終章前半 混沌
黄金の林檎が消えたあと、
ミズガルドには沈黙が落ちた。
人々は、自分たちが何をしたのかを理解できずにいた。
血に濡れた石畳。
動かない少年の身体。
そして、もう立ち上がらない女神。
「……違う」
フレイヤの姿をしたロキが、呟く。
声は震えていた。
少年を抱き上げると、身体は驚くほど軽かった。
熱は、もうない。
「違う、これは……」
言葉が、続かない。
そのとき、大地が揺れた。
遠くから、角笛のような咆哮が響く。
――巨人だ。
空が裂ける。
霜のような冷気が流れ込み、街の端が凍りついた。
スリュムが、姿を現す。
巨大な影が、街を覆った。
「フレイヤはどこだ」
低く、執着に満ちた声。
「我が花嫁を返せ」
ロキは立ち上がる。
血と埃にまみれたフレイヤの姿のまま。
「……ここにはいない」
スリュムの目が、細くなる。
「嘘だ」
巨人は、ロキを指差した。
「その姿こそ、我が女神」
ロキは、笑った。
歪で、壊れた笑み。
「そう見えるなら、好きにすればいい」
次の瞬間、巨人の拳が街を砕いた。
家屋が潰れ、人々が逃げ惑う。
混沌が、完全に始まった。
ロキは幻を解いた。
フレイヤの姿が崩れ、
赤毛の神が現れる。
「……遅かったな」
ロキは、空を見上げる。
雷雲が、集まりつつあった。
スリュムは後退る。
「ロキ……!」
「フレイヤはいない」
ロキは告げる。
「選んだ。
神であることを、やめた」
スリュムの怒りが、爆発する。
「ならば、世界ごと壊す!」
巨人の咆哮が、山々を震わせる。
それに呼応するように、
各地で巨人たちが動き出す。
人間は逃げ、神々は集う。
空を裂いて、一つ目の神が降り立った。
オーディン。
彼は、倒れた少年を見た。
そして、ロキを見る。
「……イズンか」
静かな声だった。
ロキの肩が、わずかに揺れた。
「名前を呼ぶな」
「林檎は?」
「もうない」
オーディンは、地面に染みた光を見る。
「……種か」
理解は、早かった。
「終わりだな」
ロキは、笑う。
「最初から、そうだ」
オーディンは槍を構える。
「ラグナロクだ」
空が、完全に暗くなる。
雷鳴が轟き、
遠くで狼の遠吠えが響く。
フェンリルが鎖を引きちぎり、
ヨルムンガンドが海から身を起こす。
世界は、止められない。
オーディンは、ロキを見た。
「後悔は?」
ロキは、少年が倒れていた場所を見る。
「……ある」
そして、続けた。
「それでも、やり直さない」
二柱の神が、向かい合う。
その間で、人間の世界が崩れていく。
これは、裁きではない。
救済でもない。
ただの――
終わり。
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