた瞬間、全員が手を引っ込めていた。


「冷たい……いや、熱い」

「分からん、感覚が……」


 言葉が噛み合わない。それぞれが、違うものに触れているようだった。少女は、噴水を睨むように見つめている。


「……これ」


 呟きが、風に溶ける。次の瞬間。噴水の水が、ぴたりと止まった。

 一瞬の静寂。そして。町全体が、軋んだ。音ではない。揺れでもない。感覚だ。足元の石畳。建物の壁。空気。すべてが、同時に「距離を取った」。胸の奥が、きゅっと縮む。息が、わずかにしづらい。


 人々がざわめく。誰かが膝をつく。


「……立てない」

「力が……」


 理由は分からない。だが、全員が同じ違和感を覚えている。


 ――拒絶。


 それが、町から発せられている。そして。視線が、集まった。一人、また一人と。恐る恐る。確信を持てないまま。視線の先は、俺だった。


「……あんただ」


 少女の声が、震える。


「違う」


 即座に否定する。本心だ。


「俺は、何もしてない」

「分かってる」


 だが、少女の目は揺れていた。


「分かってるけど……中心にいる」


 そのとき。外壁の方角から、低い唸り声が響いた。獣の声。しかも、一つじゃない。複数。いや――群れ。外壁の上に、影が現れる。狼型。熊型。角を持つ魔獣。明らかに、危険指定される存在ばかりだ。だが。魔獣たちは、町を見ていない。こちらを見ている。正確には――俺を。


 背中に、冷たいものが走る。


「……おい」


 衛兵の声が震える。


「魔獣が……門を壊さない」


 確かに。門は無傷だ。


 魔獣たちは攻めない。吠えない。ただ、待っている。


 ――こちらが、町を出るのを。


 空気が、さらに押し返してくる。町の内側にいる限り、呼吸が少しずつ重くなる。だが、町の外へ向かう方向だけ、押し返しが弱い。


「……出ろ、ってことか」


 誰にともなく、呟く。返事はない。だが、空気が、わずかに緩んだ。


 少女を見る。


「行こう」

「……うん」


 二人で、門へ向かう。誰も止めなかった。止められなかった。門をくぐる、その瞬間。背後で、音が戻った。風。鳥の声。人のざわめき。


 振り返ると、町は――普通だった。


 噴水は止まり、魔獣の影も消えている。拒絶の感覚も、ない。ただ。門の外に立つ自分だけが、異物だった。


「……追い出されたな」


 冗談のつもりで言った。少女は、首を横に振る。


「違う」

「?」

「守られた」


 意味は、分からなかった。だが確かに。町は、壊れなかった。


代わりに――


 俺が、切り離された。それが何を意味するのか。誰が、そうしたのか。まだ、何一つ分からない。ただ一つだけ、確信があった。この旅は、もう静かではいられない。


 世界が――


 こちらを、意識し始めている。

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