第三十五話 やよい、千代と“料理の新境地”へ

🏯『大阪城台所所・やよい記』


第三十五話 やよい、千代と“料理の新境地”へ——産のための特別食


——これは、わたくし曲直瀬やよいが、

“産の料理”という新しい境地に足を踏み入れた日の記である。


---


◆ 難産の翌朝

やよいはまだ胸の奥が熱かった。


(あの産……

 命が生まれる瞬間……

 あの重さ……

 忘れられへん……)


御膳所に戻ると、

千代が腕を組んで待っていた。


「やよいさん。

 今日の稽古は特別よ」


やよいは背筋を伸ばした。


「特別……?」


千代は静かに言った。


「“産のための特別食”を作るわ」


御膳所がざわめいた。


お市が言った。


「産後の膳……

 あれは御膳所でも一番難しい料理や……」


お澄も呟いた。


「やよい……

 ほんまにその道を歩くんやな……」


---


◆ 千代が並べた素材

千代は台に素材を並べた。


・白米

・鶏肉

・大根

・生姜

・干し椎茸

・葛粉

・小松菜

・黒胡麻


千代が言った。


「産後の体はね、

 “血”と“気”が減っているの」


「だから、

 温めて、

補って、

 負担をかけない料理が必要なのよ」


やよいは素材を手に取り、

匂いを嗅ぎ、

触り、

考えた。


(大根は……

 昨日の産で冷えた体には優しい……

 でも煮方を間違えたら冷える……)


(鶏肉は……

 気を補う……

 でも固いと喉を通らへん……)


(生姜は……

 温める……

 でも入れすぎたら熱が上がる……)


千代が言った。


「やよいさん。

 どう組み立てる?」


やよいは答えた。


「……大根は薄く……

 鶏肉は細かく……

 生姜は……

 ほんの少し……

 葛でとろみをつけて……

 体に負担をかけないように……」


千代は目を見開いた。


「やよいさん……

 あなた……

 “産の料理”が分かってるのね」


---


◆ 火床の前で

千代が火を整え、

やよいが素材を刻む。


千代が言った。


「やよいさん。

 火は“産の体”を映すのよ」


やよいは炎を見つめた。


(……昨日の産婦さん……

 体が冷えてた……

 だから……

 火は優しく……

 ゆっくり……)


千代は微笑んだ。


「やよいさん。

 あなたの火は……

 “命を迎える火”ね」


---


◆ やよい、味を決める

やよいは大根と鶏肉を煮て、

葛でとろみをつけ、

生姜をほんの少しだけ落とした。


味見をすると——


(……優しい……

 体に染みる……

 昨日の産婦さんの体が……

 求めてる味……)


千代が一口飲んだ。


「……やよいさん。

 これは……

 “産のための料理”よ」


玄朔が部屋に入り、

椀を受け取った。


「やよい。

 この味は……

 産の体によう効く」


やよいの胸が震えた。


(料理で……

 命を支えられる……

 医術と同じ……

 命の道……)


---


◆ 産婦のもとへ

やよいは椀を持って、

昨日の産婦の部屋へ向かった。


産婦は弱々しく横になっていたが、

赤子を抱いて微笑んだ。


「……昨日は……

 本当に……

 ありがとう……」


やよいは椀を差し出した。


「……どうぞ。

 体が……

 求めている味です」


産婦は一口飲んだ。


そして——

涙をこぼした。


「……あったかい……

 体に……

 染みる……」


やよいの胸が熱くなった。


(料理で……

 命を迎えた母を支えられる……)


玄朔が言った。


「やよい。

 おまえは……

 産科の道を歩ける子や」


---


◆ 老いたやよいの一行

——あの日、

わたくしは“産のための特別食”を作った。


料理は腹を満たすだけやない。

体を治し、

心を支え、

命を迎える力を持つ。


医術と料理が一つになり、

わたくしの中で“産科の道”が形を成し始めた日であった。

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