第6話 シーイズクール

ある日のことだ。



佐久間憲明は、いつもの席に腰を下ろした。

カウンターの端。背もたれに深く寄りかかるでもなく、かといって前のめりにもならない、彼なりの定位置だった。


「いらっしゃいませ」


マスターの声に、佐久間は小さく会釈を返す。

言葉は交わさない。もう、それで足りていた。


そのとき、入口のベルが控えめに鳴った。


佐久間は反射的に視線を向け、すぐに戻した。

入ってきたのは女性だった。黒を基調とした服装で、無駄のない動き。店内を一瞥すると、迷いなく窓際の席に向かう。


鞄を椅子に掛け、ノートパソコンを取り出す。

電源を入れるまでの動作が、妙に手慣れていた。


――仕事だな。


佐久間はそう思ったが、特に興味を持つでもなく、視線をカウンターの木目に落とした。


「ご注文、どうなさいますか?」


マスターの声に、女性は顔を上げる。


「あそこのモンブランを一つ。あと、カフェオレ」


声は低く、感情の起伏がほとんどない。

それがかえって、店の静けさとよく馴染んでいた。


「かしこまりました」


マスターが答え、カウンター越しに視線を動かす。

佐久間の前のカップは、もう半分ほど空いていた。


「佐久間さん、今日はゆっくりですね」


そう言われて、佐久間は少しだけ口角を緩めた。


「ええ。ここに来ると、時間の流れが違う気がして」


マスターは何も言わず、静かにコーヒーを淹れ始める。

その背中を見ながら、佐久間はふと思う。


窓際の女性は、画面から一度も目を離さない。

まるで、この店の存在そのものを背景として扱っているかのようだった。


それでも、不思議と違和感はなかった。

この店には、そういう人も、そういう時間も、自然に溶け込んでしまう。


佐久間はカップを手に取り、残りのコーヒーを口に運ぶ。


――また、来る理由が増えたな。


誰に言うでもなく、そう思った。

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人生を淹れるカフェで、あなたは何を注文する? 残間 みゐる @shunnna0829

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