第二十六話 千代、やよいに“料理の基礎の基礎”を叩き込む

🏯『大阪城台所所・やよい記』


第二十六話 千代、やよいに“料理の基礎の基礎”を叩き込む——火と包丁の道


——これは、わたくし曲直瀬やよいが、

“料理の道は基礎がすべて”と知った日の記である。


---


◆ 千代の宣言

御膳所の朝。

千代は火床の前に立ち、

やよいを鋭い目で見つめた。


「やよいさん。

 あなた、昨日の出汁は見事だったわ」


やよいは驚いた。


(褒めてくれる……?)


しかし千代は続けた。


「でもね。

 あれは“偶然の成功”よ」


やよいの胸がざわついた。


「料理はね、

 “偶然”では務まらないの」


宗右衛門が火を見つめながら言った。


「千代。

 やよいを頼む」


千代は深く頷いた。


「今日から、

 あなたに“基礎の基礎”を叩き込むわ」


---


◆ 第一の基礎:包丁

千代はまな板の前に立ち、

やよいに包丁を渡した。


「やよいさん。

 あなた、包丁が“重い”わ」


「重い……?」


「包丁はね、

 “押す”んじゃない。

 “滑らせる”の」


千代は大根を手に取り、

薄く、薄く、

紙のように切って見せた。


スッ……

スッ……

スッ……


やよいは息を呑んだ。


(音が……

 ほとんどせえへん……)


千代は言った。


「やってみなさい」


やよいは大根を切った。


トン。

トン。

トン。


千代は首を振った。


「音が重い。

 力で切ってる証拠よ」


「料理はね、

 “力”じゃない。

 “呼吸”よ」


やよいは深呼吸し、

包丁を滑らせた。


スッ……

スッ……


千代が頷いた。


「そう。

 あなたは飲み込みが早いわ」


---


◆ 第二の基礎:火

千代は火床の前にやよいを立たせた。


「やよいさん。

 あなた、火を見る目は悪くない」


「でもね、

 “火を読む”ところまではいってないの」


やよいは息を呑んだ。


(火を……読む……?)


千代は火床に薪をくべ、

炎の揺れを指さした。


「火はね、

 怒ると赤くなる。

 泣くと青くなる。

 迷うと揺れる。

 喜ぶと静かになる」


やよいは目を見開いた。


(火が……

 そんなふうに……?)


千代は続けた。


「あなたは“火に好かれる手”を持ってる。

 だからこそ、

 火の機嫌を読めるようになりなさい」


やよいは火を見つめた。


(火が……

 わたしに何か言ってる……?)


---


◆ 第三の基礎:味

千代は味噌汁を二つ作った。


「やよいさん。

 どちらが“正しい味”か分かる?」


やよいは一口飲んだ。


(……どっちも美味しい……

 でも……

 片方は……

 体が重くなる……)


「……こっちです。

 こっちの方が……

 体に優しい……」


千代は目を見開いた。


「やよいさん……

 あなた……

 “医の舌”を持ってるのね」


玄朔が横から言った。


「千代。

 やよいは医術の才もある」


千代は深く息をついた。


「……なるほど。

 だから“味の違い”が分かるのね」


---


◆ 千代の本音

稽古が終わったあと。

千代はやよいを呼び止めた。


「やよいさん」


やよいは振り返った。


「はい」


千代は静かに言った。


「あなたを最初、敵だと思っていたわ」


やよいは息を呑んだ。


「でも違った。

 あなたは……

 “料理の道を変える子”よ」


やよいの胸が震えた。


「料理と医術。

 その両方を持つ者なんて……

 見たことがない」


千代は微笑んだ。


「だからこそ、

 あなたを鍛える価値がある」


やよいは深く頭を下げた。


「……ありがとうございます」


---


◆ 老いたやよいの一行

——あの日、

わたくしは千代殿から“基礎の基礎”を叩き込まれた。


包丁の重さ。

火の呼吸。

味の心。


料理の道は、

技でも、

力でもなく、

“心と呼吸”であると知った。


その基礎が、

のちのわたくしの医術と産科の道を支える

大きな柱となったのである。

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