第十四話 兵糧の道を探せ——御膳所の密命

第十四話 兵糧の道を探せ——御膳所の密命


——これは、わたくし曲直瀬やよいが、

「食べ物がなくなる」という恐怖が、

戦よりも静かに、しかし確実に人を追い詰めるのだと知った日の記である。


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◆ 片桐が去った城に、まず来たのは“空腹”だった


冬の陣が終わり、

和議が結ばれ、

鉄砲の音が止んだ。


しかし——

御膳所に届いたのは、

安堵ではなく 空の桶 だった。


「……米、これだけ?」


お澄が、

底の見える米桶を覗き込んだ。


「味噌も、あと一樽やで」

「干し魚は……数える方が早いわ」


与兵衛が、

空になった干物の箱をひっくり返す。


やよいは、

胸の奥がひゅうっと冷えるのを感じた。


(戦が終わったのに……

 なんで、こんなに食べ物がないんやろ)


宗右衛門は、

火床の前で腕を組んだまま言った。


「冬の陣で、

 兵糧の道が全部、徳川に押さえられたんや」


「兵糧の道……?」


「食べ物が城に入ってくる道や。

 それが塞がれたら、

 城は“ゆっくり死ぬ”」


やよいは、

その言葉の重さに息を呑んだ。


(ゆっくり……死ぬ……)


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◆ 御膳所に下る“密命”


昼前。

御膳所に、ひとりの男が現れた。


大野治長——

淀殿の側近であり、

豊臣家の実質的な指揮者。


治長は、

御膳所の中央に立ち、

低い声で言った。


「宗右衛門。

 兵糧の道を探れ」


御膳所の空気が、

一瞬で凍りついた。


「……兵糧の道を、探す……?」


お澄が、

思わず聞き返す。


治長は頷いた。


「徳川に塞がれた道を、

 どこか一つでも破れ。

 食べ物を城に入れねば、

 夏までもたぬ」


「夏……?」


やよいは、

胸がざわりとした。


(夏……

 夏の陣……?)


治長は、

宗右衛門をまっすぐ見た。


「御膳所は、

 城の“胃袋”や。

 胃袋が止まれば、

 城は死ぬ」


宗右衛門は、

深く頭を下げた。


「承知しました」


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◆ 御膳所の“密談”


治長が去ったあと、

御膳所は静まり返った。


「……どうするんですか」


やよいが尋ねると、

宗右衛門は、

火床の前に皆を集めた。


「ええか。

 兵糧の道は三つある」


宗右衛門は、

土間に指で線を描いた。


「北の道」

「西の道」

「南の道」


「全部、徳川に塞がれとる」


お梅が、

不安そうに言った。


「じゃあ……

 どうやって食べ物を……?」


宗右衛門は、

にやりと笑った。


「塞がれとるんは“道”や。

 “人”は塞がれとらん」


「人……?」


「せや。

 人が持ってくるんや」


お澄が、

はっとしたように言った。


「……天満の商人か」


「せや」


宗右衛門は、

火床の灰を払った。


「天満の商人は、

 徳川にも豊臣にもつかん。

 “金につく”」


「金……」


やよいは、

その言葉の響きにぞくりとした。


(戦の中でも、

 金で動く人がおるんや……)


「天満の商人に、

 食べ物を運ばせる。

 それが、

 わしらにできる“穴埋め”や」


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◆ やよい、初めて“外”へ出る


「やよい」


宗右衛門が呼んだ。


「はい」


「おまえ、天満へ行け」


「えっ……!」


御膳所がざわついた。


「やよいを……外へ……?」


「せや」


宗右衛門は、

やよいの目をまっすぐ見た。


「天満の商人は、

 “子ども”には警戒せん。

 大人より、

 話を聞いてくれる」


「でも……

 危ないんちゃいますか……?」


お市が言う。


宗右衛門は、

静かに首を振った。


「危ないのは、

 城の中も外も同じや」


やよいは、

胸の奥が熱くなった。


(わたし……

 御膳所のために……

 外へ……?)


宗右衛門は、

やよいの肩に手を置いた。


「やよい。

 おまえの舌と鼻は、

 御膳所の“目”や」


「……はい」


「その目で、

 天満の商人を見てこい。

 “信用できるかどうか”をな」


やよいは、

ぎゅっと拳を握った。


「行きます」


---


◆ 天満へ向かう道


翌朝。

やよいは、

小さな包みを抱えて城を出た。


城門の外は、

冬の名残の冷たい風が吹いていた。


(外の空気……

 久しぶりや)


天満へ向かう道は、

戦の影が色濃く残っていた。


焼けた家。

壊れた橋。

人のいない道。


(戦って……

 こんなに町を壊すんや)


やよいは、

胸が痛くなった。


しかし——

天満の市場に近づくと、

空気が変わった。


「いらっしゃい!」

「安いで! 見ていき!」

「今日の魚はええで!」


市場は、

戦とは無関係のように賑わっていた。


(ここだけ……

 別の世界みたいや)


---


◆ 天満の商人・“堺屋宗兵衛”との再会


「お嬢ちゃん、迷子か?」


声をかけてきたのは、

大きな桶を担いだ男だった。


「……堺屋宗兵衛さん!」


やよいは、

思わず声を上げた。


堺屋宗兵衛——

御膳所に魚を運んでくれていた商人。


宗兵衛は、

目を丸くした。


「おお、やよいちゃんやないか!

 なんでこんなとこに?」


やよいは、

胸の前で包みを握りしめた。


「お願いがあって来ました」


宗兵衛は、

やよいの顔を見て、

すぐに真剣な表情になった。


「……話、聞こうか」


---


◆ 老いたやよいの一行


——あの日、

わたくしは初めて“城の外”へ出た。


外の空気は冷たかったが、

市場の匂いは温かかった。


そして、

天満の商人たちの中に、

わたくしは“生きる道”を見つけたのである。

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