第3話 誰かが、先に気づいている

 朝は、音から始まった。


 鳥の鳴き声が、いくつも重なっている。けれど不思議と、騒がしくはなかった。一羽一羽が、互いの間隔を測っているかのように、鳴くタイミングがずれている。


 まるで、誰かが全体を見て、整えているみたいだった。そんなことを考えたのは、目を覚ました直後の一瞬だけだ。すぐに、どうでもよくなる。


 天井の木目がはっきり見える。視界が澄んでいて、寝起き特有の重さがない。


「……よく寝たな」


 声に出すと、部屋の静けさが際立った。外から聞こえるのは鳥と、かすかな風の音だけだ。


 昨日までの疲れは、どこにも残っていない。山で暮らしていた頃と同じ感覚。祖父に叩き起こされ、祖母に無理やり飯を食わされていた日々を思い出す。


「……まだ、余裕あるな」


 体を起こし、腕を回す。関節が滑らかに動き、筋肉に引っかかりがない。魔力を意識してみる。昨日と同じだ。枯れる気配も、減る感覚もない。


「……本当に、便利だ」


 それ以上考えず、身支度を整える。


 階段を下りると、宿の一階にはすでに人の気配があった。厨房から、鍋の煮える音が聞こえる。


「おはようございます」


 声をかけると、宿の主人が振り返った。一瞬、言葉に詰まったような顔をする。


「……ああ。おはよう」


 視線が、こちらの顔から肩、背中へと移動する。何かを確かめるような、妙な間。


 朝食の皿が置かれる。昨日より、明らかに量が多い。パンは二切れ。スープは具が増えている。干し肉まで添えられていた。


「……多くないですか?」


「そうか?」


 主人は首を傾げるが、すぐに目を逸らした。


「旅人は体力が要るだろう」


「ありがとうございます」


 礼を言って食べ始める。味は、普通だ。けれど、体に染みる。


 主人は、こちらが食べ終わるまで、妙に落ち着かなかった。皿を拭く手が止まり、何度もこちらを見る。


「……何か?」


「いや……」


 言いかけて、口を閉じる。


「……気をつけてな」


 その言葉が、やけに重かった。


 宿を出ると、村が少し騒がしかった。人が集まっているのは、井戸の周りだ。


「どうかしたんですか?」


 声をかけると、老人が振り返る。その顔には、驚きと困惑が混じっていた。


「井戸の水がな……」


「水?」


「急に、澄んでおる」


 覗き込むと、水面は驚くほど透明だった。光を反射し、底の石まで見える。


「冷たくて、味もいい」


「それは……いいことでは?」


 老人は頷くが、すぐに眉をひそめる。


「そうなんだが……昨日までとは違いすぎる」


 別の村人が口を挟む。


「畑の作物もな。今朝見たら、妙に元気で」


「……急すぎるよな」


 誰も原因を口にしない。だが、全員が「何か」を感じている。


「……まあ、偶然だろう」


 その一言で話は終わった。だが、空気だけが残る。自分には関係ないと思い、村を離れる。


 街道は、昨日より歩きやすかった。草が倒れ、石が端に寄せられている。


「……誰か、整備したのか?」


 だが、村の規模を思えば不自然だ。一晩で、ここまで整うはずがない。


 しばらく歩くと、人影が見えた。街道の真ん中で、立ち止まっている。小柄な少女だった。大きな荷袋を背負い、地図を広げている。


「……大丈夫?」


 声をかけた瞬間、少女が飛び上がった。


「ひゃっ!?」


「ご、ごめん!」


 少女は勢いよく振り返り、こちらを睨みかけてから、すぐに表情を崩す。


「……人か。びっくりした」


「驚かせてすみません」


「いや、私が注意散漫だった」


 少女は一度深呼吸し、こちらをじっと見る。視線が、妙に鋭い。


「旅の人?」


「はい」


「……ふーん」


 納得したようで、していない顔。


「私も旅の途中なんだけど」


「道に迷ったとか?」


「道は合ってる。たぶん」


 その「たぶん」に、引っかかりを覚える。


「でもさ……」


「?」


「変なんだよ」


 少女は周囲を見回す。


「静かすぎる。危険な感じじゃないけど……」


「昨日から、そんな気はします」


「やっぱり?」


 少女の目がわずかに見開かれた。


 並んで歩き始める。彼女は歩きながら、何度もこちらを見る。


「……何か?」


「いや……」


 言いかけて、口を閉じる。


 林がざわめいた。低い唸り声。


「来る!」


 少女が身構える。魔獣が姿を現す。三匹。昨日よりも大きい。


 だが、魔獣たちは動かない。こちらを見て、距離を保っている。


 数秒。沈黙。


 一匹が、ゆっくりと頭を下げるような動きをした。それを合図に、残りも林へ戻っていく。


「……え?」


 少女の声が震える。


「今の、見た?」


「はい」


「……普通、襲ってくるよね」


「……そうですね」


 少女は、ゆっくりとこちらを見る。


「……あんた、何かしてる?」


「何もしてません」


 本心だった。本当に、何も。


 少女はしばらく黙り込み、やがてため息をつく。


「……まあ、いいや。今は」


 だが、その視線は疑念を含んでいた。


 街道の先に、町が見え始める。人の声、煙、動き。世界は、確かに続いている。


 それでも、少女は小さく呟いた。


「……あんたの周り、世界が変だよ」


 その言葉を、僕は深く考えなかった。

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