第五話

今日の講義は心理学だった。

教授が黒板に用語を書きつけ、学生たちが一斉にノートをとる。

横目で神藤さんを見ると、真面目な顔で耳を傾けていた――ように見えた。


けれど、少しして彼は眉をわずかに寄せ、首を傾げる。



「……心理学は、ちょっと苦手なんだ」



ぽつりと漏らしたその声に、僕は思わず顔を向けた。

あの完璧そうな人に“苦手”なんて言葉があるのが、妙に新鮮だった。



「なんでですか?」



問いかけると、神藤さんは肩をすくめ、唇の端をゆるく上げた。



「嫌いな先輩の専攻だから」



意外すぎる答えに、思わず吹き出しそうになる。

普段の落ち着いた印象と違って、どこか子どもっぽい。



「その……嫌いな人って?」



軽く尋ねたつもりだった。

けれど彼はわずかに目を伏せ、青みがかった瞳の奥に影を落とす。



「鑓水さんっていう先輩。心理士をやってる」



その名を口にするとき、声が少し低くなった。

講義室のざわめきの中でも、彼の声だけが異様に静かに響く。


――心理士。裁判官にとっては心の支えであり、魔力の調律者。

その存在を嫌うなんて、どれほどの確執があるのだろう。



「……嫌い、なんですか?」



僕の問いに、彼は短く息を吐き、顔をしかめた。



「おせっかいがすぎるんだよ。人の心を覗いて、俺にああしろこうしろ命令してくる」



短く、吐き捨てるように。

その声にわずかな苛立ちが混じっていた。



「それって……やっぱり嫌なんですか?」


「すっごく嫌だ」



その瞬間、胸の奥がざわついた。


――こんな表情をするんだ、この人。


言葉にするのは難しいが……どこか、ふてくされたような顔。


見てはいけないものを見てしまったようで、目を逸らせなかった。

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