第4話 砂糖は、後からでも溶ける

今日はコーヒーの日だ。


豆を挽く音が、朝から少しだけ軽い。

理由は分からないが、こういう日はだいたい客が来る。


昼を過ぎて、雨がやんだころ。

ドアベルが鳴って、ひとり入ってきた。


窓際の席に向かうかと思ったが、その人は一度立ち止まり、

少し迷ってからカウンターに座った。


「……ブレンドで」


声は低い。

それだけで、今日は話すつもりなのだと分かる。


「砂糖とミルクは?」


「いえ、このままで」


豆を挽き、湯を落とす。

コーヒーの香りが立ちのぼる間、店は静かだった。


カップを置くと、その人はしばらく何も言わず、

ただ湯気を見つめていた。


「ここ、落ち着きますね」


「そう言われることは多いです」


それ以上は、こちらから踏み込まない。

話すのは、いつも客のほうからだ。


一口飲んでから、その人は言った。


「……マスター、聞いてもらっていいですか」


「どうぞ」


それが合図みたいなものだった。


話の内容は、特別なものじゃない。

仕事のこと、人間関係のこと、

うまく言葉にできなかった後悔の話。


僕は、相槌を打つだけだ。


「ちゃんとやってきたつもりなんですけどね

なぜか、それが成果に出てこないんです...。」


そう言って、カップを見つめる。


「コーヒー、冷めないうちに」


それだけ伝える。


しばらく沈黙が落ちて、

やがて、その人は小さく笑った。


「……おかわり、もらえますか」


「はい」


二杯目を淹れる。

一杯目より、少しだけ深く。


「さっきの話ですけど」


注ぎながら、言う。


「砂糖って、最初から入れなくてもいいんですよ。

あとからでも、ちゃんと溶けます」


その人は驚いた顔をして、

それから、少しだけ楽そうに息を吐いた。


「……そうですね、マスターありがとう。

ところで、マスターの名前はなんで言うんだい?」


「私ですか?私は、及川 春翔と申します」


「そうですか...これから、通いますね」


「ありがとうございます」


カウンターに、静かな時間が戻る。


今日は、コーヒーの日だ。

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